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「はじき」や「くもわ」はやめませんか


雑談


2月になりました。学校の先生をしている人は「もう少しで今年度も終わるなあ」と思い始めるころではないでしょうか。それは少し早いか。僕のクラスでも子どもたちに「あと1か月と少しで終わりだね~」と話しているとある子どもが「来年もこのクラスのメンバーがいいなあ」と言いました。「お、うれしいこと言ってくれるね!どうして?」と聞くと、「△△さんが話せば、〇〇さんがおもしろおかしく返して、それにみんなが笑って、あったかいから!」と言ってくれたんですね。うん、そんなクラスになったのは紛れもなく君たちが友達を大切にしたからだよ!と言いかけて、もう少しとっておくことにしました。毎日幸せです。

これはどうなの?

今回の記事を書くに至ったツイートになります。ちょうど今、「速さ」の単元の学習をしていて、ホットな話題だったので、引用しました。みなさんはどう思いますか?

速さの「はじき」


僕は幸いにも経験がないのですが、皆さんはいかがでしょうか。小学生の時に「はじき」を習いましたか?これって、一見すると「問題がすらすら解けて便利!」というように思う方がおられるかもしれません。また、教育関係者であれば、ただでさえ難しい「速さ」の問題をすらすら解けて、点数を稼げる方法として教えている方もおられることを散見します。ここに僕は一定の問題意識をもっています。

「はじき」の抱える問題


「はじき」を使うことで、一つ確かに言えることは、「速さ」の学習が、点数を取るための学習に変わることです。そして、確かな理解が無いまま一定数の子どもたちが大人になってしまうことです。皆さんは次の問いに答えられますか?

・「速さ」とは何ですか?
・「時速」とはどういう意味ですか?

また、次の問題は解けますか?
・「出発してから6時間で20km進みました。出発してから3時間の時には何km進んでいたでしょう。」

「はじき」の引き起こす問題


先ほどの問いは「速さ」の学習において、理解ができていないと必ずといっていいほど答えられない問題です。もちろん「はじき」で突っ走ってきた子どもたちは当然つまずきます。僕が言いたいことは「問題が解けなくなるからはじきはだめだ」というわけではなく(あくまでそれで困るのは「速さ」の学習をしている学生時代ぐらいです。)、論理的に考える思考力が育つ大きな機会を棒に振ることになるということなのです。

思考力を育てる貴重な時間


小学校においていわゆる「難しい問題」と言われる単元の学習(単位量当たりの大きさ、割合、速さ)は思考力が問われます。けれども問題とじっくり向き合い、数直線や図、言葉を使いながら考える癖をつけていくと、子どもたちは自ら考え、そして問題を解けるようになります。(実際、今自分のクラスで9割の子どもたちが「速さ」の問題を初めて見た時、数直線を使って解ききりました。)僕の指導が良いとかそういうことを言いたいわけではなく、ハウツーではなく、深い理解を促せば、汎用性のあるスキルを小学生にもつけることができるということなのです。

「単元を教える」か「単元を通して教える」か


単元の内容を教えることは大切です。九九ができていない子どもに「速さ」の問題は解けないでしょう。けれども、それ自体がゴールでないことは教育者であれば当然分かっているはずです。その単元を通して、子どもたちの人格の完成を目指すことが教育の本質であることは学習指導要領にも記載されています。

どんな子どもに育てたいかは親、教師、塾講師それぞれの思いはあると思います。しかし、大げさかもしれませんが、「点数さえ取れればよい」という歪んだ考えや、「これだけやれば大丈夫」という安易な考えをする子どもにしたくない。

教育に携わる者として、指導を振り返る貴重な時間になりました。


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