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【 2019.11.9 久しぶりに母と食事をして 】

小さい頃に一人で居た僕をみて

両親は器械体操をさせてくれた


器械体操は楽しくて、

ただただ身体のままに飛び跳ねて、

ねじれて、まるまっていた

その頃からきっと身体を確信してたと思う


その後何があったのかw、

心理学という道を選んで

精神科の病院に勤めるようになった


精神障害者 発達障害者と言われてしまう人と

おしゃべりしていくと、

不思議とあの方々たちの姿勢や所作が

あまりに不可思議だと思った


そこからはいつか身体について学びたいと

ずーっと思ってた

10年くらい前からずーっと


本当は、あの日飛び跳ねたり まるまった日から、

ずーっとずーーっと


今はやっと「身体を観る」ことが

できはじめていると思うが、

ふっと湧いてくる

自分が信じるものを観ていくと、

当然 観れなくなるものがある

時間に限りがあることにも容易に気づいてしまう


これまで大切にしてきたはずのものでさえ

容易にすりぬけていく

そんな風に思う時さえある

悲しくもなる


あー もう戻れないんだなとわかってしまう悲しさ

そして、

これから先は自由なんだなと気づいてしまうこわさ


それでも、不思議なくらい、

内側に問うたらすぐに「身体を観たい」と返ってくる

だって身体にこそ

人やヒトの奥深い豊かさや美しがあるって

すでに確信しているから


抽象論ではなく、すでに今この瞬間も身体は奇跡だから

、って想いながら母とひなたぼっこした


はぁぁぁ、しあわせ

2019/11/9 書記

日々の中での慈しみや感動に気づくための「対話と整体」しています。
(連絡は木内寛長Facebookやhirotakekiuchi@gmail.comまで)

以下は自己紹介。


ありがとうございます。すべては慈しみと感動へ