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僕からのマイブロークンマリコ

50歳を目前に人前でトークショーのMCをした。

僕は昔から映画が大好きだ。
小学生低学年の時は金曜日ロードショーで放映された「映画ジョーズ」を見た夜は風呂にも入れず、次の日の体育授業でプールにも入れなかった。
水のある所にジョーズはくる。プールに入っているクラスメートが次々とジョーズに襲われる映像を繰り返しプールサイドからいつでも逃げられる体勢で1時間頭の中で真面目に想像していた。

またある日は「黒澤明監督 乱(らん)」
真っ白い顔 真っ白い髪の毛ボサボサの幽霊のような爺さん武将と迫力の城が燃えさかる映像は恐ろしく頭から離れず何度も夢の中でうなされた具合の悪くなる一品だった。あまりのリアリティーに映画の世界は現実なのだ。そう信じていた。

そんなこんなで映画好きが大人になると上映会ワークショップという名のもとに活動するようになる。なぜか?
この世の中、何でもかんでも無くなる世の中になって、さらに歯止めが効かない。食い止めねば。

映画館
本屋
昔からの食堂
ガソリンスタンド
釣具店
服屋
自転車屋
駄菓子屋
CDショップ
DVDレンタル屋
おもちゃ屋
楽器屋
カメラ屋さん…

ザッと並べてみると趣味のお店ばかり無くなっているのに気付く。

娯楽がない都市は犯罪が多いと聞く。
日々のストレス社会で精神のバランスをとる。それは趣味の世界あってだからだ。
いや、趣味と言えば言葉が軽い。
皆それぞれの娯楽から社会勉強、人とのコミュニケーション、大きな夢を描く、などを学ぶ事が多いではないか!
ただでさえ人との関係が希薄になった現代。
人の集まる場所がどんどん失われて行く。それでいいのか!とひとりで言っていても何も変わらない。
自分が人生の中で必要としてきたものはきっと誰にでも必要なものだ。


今僕に出来そうなものが、先ずは今回参加した市民が集まり市民でつくる映画上映会ワークショップだった。
8月にワークショップの説明会があり、
数回のミーティングと後はスマートフォンでのやり取りで昨日12/14に実現!!

映画の無い街で映画を上映できたのだ。
映画は「マイブロークンマリコ」
観客数110名
ワークショップメンバー9名
後援:白マドの灯り 約10名

思えばカタチになる。
願えば力になる。

ひとりでは”思うだけ”が、人が集まれば”何とかなる”のだ。
重要なのは発信すること。
発信者の声を聞くこと。
賛同すること。
行動にうつすこと。
あとは流れる 自然と。
何故か?同じことを考え同じ夢を持っている人たちが一緒にいるからだ。
これを読んで同じように感じている人がいるならくればいい。または集めればいい。同じ”同志”たちを。

そして変えてくれ。この世の中。社会を。小さな力で。

何年振りかに髪を染めた。
いつもは月に2,000円しか髪にはお金をかけない。
衣装は2時間クローゼットを漁り埃を被った大学生時代のジャケットを見つけた。
久しぶりに着たら体型の怠さを感じ落ち込んだ。
着るとパッツンだったが、映画を沢山時間のある限り観ていたあの大学生時代を思い出し、やはり映画のMCならこのジャケットかな。と決断した。

髪を染めた次の日
出社すると何人かに気づかれ、からかわれた。
ひそひそ「女でもできたか」なんて言われてね。
そんな反応も面白い。

中古屋でトムフォードの伊達眼鏡が1,6000円で売っていた。
とりあえず試着したらしっくりきた。
トークイベントにあやかって久しぶりに高い買い物をした。
今年の僕のクリスマスプレゼントだ。
ボーナス月じゃないとこんな思い切ったことはしない。

鏡を見て、久しぶりに外見が気になった。
服もしばらく買っていない
ファッション
体型

来年は外見も少し気にかけような。と誓った。

今回の上映会で覚えたステージ言葉がある。
・舞台袖
・鍵穴
・ステージへ出る合図を鳴らすベル
新鮮だった。

〈舞台を”人の身体”と捉えている だから”袖”という〉
〈隠れた場所から映画のON OFFの重要なスイッチがある。やはり肝心なタイミングは”人”の手で行う〉
〈照明や機械装置 飛行機でいうコクピットだ〉
〈”鍵穴”と呼ばれる音響装置 レバーを上げ下げしてアナウンスのボリュームを調整する〉


トークゲストを楽屋に案内して本番前の打ち合わせ。
これも新鮮だった。
迷路のような楽屋までの数歩
言葉遣い
世の中の役者さんはこんなやり取りをしていて、そして映画の中の映像から僕ら、子供から大人までを心から魅了するんだ。


今回の上映会で僕が担当した部分は
チラシ配り
タイムスケジュールと役割分けの作成
トークショーシナリオ作り
トークショーMC
だった。
シナリオは自分で作った。ふたりのMCで交互に進めるパターンだった。
相手方と何回も読み上げ意見交換をしたにも関わらず、本番ではそのシナリオ通りに行かずに、半分ぐらいはその場の雰囲気で変わってしまった。焦った。

すてられないシナリオ


反省は色々あったけれど楽しかった。
何が楽しいか?って?
大好きな映画を上映できた喜びよりも、
皆んなで手を取り合って同じ目標に向かうそのワイワイ感がたまらなかったかな。
大きなものを動かすその一つの噛み込む部品になった感覚。皆んな一人一人がいるから動かせる事ができた。
そして次はもっと大きなものを動かそうとする姿勢。
理想は大きく計り知れない。
きっと僕らならできるだろう。
そんな気がしてくる。
(参考文献:アメリカ ジュリアン・ホルトランスタッド心理学教授 の研究では”社会的なつながりを持つ人は、持たない人に比べて、早期死亡リスクが50%低下する。という結果を発表。人は人と接する事で喜びを感じる生き物なのかも知れない。孤独が健康面において最大のリスクになると、彼は警鐘を鳴らしています)

〈今回の上映会にコメントで答えてくれた漫画家”平庫ワカさん”問えばこたえてくれる。それは心と心が通じた証拠〉

やってみて思う。もっと若い時からやっておけばなぁ。と。
だから若い人には声を大にして言いたい。
これからのコミニティーや君の住む街を変えていくのは君たち次第なんだ。という事。
いや街だけじゃない。
世の中を変えられるのも君たち次第なんだ。

「この街は何もなくて面白くも何ともない。だから僕は都心へ行く」
じゃないんだ。
それは大人になった昔の僕のセリフだ。

結局その場所に行っても変わらないよ。
理想郷は自分で創りだすものなのだから。

同じ理想郷を創りたい者は集まってくる。そしてそんな皆んなが集まれば創れる。
それがおっさんには50年かけて理解できた。

世の中戦争に影響されて人生が終わる人もいるだろう。
そんな戦争を創り出したのも同じ”人間”だ。
僕らと何ら変わりない。

今目の前に何も無いからといってオアシスを求めるならとりあえず目の前の地面を掘ってみればいい。ひとりでは労力がいるけど、皆んなで掘ればすぐに確かめられる。
簡単に手に入ると思いオアシスにようやく辿り着いた所でひとつの水を取り合う戦があるかも知れない。
それなら先ず目先の可能性に労力を使ってからでも遅くは無い。
先ずは手を動かしてみようよ。

これからのおっさんには限られた時間と年々衰える筋肉しかない。
それはやる事が限られる。という事だ。
僕には先が見えている。
それなら逆に若い力の向く方向を定める役に回りたい。

この上映会はその号砲の合図としたい。

映画マイブロークンマリコ
マリコは”ぶっ壊れた”
けれど、一度壊れたものは”再生”するしか無い。

世の中の戦争もいつかは壊れ尽き、終わる時がくる。肝心なのは”再生”する時だ。

その時は宜しく頼むよ。若者よ。


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