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虫のしらせ⇦

猛暑が続く今年の夏。
2023年8月11日(金・祝)今年は異常気象といえるぐらいの連日の猛暑日を更新した。
ここは東北。本州最北の地なのにだ。
夏は暑く、冬には雪が降る。この地もいよいよ住み辛くなってきた。そろそろ新しい新天地を見つけるべきか。そう考えてしまう。
慣れない暑さ疲れで今日は祝日なのに、動けなかった。せっかくの休みなのに動けない。
子供達も夏休み中。
どこかに連れていきたいが、身体がいうことをきかない。
午前中はエアコンの効いた部屋で本など読みゴロゴロ。
昼ご飯を食べまた、ゴロゴロ。
暑いとなぜこんなにも身体が動かないのか、不思議なくらい、いうことをきかなかった。
午後になり15:00になっても気温は落ち着かず夕方前なのに気温は33度を記録していた。
珍しく子供から「キャッチボールがしたい」と言われ、重い腰をとうとうあげるきっかけになった。僕は運動するのが好きだ。しかし、それでも今日はとても運動する気にならない。
テレビではこの暑い中高校野球甲子園の大会を放送していた。子供はきっとこの影響でボールを投げたくなったのだろう。
夏休みだし、しょうがないかぁ。とキャッチボールに付き合う。僕は起きたてのティシャツ1枚。ランパン1枚、の格好。頭には日よけの簾付きの帽子を被り近くの公園へ向かった。
1時間半ぐらいキャッチボールをした。
息子は久しぶりのキャッチボールで感覚を取り戻すのに時間がかかつた。
僕の頭上ぎりぎりへ飛んでいったボールをジャンプして何とか補球したが、段々とジャンプ力もなくなり僕は後ろへ逸らす事が多くなり暑さで汗を沢山かいた。
僕のへばりを気にして息子は「そろそろ終わりにしよう」と言った。彼は満足したのだろうか?
水筒のお茶を飲み帰宅道を歩く。
こうしてキャッチボールをし、2人だけで話をするのは久しぶりのような気がした。
何とか重い腰をあげるのも悪くないな、と思った。その時、、
「プスッ!」後方、左後お尻に何かに刺された。
痛い。針を刺したような痛み。こんな刺された感じははじめてだった。
僕は息子の前を歩いていた。
息子は何ともなさそうだ。
「プスッと」刺されて直ぐに手で虫を叩いて仕留めたはずだったが、死骸が見たくて探したがどこにも死骸が見つからない。おそらく逃げられた。
ランパンの中に潜りこんで肌から直接刺したのか、それともランパンの上1枚上から刺したのか、それも分からない。
正体がわからない虫ほど厄介なものはない。
これからの処置に困る。
とにかく刺された箇所がずっと痺れていて、何か異物感のようなものがあった。”何かお尻の中にもぐっているような‥”小石を尻に埋め込まれたような、そんな異物感。。
まさかと、思えど正体がわからない。
とりあえず家に戻り患部を消毒だけした。
息子は「とりあえず病院に行った方がいい。」と言う。確かにそれにこしたことはないけれど、今日はお盆入り。盆中にやってる病院は無かった。
通話料無料にしていない僕の携帯。。それでもやってそうな病院に電話をかけてみた。何件か看護師が電話対応してくれたが、受け入れはやはり出来ないそうだ。お盆明け16日にきたら?と言う。そこまで心配で待てない。もし、ツツガムシや、毒性の強い虫だったら後が怖い。
しょうがなく救急病棟に行く事にした。
久しぶりに行った救急病棟は救急用の入り口を探せなくしばらく辺りをうろついて、それでも分からなかった。丁度日勤終わりの看護師が簡易口から出てきたので聞いて救急病棟側の入り口から入った。すでに聞いていたが、今日の救急病棟は混んでいる。熱中症、コロナ疑い、風邪、怪我、火傷などだ。僕はしばらく待たされるだろう事は承知の上だった。持参した小説を読む事にしたが、座った長椅子にお尻が当たると痛い。ちゃんと座れないから本を読むにしても疲れてしまう。待ち時間さえ寛げない状態だった。しばらくして、名前を呼ばれる。緊張して医者がいる部屋へ向かう。「ずほんをおろしてそこのベッドにうつ伏せに寝てください。」
若い。非常に若い医者だった。
そっか、お盆中だから若い医者が任される訳か。
若い医者は僕の虫に刺された傷口をみて、触診し、ルーペで再度傷口を診て、「そんなに大した傷ではなさそうです。盆期間終りましてまだ気になるような状態でしたらどこか近郊のかかりつけ病院へ行って下さい」とだけ言った。
それだけ?
僕は「わかりました」といい。医者のいる部屋を出た。出た時に看護師がいたので、 
「今日の先生は担当は何科の先生ですか?」と聞いた。看護師は「皮膚科の先生で今研修期間中でございます」と答えて僕がちょっと傷が心配な話をしたら再度別の先生で診てくれると言ってくれた。そして、結局こちら側の先生も経験が浅く、同じような対応だった。僕は心配な旨を伝えたら炎症を抑える塗り薬と虫に刺された為アレルギー用の飲み薬を出してくれた。何事もこんなにしつこく言わないと何ももらえないものなのか、僕はちょっと疲れた。ただでさえ混み合って3時間ぐらい待たされたのだ。座るのにも尻が当たりちゃんと座れないし、そのような病院内での全ての成り行きを通してちょっと疲れてしまった。。

家に帰ると息子が心配して声をかけてきた。「とりあえず大丈夫だと思う」
と僕が言うと、「なんでお父さんだけが刺されたんだろう?僕も危なかったね。」
とだけ答えてきた。
遅い晩御飯を食べながらカレンダーを見た。そっか今日からお盆だもんなぁ。シンとした物音だけがある。既に夕飯時は過ぎていた。
部屋の中でご飯を噛む音だけが響く。少し間をおいて思い出すように気づいた。あー、もしかしたらこれは虫の知らせかもしれないなぁ。
”お盆は顔出せよ。”そうご先祖様が僕に向かって伝えたのかもしれない。
おかげさまでこの腫れたお尻を背負って歩ける行動範囲は限られてしまった。
今年のお盆は実家でゆっくりしよう。
そう、心に誓った。

2日後。8月13日。
気持ちは乗らないが、実家へ帰る事にした。
お尻が痛いから実家ならかえって何もする事なくゆっくりできるだろう。
日曜日とあって、ほぼいつもの親戚、いとこ一同が集まった。
姉や弟にはお尻の事は写メ付きで教えていた。もしかしたら今日は不参加かも、となるかも知れなかったからだ。
弟は「蜂じゃないの?」
姉は「虫ぐらい、大丈でしょ。いつもあなたは話を大きくするよね」と、昨日はどちらも相手にしない。そして今日も顔を合わせても僕のお尻の話題には触れなかった。ただ、母親だけは話を聞いていたらしく僕のお尻の腫れ具合を直ぐに診てくれた。元看護師だ。
母親は晴れ具合を診て直ぐに虫刺され用の薬を出してきて塗ってくれた。母親になら照れずにお尻だって平気で出せる。僕は小さい頃からあった、久しぶりのその処置に自然と一安心した。

天気は雨。明日も雨らしい。
夏の雨は激しく降る。
外には全く出れないような天気だった。
一同でそれでもお墓参りをし、
一同で昼食、兼夕飯を食べた。
僕は市場から新鮮な帆立とホヤと、生魚を買ってきてお土産はクッキーの詰め合わせを持参してきた。
弟家族は買い出しに行きスーパーの寿司と飲み物を買ってきて、弟の嫁さんがサラダを作ってくれていた。
姉はどこかに寄ってきて最近できた地ビールの店から地ビールを大量に買ってきていた。

会合が始まった。今認知症である親父が乾杯の挨拶をする。今年親父はとうとう長男である僕の名前をも忘れてしまっていた。認知症状は年を増すごとに悪くなっているのはしばらく父親に会わない僕にもわかる事ができた。
それでも僕らは怯む事なく、それをネタに笑いに変えて称え合った。
弟が普段家にいて弟嫁と一緒に父親の世話をしてくれていた。この久しぶりの再会で会わない時間を埋めるように日々の生活のネタを上手に話していく。
弟:この間さぁ、家の向かいにある無人家が台風で崩壊していて瓦礫になっているのに、親父が瓦礫山漁っていて困ったよ。使えそうなものをどうやら漁っているようで、うちの古屋の中に移動して持ってくるんだよ。それでさ、僕が親父に気付かれないように古屋の中に移動した瓦礫を再度元あった場所に戻すんだけど、知らない間にまたうちの古屋に持ってきているんだよ。それも一回きりじゃない。何回も何回も堂々巡りで終わらない。
僕がとうとう痺れ切らして力一杯出来るだけ遠く、下の下へ放り投げた瓦礫もなんのその、平気で再度持ち帰る。こりゃこっちが降参だったよ。一体どうやったらあんな瓦礫からあの歳(78歳)で持ってこれるのか。ほんと不思議でしょうがない。でもね、実際瓦礫を運んでいるところを誰かに見られたらこりゃ窃盗でしょ。よくないよね。
一同:笑^_^→沈黙。。
母親:瓦礫だけじゃない。なんか認知症になって収集癖のようなものが強く出てる。この間なんてね、賞味期限ギリギリの飲み物がやたら古屋の中にあるな。と、それも種類は様々で統一制が無くお茶やコーヒーやColaやサイダー。大きさも多種多様。そしてどれも汚れてる飲み物が大量にあって、それも日に日に増えていって、おかしいな。と思ったから、ある日に後をつけてみたのよ。
そしたらね、なんと墓地の中を彷徨っていて驚いて隠れて見ていたら墓地に備えてある飲み物を次から次へと自分の袋の中へ入れていたのよ。うちの古屋に大量に持ち込まれたあの飲み物達は、お父さんが墓地から拝借?してきたものだったのよ。なんて罰当たりな。
返すにも返しずらい。返す行為自体が今度は知らない人が知らない人のお墓に飲み物を置いていく。それも一面のお墓ほぼ全体に置いていく。お寺の人でもないのに。そんな行為は誰かが見たらおかしい行為だって直ぐに思っちゃう。
だから返すにも返せないのよー。
弟:古屋の中だって、色んな要らないものがあって後で捨てようと纏めておいてもそれが無くなったり。違うところによけてあったり、全く片付かない。
母親:亡くなった叔母にだんだん似てきて物を捨てられないどころか、逆に物に執着している感はある。それも私達にとってはゴミとしか思えないものを。
僕:可笑しいどころか、話を聞いていても疲れてきた。難しい問題だけど、親父は身体が丈夫なんだね。よくそんな体力あるなぁ。若い人がやっても結構な力仕事だよ。向かいの瓦礫山なんて歩くのでさえ難しいし、下手すりゃ擦り傷じゃすまない。それを難なくこなしているんだからなぁ。

そんな話をしながら
母親が時々親父にクイズを出す。
母親:お父さん。目の前のあの人の名前わかる?
親父は一緒に同居している弟の名前以外はわからなかった。去年は姉と僕の名前はわかっていて、姉にいる子供の人数、僕の子供の人数も分かっていた。今年は姉が連れてきた子供をみて、姉の子供だというのも分かっていなかった。
それでも母親と一緒に若い時に過ごしていた東京の思い出は次々と出てくるし、一緒に過ごした期間は5年だと。ジャストに当ててくる。おそらく良い思い出や苦しい時の思い出は紙に書いたボールペンのように消す事は出来ないのだろう。親父の矛盾した受け答えを隣で聞いていて思った。
『例えるなら、
”僕の名前はえんぴつで書かれたが、認知症という名前の消しゴムがあってその特別な消しゴムで僕の名前だけは消されてしまった。”
ただそれだけのような気がした。認知症という病気は莫大にある物書きの紙があって、歳とともに閻魔大王の様な判別員がいて、頭の中で所作選択をし、要らないものを、要らない記憶を消さないと命は生きながらえないぞ、と言う。だから”認知症”という名の延命装置の媒体のようなものを世の中に作った。そういうものかもしれない。そう、親父が生き続けられるなら薄い記憶は要らない。過去の記憶は大事なものだけでいいのだ。例えそれが長男長女の名前を犠牲にしてまでも。。』

倉庫でお盆ぐらい片付けをするか、と掃除をしていれば親父が入ってきて、「どなたですか?」と怪しまれる。他人が古屋に入った感触を直ぐに当てられる敏感さは凄いと思った。
それに、「どなたですか?」なんて、かしこまった丁寧な言い方は僕が知る限り親父が発話する言葉では無い。いままでは。そんな品のある言葉を知る人では無かった。それが、今ここで発せられる、と言う事。これはどういう事だ?認知症とはいったい?なんなんだ?物事を忘れることもそうだが、もしや、その逆転発想で新しい言葉も産んでしまうのでは?うん。おそらくそう言う所があるかもしれない。
度々こんな事もあったらしい。
弟嫁が帰ってきて、2階に上がろうとすると、同じように「どなたですか?」と、聞くことがある。彼女が丁寧に説明すると、親父は下に降りてきて、母親に「弟が彼女連れてきた。」と騒ぐらしい。母親はそれに対して毎回、「ええー!、?そうなの!Tもなかなかやるじゃないのー。」と親父に合わせて返すらしい。
何回、何回も同じやり取り。
進歩はないが、
この一字一句全く同じ会話を繰り返す事が認知症を悪くせず、維持しておく秘訣らしいと、親父と暮らす者一家族は信じているようだった。

夕方になり、姉が持ってきたクラフトビールでお酒が入った者たちは気持ちが気持ちよくなってきたようだ。色んな話題で盛り上がっている。僕は自宅に帰る身であるからノンアルコールだった。飲まない者は時間が経つと、飲む者から少しずつ会話も外されていく感覚がある。
僕はその空気を察して
「そろそろ帰るよ。あとはそちらも楽しんで。見送りは要らない。」と、伝えた。
帰り側に宮城県の叔父さんはどう?と何となく気にかかり弟や姉に問いた。
しかし、誰も連絡を取っておらず「わからない」と答えるだけだった。
昔僕らが小学生だった頃に夏休みによくキャンプに連れて行ったり、映画館に連れて行ったりした子供に対して面倒見が良かったT叔父さん。
独身の頃はこの実家に彼の部屋があり、しばらく一緒に暮らしていた時期もあった。
T叔父さんは2年前に脳梗塞を患わせ命は助かったが仕事が出来ない状態でいた。
昔から何かに縛られるのが嫌いな叔父さんは自ら会社をおこし少人数の大工で仕事をしていた。
唯一の仕事が生き甲斐の者に対して仕事ができなくなった。と言う事、それは”死”を意味する事でもある。仕事が出来なくなった今彼は酒に走り益々悪循環な生活をしていた。
毎年お盆の時期になると、こうして話が出る。皆心配なのだった。
「あとで、電話してみるよ。」と、T叔父さんの話題は僕の発した内容で一旦保留になった。

僕は実家から自分の家に戻り、シャワーを浴びて痛痒いお尻にさっそく軟膏を塗りたぐった。
その夜も強い痒みで3回ほど目が覚め弱く掻きむしった後眠りについた。
嫌な夢を見た。夢の中でもまた、虫の夢だった。。

虫刺され3日後。会社の日。
8月14日月曜日、一部の人間はお盆休みである。
僕の会社はお盆休みは2部構成に別れる。
前半休み14日〜15日の人と、
後半休み15日〜16日の人だ。
僕は後半休みである。段取り仕事なので、前半に段取りを取り後半休む。毎年のことであった。
今年のお盆は相変わらず雨続きであった。
それまでは猛暑。お盆だけ雨続き。明らかに気候がおかしい。そして、今日も雨だった。
会社のデスクに座る時のお尻が痛い。
腫れはまだひけなかった。盆中の病院には行くのをためらっていた。
大丈夫。そのうち治る。
そう言い聞かせていた。

明日は親戚の所に顔をだそう。
そして明後日は珍しく子供達がうちの実家に行きたい。と言う。連れていくことにした。

虫刺され5日後。子供を実家に連れていく日。
午前中早くやはり、病院へ行く事にした。
昨日も痒くて痒くて夜何回か、起き我慢できず患部やその周りを掻きむしってしまった。
痒い所が広がっていた。
刺された患部から腿内側の股関節の辺り、そして膝上まで。何に刺されたのか、そいつの刺した毒が刺した患部から広がっているような気がした。
「大丈夫か?」と言う怖さと、もう痒い思いはしたく無い。ぐっすり寝かしてくれ。と言う思い。が病院へ足を運んだ。ちゃんと診てもらって安心したい。と。
子供達には僕が病院終わったら実家へ行くから。と準備しておくように伝えた。僕が病院に行く時間になってもまだ、夏休みの遅い朝から目を開けずにいた。おぼろげに「ああ。わかった」と喋っていたが、ちゃんと準備するだろうか。何となく気にかかった。

お盆中の病院ははじめてかもしれない。
いつものように受付ロビーは活気があった。
看護師もお盆中なのに嫌な顔ひとつせずせかせかとアリのように働いていた。
受付時に「今日は混んでますか?」と聞くと、
「お盆中なのでそんなに混んでませんよ」と言う。僕はそれならサッと午前中には帰れるなと安心した。
受付を済ませ2階の皮膚科へ向かう。
11日の祝日の救急外来へきたものだから、今日もココ、大きめの病院での受診になる。長時間の覚悟はしてきたが、直ぐに終わりそうならこのリュックに入った文庫本2冊の出番はなさそうだな。と思考を巡らせエスカレーターに乗った。
2階の皮膚科の前に着いた。
座席は空きが数席しかないほど混んでいた。
早めにきた、と思っていたが、それよりも皆早い。こんなにも混んでいるのはココ皮膚科だけだろうか?しばらく状況を観察する。
看護師にちょっとしたアンケートを書かされて、紙を返す時に言われた。「とりあえず1時間は待ちますから宜しくお願いします」と。
それならと、早速持参した文庫本を広げる。1時間なら文庫本を読んで時間を過ごせる。まだ増しな待機時間だ。
太宰治の走れメロスの文庫から”富嶽百景”を読み、”女生徒”も読み上げた所でおかしい状況に気づいた。。全く人の流れが変わっていない。前席に座っている人。右隣左隣に座っている人。1時間経ってもなお人の配置がそのままである。囲碁や将棋やオセロに例えると、コマひとつがフリーズし、時間が止まったように同じ画面を突きつけられている感じだ。進まない一手が苛立ちを生む
”これじゃ1時間前と同じじゃないか”
僕は看護師の所へいき、「あの、診察始まっていますよね」と聞いた。
看護師は「はい。午前8時半から最初の患者さんを診察しております」と答えてきた。
診察室に目を配り人の気配を感じとって、その場は納得したが、どう見ても人の進み具合が遅い。
向かいの別科の方はこちらの3倍ぐらい捗っているように見えた。僕だけじゃない。うちら”皮膚科”の患者らは皆表情に苛立ちを隠せないようだった。本日の担当医の表示板に目をやると、K先生。と一名ばかりの名前が記載されており、別曜日もまた、同じ一名分の名前しかなかった。おそらくここの医者は一名で診察している。そして看護師。看護師もたった一名であった。奥室にもいない。この科の受付と診察の手元を兼用していて、ただ一名ばかりであった。
ようやく、とりあえず、この、遅い状況に気付き、遅い意味を知り、そして3時間後、もう昼に近い時間のあたりに僕の名前は呼ばれた。そして受診後にはとうとう、なぜに?遅く進む診察とは?という”原因”が解明された。では、こちらをどうぞ。。
看護師:はい。Yさん。どうぞお入り下さい。
僕:失礼します。
ただ広いだけの部屋にカーテンで遮られたベットがひとつ。そしてその脇にK先生のデスクがひとつ。先生は60歳こえてそうな印象を受けた。
先生:はい。それでは患部を見せて。パンツ脱いで。
僕:はい。
とパンツを脱いで思いっきり尻を先生に向けた。
先生:それで?どこさ?刺された所。
僕:赤くなっているでしょ。先生わかりませんか?
先生:ああーん?
僕:ここですよ。、先生。と指差してようやく気づいたようだった。診てすぐわかるはずなのに。。
僕:刺されたのはココですけど、おかしいのです。ココから徐々に赤みと痒い範囲がこの辺までどんどん広がってですねぇ・・・
と説明途中なのにK先生は、
先生:ああー。わかったわかった。もういい。この赤ポッチね。はいはい。おわりー。
と僕の話も聞かず触診もせず、ちょっと患部を目配せ何秒かしただけで診察を終わりにされた。。
3時間待って診察は1分足らず。。
そして僕は席を立とうとするとK先生は
看護師にパソコン画面を見て眉を細め
「これこうやって打っていいんだっけか?」なんてやり取りをしている。。
僕は納得した。遅い理由を。。
先生はパソコン音痴なのだ。
器用なはずの医者の指差し一本がパソコンのキーボードを不器用にパソコンを覚えたての子供みたいにゆっくりと打たれ、文字の画面はなかなか進まない。もはや医者の関心は目の前の僕じゃなく、パソコンの画面とキーボードだけだ。両者を何回も見合ってまるで餌を探す鶏の様に首が動く。。なるほどねぇ‥診察も単的に終わらせないと文字数が多くなる。それも貴重な診察を短くする意図であったのだ。
診察する時間よりパソコン処理時間の方が時間がかかり、そのパソコン時間が優先され、そして時間がかかっていたのだ。、だから患者は回らない。時間がかかる。診察は雑で一瞬。
僕は診察が終わり長椅子に戻ると未だ待ち続けている他の患者に暴露したくてうずうずしていた。
「あのさぁ、ココの先生は辞めた方がいいよ。あーでさぁ。こーでさあ。診察する意味ないよ。待つだけ損さぁ。」と。
皆、健気に待ち続けていた。真剣に。
僕も3時間そうしたように。
今回の虫事件。あのパソコン音痴の先生が言う通り”大したことない”にしておこうと。納得せざる得なかった。今回は救急外来で来た時からこういう星の流れだったのだ。自分に言い聞かせた。
それにしてもあのK先生。。自分がパソコン打ちに時間かかるから、と言って肝心な診察は蔑ろに適当に時間短縮に使うのは腹ただしいことに思てしょうがなかった。何か告発文など回収できるアンケート箱なぞあったら書きたい衝動に駆られたが、そんなものは一切どこにも置いていなかったし、僕も今日はそんなに暇では無かった。K先生のクレーム告発はとりあえず保留にしておいてやる。助かったなK先生よ。となった。
エスカレーターで今度は一階に降り、会計の為に少しばかり待たされた。
背の高い長い茶色の髪をした筋肉質の女の子が目についた。僕はその姿勢が良い若い女性の側に何気なく座りちらりと彼女を観察した。彼女はその筋肉質の太腿を上に脚を組んで携帯電話をいじっていた。太腿は茶色に焼けていた。それは機械で焼いたように綺麗な焼かれた茶色だった。普通足首まで筋肉がついてもなかなか目立たないものだ。しかしこのコはしっかりと足首まで筋肉が付いていた。間違いない。このコは筋トレが趣味の筋トレ女子ってやつだ。僕はこの貴重なコとの偶然の出会いに話をしたくなった。
僕は我慢出来なかった。下心は無いとは言えない。ただ、今話かけないとまたひとつ後悔が増える。そう思った。
僕:あの、筋トレしてます?
変な第一声だった。しかし、僕には自信があった。どう見ても筋トレが好きで好きでたまらない。そしてボディメイクには一生懸命だ。それには間違いない。僕もよくジムにいくし、会社にはボディビル大会の東北チャンピオンがいる。僕も興味があるのだ。よく話をしている。そして、そういった経験から分かる上での声かけだった。
彼女:はい。
僕:やっぱり。直ぐにわかりましたよ。どこから見てもかっこいいですもの。しっかり鍛えてらっしゃる。その部分が見え隠れしている。例えば足首。その足首の筋なんてなかなか出せない。
彼女:(携帯うちながら)趣味ですから。
僕:僕の会社にね。最近東北チャンピオンになった人がいてね、、
彼女:会計の時間になったのに気付いてドンとその筋肉を使い俊敏に立ち上がって無人の会計機械へと進み、いなくなってしまった。
僕:まぁ、こんなものでしょ。一言二言もらっただけで良しとしよう。
これも鍛錬だ。この繰り返しで自分という人間が女性にどこまで通用するかの、目安がわかっていく。全く相手にされなくなった時。それが僕にとっての雄を止める時にしよう。
何事も分かりやすく。自分を扱いやすく。そうしたら欲が出ても自然と押さえつけることができる。変に気取らなくても良くなる。女性に対しては今が1番中途半端。上手く行く時はいく。そこが厄介なのだ。、変に欲が出てしまうからだ。
お盆中なので人があまりいないタイミングに助けられた。もしこれが人が多い中で誰か知り合いに見られていたらしばらく皆の噂の的になっていた事かもしれない。子供を持つ親にしては見境ないハレンチなことをしたかもしれなかった。いわゆるダサい事かもしれなかった。しかし。僕はまだ雄だ。女性にはまだまだ話しかけたいのだ。一瞬の駆け引きみたいなものもまだ狙いたい。そういう五感のようなものは研ぎ澄ましていたい。そう理想するのだ。なぜか?そう。人生折り返し地点。もう後悔する事は無しにしたいのだ。思い立ったら吉日。こんな出会いは二度とない。そういう瞬間は大事にしたい。

気持ちを切り替えて午後1番に実家へ向かった。
子供達は僕の言った事を覚えていてちゃんと準備をしていた。
子供を連れ二度目のお墓参りをし、二度目のお盆実家訪問をした。
誰かが特別いる訳でもない。
親父とお袋がいるだけだ。
それでも子供はなぜココに来たいと言ったのか?不思議でならなかった。夏の高校野球を観ながらお袋が出したお菓子や飲み物を飲み、持ち込んだ携帯電話で遊び、それだけで帰る時間になった。普段と違う特別な事といったら飼い猫と少し遊んだぐらいであった。
僕は看護師である母親に今日の午前中のK先生の話をした。笑っていた。患部が痒いなら今晩はアルコール控えなよ。と言われた。
僕は子供たちが携帯電話で暇を潰している間にこの間電話してみる。と言ってかけていなかった宮城県に住むT叔父さんに電話をかけた。
「トゥールトゥール‥この電話はお客様のご都合により‥」僕や母親が電話しても同じだった。T叔父さんには連絡のつけようがなかった。一体どうしたのだろう。Googleでこのアナウンスがどういうことを意味するのか調べてみた。
”支払いが滞った場合や、、”と出てきた。
それには思い当たる節があった。母親と段々と心配になってきた。母親が、
「昔から仲良くしてきたT叔父さんの姉に電話してみたら?」と言う。僕は電話してみた。
ルー、ルー、ルー、ガチャ。
K叔母さん:もしもしー。
僕:あっ、ご無沙汰です。Yです。
K叔母さん:あらぁ。Y。久しぶりねぇ。
色々と話をし、ようやくT叔父さんの話題を出せた。
僕:連絡取りたいのだけど携帯他の連絡先はわかります?
K叔母さん:私もその携帯しか分からないの。あとね、T叔父さんにはもう連絡を取らなくてもいいと思っているの。なぜなら去年ね、T叔父さんの奥様からね直接電話があってね、奥様がいうにはね、T叔父さんは仕事出来なくなってお酒に走り、弱い脳梗塞になり病院に運ばれたことがあった。それでもお酒はやめられず口喧嘩は終わらず、私達は離婚を考えています。とりあえず私はもう我慢の限界です。この家をでようと思ってあなたに電話しました。彼はひとりでは生活できません。そしてそれを知っている上で私は家をでるのです。もうあの人のことは放っておいて下さい。あの人の事をどうするかはあなた達にお任せ致します。さようなら。と電話があってね。
私そのあとT叔父さんを叱ったのよ。あなたがだらしないから奥さんが出て行ってしまったのよ。、って。そして私も腹がたってそれっきり。なのよ。」と。。。
T叔父さんはどうしているのか。
生きているのかいないのか。
それさえも分からないのであった。
それにしても人と言うのはがっかりさせられる面も沢山あって嫌になる。
小さい頃から協力し合い、仲良くしてきた兄弟でも人間性の嫌な面を見てしまうとグゥーっと距離をとってしまう。口からは心配だと言うが、心からは心配していない。それが先程の電話から読み取れた。僕だって叔母さんとは長い付き合いだ。それぐらいわかる。叔母さんはこうも言っていた。「いい大人のする事だから落ちぶれたら落ちぶれたでそれは本人の責任だから私は関与するまでもないのよ。ごめんね。兄弟なのにあなたの方が心配しているようだけど。私は私の事で精一杯なの。」と、。
”その意見もわかるけど、それは過去に知る僕の叔母さんではなかった。”
T叔父さんは毎年昔からお盆に帰省してすぐ寄るのは叔父さんの母親がいるこの僕も住むおばぁちゃんのいる実家だ。しかし、その夜泊まるのは僕の家では無く、今電話していたK叔母さんの家だった。
それだけ仲良かったのに。。
その電話を切り、ふと思った。
お尻。。
もしや、このお盆中の虫刺され騒動は”            ”虫の知らせ”
T叔父さんの知らせ。ではないのか?と。
T叔父さんはSOSを出している。
そう僕には思えてしょうがないのだ。
8月11日。ちょうどお盆に入る日だった。
僕はお盆休みを利用してT叔父さんの安否を確認しに行くべきだったのだ。きっとそうだったに違いない。
”虫の知らせ”そう。僕が虫に?刺された時、虫の死骸はどこにも姿を見つけられなかった。どんな虫かもわからないし、刺されて直ぐに叩き出した僕の手のひらは虫を叩いた感触もない。
虫は服の上から刺したのか?
服の中から刺したのかも分からない。
今思うと謎めいた感じもあった。
T叔父さんの安否を確認したい。
そういう思いに気付かされると向かう気持ちには正直になった。
うん行こう。
近いうちに行かなくちゃならない。
実家から自宅までの車の中、子供を乗せ帰り道を走ると子供達は2人とも寝た。静かな帰り道になった。
夕時。帰り道を走る静かな車の中で僕はT叔父さんの事を考えた。
この暑い夏は凌げているんだろうか?
携帯は止められて
電気は止められていないのだろうか?エアコンは?想像しただけで怖くなった。
それにしても、こんな盆中にしっかりと”虫の知らせ”を痛みを伴って受けた僕は直ぐにでもT叔父さんの元へ向かうべきはずなのに行こうとしていない。なぜなんだろう。明日は盆明けの仕事だからとか、交通費がかかるから、とか、天候は豪雨になるな、とかそんな事ばかり考え脚は遠のく。
面倒なのか?
巻き込まれたくないのか?
弱い自分に愛想が尽きる。
直ぐむかえ、今ならまだ間に合う。そうかもしれないのに。。
こういう時なら仕事なんて休みを取り、直ぐに彼の元へ向かうべきなのだ。

この世にあって無駄なものそれは移動距離だ。

移動距離がこういう状況に壁を作る。
遠いから。だとか、
今日中には帰れないから。だとか、
今からじゃ間に合わないから。だとか。
うるさい。早くそこまで移動させてくれよ。
そう言いたい。距離は最大の壁になった。
その夜深酒をした。
母親からは今晩はアルコール禁止よ。、と言われたのに。いくら飲んでも酔えず、目は冴え、お尻は痒くならなかった。
そう。お盆は終わってしまったのだ。。
助けられたor助けられなかった。それさえも分からない。
その後悔が胸を押してくる夜だった。
深夜になった。
雨は降りそして止んだ。
今雨が止んだ瞬間を知るものは僕を含み何人ぐらいが気付いているんだろう。

虫刺され6日目。出勤日。
宮城県に行かないと。と思いながらも普通に仕事をしている僕。なんて白々しいんだ。
今週の土曜日、上司は予定があるから出勤するという。2人で出勤するのもアレだから、、ということで土曜日は休みになった。
おお。これも何かの運だ。土日2日休みなら行けそうだ。T叔父さんのもとに。

家に帰り、週末T叔父さんが心配だから様子を見に行こうと思う。と、嫁さんに伝えたら嫁さんは「事情は分かったけど、近くに誰かいないわけ?なんでわざわざうちが行くのよ。あなたひとり行くのだってただじゃないのよ。お金がかかる話なんだから。T叔父さんの奥さんに行ってみて貰えばそれで済む話じゃないの?」と。いつもながら簡単に同意をしない。
女性はなぜこうも現実的なのだろう。
いつも思う。肝心なのは一刻を争う事かもしれないのだ。T叔父さんの奥さんに見てもらうのはそう簡単じゃない。既にT叔父さんは見捨てられているのだ。それにT叔父さんの奥さんの電話番号も知らないし、連絡のとりようもない。
うちの妻は「こういう時の警察でしょ。警察に電話してT叔父さんの家に行ってもらったら?」ときた。
ああー、嫌になっちゃう。なぜ女性ってのはこうなんだろう。
なんとか、土曜日にT叔父さんの家に行く事を予定を立てたつもりだったが今度は嫁さんは土曜日じゃなくて日曜日にしてくれ。ときた。
「私、友達とランチに行くから。土曜日はあなた子供の面倒を見てちょうだい」ときた。
ああー、なんてスムーズに行かない世の中なんだぁ。。やはり距離は意志をも塞ぐ。。

虫刺され8日目。T叔父さんの安否を確認しに行く日。
とうとう虫に刺され1週間が過ぎた。患部はだいぶ腫れが引けたが、まだ痒いし痒みはまばらに広がっていた。
今日は日曜日。明日は仕事だから帰りが遅くならないように朝5時に出発した。T叔父さんは果たして生きているのだろうか?
日は既に明るい。もう少し早く出発してもよかったかな?と到着時間を予測した。
今出発したのだから10時ぐらいにはT叔父さんの家に着くだろう。道中は長い。ひとりで長い距離を走る。色々と考える時間がある。とりあえず、
嫁さんが気にしていた移動までの金額を計算してみた。
高速料金が¥13,560(往復)とガソリン代が約2万円かかる。どこかのパーキングで朝食と昼食と夕食代がそれに加わる。叔父さんの安否を確認しに行くだけの交通費で約4万円かかる。こうやって言われてみると、嫁さんの言い分も確かにわかる気がする。うちの毎月の経費は決して安心できるものではなかったし、長男の今年の高校受験は下手すれば私立になる。そうなるといよいよヤバいのだ。
岩手県に入った。岩手山のパーキングで一休みする。僕の車は古いフォルクスワーゲンだ。長男と同じ歳。2009年モデルだ。僕と同じように南に下る車は段々と増えてきた。今日は日曜日でゆっくりお盆を過ごした人はおそらく今日が最後の連休になるだろう。日曜日の早朝のパーキングはいまだお盆の雰囲気をどこか纏っていた。他県ナンバーの車、子供を連れた家族連れ、ブランド品を見にまとったカップル。トイレは微かに香水の匂いがした。香水なんてこの辺じゃ都会の人しかつけない。特に男性は。。
これから250キロぐらい走るのだ。
一応ボンネットを開け冷却水とエンジンオイルの量と、漏れが無いか確認する。段々とウォーターポンプが壊れてくる時期だ。マメなチェックをしても壊れる時は壊れる。去年はラジエーターの液漏れを修理した。長い距離を走るのはこの車でははじめてだ。パーキングエリアに寄る度に同じくチェックしていこう。
今回は長距離バスで移動する方法が1番リスクが少なくお金もかからない移動だった。しかし、バスは時間がかかる。4時間半、行きだけでかかるし、出発時間は遅いし、帰りのバスの時間も間に合うか微妙だった。もし、叔父さんになにかあったとしたら帰りのバスの時間は到底間に合わない。もし何かあったら車なら深夜の移動でなんとか帰って来れる。だから、今回の移動は車にした。確かにリスクはあった。
後で色々と考えた。レンタカーならどうだった?とか、やはり高速バスで前日移動ならどうだった?とか。
物事には計画は絶対必要で重要だ。
今回は計画が甘かった。やはり行き当たりばったりはトラブルを生みやすい。。
最初のパーキングで一連の点検を終え車に乗り込む時チラリと後輪のタイヤが目に止まった。
「あちゃー。いつの間にこんなに。。」
2年前に前輪のタイヤ2本は交換していた。僕の車は前輪駆動なので前輪のタイヤが減りやすい。
しかし、後輪のタイヤは前輪のタイヤに比べてまだもつだろうと、後ましにしていた。次の年に変えようと後回しにしていたのをうっかり忘れていたのだ。忘れていた後輪タイヤは角は丸くなり溝もほぼ何ミリも無い、まるでレーシングカーが履くタイヤのようにのっぺらとしていた。。

宮城県の前の山は豪雨注意報が出ていた。
高速道路の大雨はハンドルが効かなくなる。
これはいよいよ危ない。危機を感じた。
僕は引き返す事に決めた。とてもこの状態で暑い30度代の気温で高速をかっ飛ばせばタイヤは持たない。この辺の近所を走るわけではない。これから往復約600キロの道、ほぼ高速道路を走っていくのだ。
僕は自分の準備の甘さに腹が立った。
お金が無いから、と後回しにしてきた事をこうやって忘れて、いざという時にその時のツケが回ってくる。事故はこういう時に起きるのだ。普段会社の中で皆に言い聞かせている立場なのに、自分自身には全く響いていなかった。甘かった。。

ただただ目的地に到達する訳でも無く自宅に舞い戻ってきた。このまま引き下がる訳にもいかない。T叔父さんの安否の確認をどうやったらこの遠隔地で出来るのだろうか?ふと、
嫁さんが言っていた「こういう時の警察でしょ、、」を思い出した。。、これしかないか、、最後の神頼み→最後の警察頼み。。
結局嫁さんが言っていた事が正しくなってしまうのか、そうなる事を認めたく無い。嫁さんの言う通りなんかしたくなかったのに。。

自宅に着き駐車場に車を停め、そのまま車内で考えこんで直ぐに仙台市のいくつかあるうちのT叔父さんの家に近そうな警察署を選択し電話してみた。
トゥルルー、ルー、ルー、
「ハイ」「何々交番何々派出所です」
硬そうな声と硬そうな言い方。そうだ。僕は警察に電話しているんだな。いかにもそこ以外考えられないような喋り方だ。
僕:「あの私ドコドコに住むナニナニというものですが、今回どうしたら良いのか分からなくてココに電話しました。対応外ならすいません。」
僕はできるだけ単的に分かりやすく伝えようと言葉に気をつけた。
警察は事件性が無いと動かない。話をしてもらえるだけでアドバイスをもらえるだけで今回は上出来とする。それが電話の目的だ。僕はそう自分に言い聞かせた。頭の中では”T叔父さんの家に行ってもらって安否を確認してくれよ”そう言いたくて、言葉が頭をグルグルと吐き出されないように回り続けていた。
警察:「そういうのはですね、誰か行ける人が直接行って確認して下さい。警察は便利屋じゃありません。この高齢社会の世の中。皆んなのこう言う言い分を聞き、ボランティアのように高齢者の安否を仕事の片手間で確認しに行く事は警察の範疇では無いのです。冷たいと思われるかもしれませんがこちらも追っている事件も有りますので、対応外になります。分かって下さい。」
彼は電話を切りそうになったので、僕は大きな声を出した。
僕:住所だけ、せめて叔父の住所だけ控えておいてもらえませんか?住所を言います。ナニナニのナニナニ、、。そして僕の連絡先は電話番号090-✖︎✖︎、、。名前です。僕は彼が焦らないようにゆっくりと大きな声を発して彼に伝えた。
電話口の受け答えで、彼の仕事の生真面目さは伝わってきた。彼ならおそらく、僕の行った住所をちゃんとメモしていて、彼の時間の合間や仕事の通りかかった時などT叔父さんの家の様子を見てくれる。僕はそう信じた。

虫の知らせ‥
お盆はじめの今回の虫の知らせ‥は
お盆もすっかり終わり
酷暑が続いて終わりも見えた
秋の入り口9月になってから”答え”が返ってきた。
僕が予想した通り、その生真面目な若い?警察官はT叔父さんの家に行き、とりあえず住んでいるか?家にいるのか?見てくれた。そしてちゃんと僕に電話までくれた。
”答え”は‥家にいた。らしい。
生きていた。
警察官もそりゃ急に叔父さんの家に押しかけたら周りの目もあるし、気を使う。どうやって確認したかどこまで詮索したのか?そこまでは僕も彼の好意から細かい事は聞かなかった。それに彼も現役の警察官だ。
その家に人が住んでいるか、中で人が倒れている気配がするか、はわかる。そういうお仕事だ。僕は彼の言う”家にいた”を信じたいと思った。
この酷暑が続いていた今年の夏。ちゃんとT叔父さんは乗り切って生きたようだった。
どういう生活をしているのか?
ご飯は作れているのか?
酒は絶っているのか?
補聴器なしの耳は聴こえているのだろうか?補聴器は既に2回も紛失しているから今は無い状態で生活しているはずだ。おそらく携帯が繋がらないのも、耳が聞こえないから無意味だ、と契約を解除?(それならアナウンスは流れないか、)したのだろう。
今度は寒い冬が来る前に僕から叔父にその疑問を解いてもらいに訪れに行こうと思う。
今度こそちゃんと叔父に会いに行こうと思う。

虫の知らせ‥
お盆には様々な不思議な事が起きる。僕は経験上それを信じている。
今回の虫の知らせも、きっと何か意味があるはず。
虫に刺され、痛くてどこにも行けなかったお盆だけど、そのおかげで実家でゆっくりでき、T叔父さんの安否にも行き着いた。
お盆には虫を殺すな、とひとつの言い伝えが昔からある。盆には海に行くな、引っ越しは厳禁、そのような言い伝えのひとつだ。
”ブスリ”と刺した時、俊敏に僕は刺した箇所を手で叩いた。その虫の姿はどこにも見当たらなかったが、果たしてその時虫は死んだのだろうか?それとも僕の俊敏さを上回る速さで何処かへ飛んでいってしまったのか?
それはわからないが、今回の感触として後者だった気がする。
どこからかきたその虫は僕に程よい程度の毒を注入し、ちょうどお盆が終わる頃に腫れは引け、毒も中和された。それを計算するかのように。僕を刺した。
それは本当に姿カタチをともなった虫であったのだろうか?
僕には不思議でしょうかない。

たまにはちゃんと実家へ顔出せよ。
たまにはちゃんと子供の顔を見せろよ。
お墓詣りはしているか?
今現在ちゃんと存在している親戚、従兄弟も高齢だ。ちゃんと会って安心させておきなさい。
おそらくそう言っている。
まさにうちの親父がそうじゃないか。
認知症を発症。
今年はとうとう僕の名前も分からなくなった。
周りの環境はどうだ?
身内のまわりは皆んな年老いたものばかりだ。
親、兄弟、親戚、従兄弟。
皆いつまでもいるのが普通だと思ってないか?
自分が歳をとっているように、皆んなも歳老いている。段々といなくなってしまうのだよ。
自分と血の繋がったものにほど甘え、理解し合い、励まし合うことができる。
今一度、面倒くさいと思わず。
ちゃんとそういうものに向き合っていくんだよ。

みえなかった”虫”は腫れという熱を持って僕にそう言い聞かせてどこかへ飛んでいってしまったようだ。
そして、次は誰かのお尻を狙っている。

【2023年8月のお盆に感謝】





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