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『薄っぺらい本』と『分厚い本』、正しいのはどちら?

秘密は薄っぺらい本に隠されているんですよ
薄いくらいがいいんです
薄い本で成功できるんだったら
無駄なことをしていないということなんで
頭がいいんです



こんにちは。正木いずみです。

いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。

初めて訪れてくださった方も、ありがとうございます。



年末から正月にかけて


ゆっくり読みたい本が手元に届き始めています。


それぞれ、内容、大きさ、厚さはまちまちです。


中には、とても薄くて小さい本もあります。



時折、「薄っぺらい本」という表現に遭遇します。

少し高を括ったようなニュアンスを感じます。

なにか、分厚い本が薄い本に勝るかのような。



あなたは、どう感じますか?



実は、私自身、少し前まで


こういう考えを少なからず持っていました。



専門的で、アカデミックで、難しい知識が詰まった分厚い本。


そんな本を、頑張って、何度も読んで、苦労して内容を習得する。


どういうわけか、それが真っ当で、健全で、格好いいことのように思い込んでいたんです。


それに


分厚い本があると、本棚の見栄えも良くなりますしね。


2年半前にメンターの松田豊さんと出逢い、『ある体験』をして、その考えを改めることになりました。

薄い本=内容も薄い

という考えは


すぐにでも手放したほうが身のためだと、今はわかるんです。





ある体験とは


メンターの提供されている教材を初めて購入した時のことです。


その教材は、複数回に分割された形で提供されていました。


とてもに興味を惹かれ、そのうちのいくつかをカードで決済し、早速、目を通したのですが


その内容が驚くほどシンプルだったんです。



「あれっ、これだけ!?」


と思わず口にするくらい。



私は、投資以外の収益源を開拓するため、割合、教材などを学んだりしていたのですが


こんなに簡潔にまとめられたものには出逢ったことがありませんでした。


同時に私は、その簡潔さの中に、それまで触れたことのないような情報の質の高さを感じ取りました。


まるで

川の上流を辿り、源流付近のひんやりと透き通った水を手のひらですくって、のどの渇きを潤した時のような。


ピュアなものに触れた感触です。



思い立ってその内容を自分の保有するサイトに施したところ


ほどなく収益が発生し、それが継続するようになりました。


この世界には情報弱者ならぬ、情報強者と呼ぶべき人がどこかに存在するとは思っていましたが


質の高い情報を簡潔に伝えることで、それを受け取った人の人生を一変させる力を持っている人が確かに存在する。


そのことを知りました。


私の考える『薄っぺらい本』の持つ力です。


情報の質、情報の純度の差が違いをもたらすのだと感じます。




分厚い本を努力して学ぶことこそが美徳で


薄い本には価値がないと思い込み、その色眼鏡で世の中を見るようになると


たとえ薄くて価値のある本が視界に飛び込んできたとしても、気付くことすらままなりません。

メールサービスのフィルタ機能のように、ゴミ箱へ直行です。



大切なことは


薄い本だから悪いと感じる必要などないということ。


人生には、人それぞれ段階があって


それに応じて、引き寄せられる本というものがあります。


それは大切な出逢い。


もし誰かがあなたの手にした本に対し


「その本、薄っぺらいですね」と評価を下したとしても


気にする必要なんて全然ないんです。





実は、とてもシンプルな解法があるのに、それを知ってか知らずか、教えることはせず


分厚さ、難しさ、を巧妙に利用して、自分を利する人はいます。



そのことをに対し、不平をいう気は無いんです。


そんなことを始めたら、資本主義経済は成り立たないでしょう?


それは人間の本性であって、自然な姿なのだと思うんです。



でも、自らの学びを深めることで、ある種の『罠』を見破り、『正しい選択をする力』を身に付けることはできます。



このようなものの見方を教えてくれたメンターには本当に感謝しています。


運がよかったです。


年末、年始のちょっと特別な時間が今から待ち遠しいです。



お読みいただき、ありがとうございました。










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