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速すぎるインターネットは思考を奪うー遅いインターネット

#遅いインターネット   #PS2021 #読書感想文 #PLANETSCLUB

インターネットが普及する2000年頃、弊害として万能感を持つことや現実とインターネットの世界と区別がつかなくなることを世論は危惧していた。しかし現実起こった弊害はフェイクニュースの拡散・匿名を利用した誹謗中傷・情報商材屋の温床である。加えて情報リテラシーがなぜ必要かがわからない人がインターネットを使い、自分の頭で考え判断している現状も予測から外れた弊害のひとつだ。

インターネットは便利なツールであることは言うまでもない。学問では簡単に世界中の文献を見ることができる。メールやLINEで相手の不在を気にせずメッセージを送ることができる。献立に困れば料理サイトで今ある食材でできるレシピが見つかる。
だが情報リテラシーを持ってインターネットを使いこなしている人は、ほんの一部だ。
ほとんどの人は流行りに乗り遅れてない自分を演出するため、他人に対するマウントのために使っている。わざわざインターネットを使って、根も葉もない噂話や他人の言動をお茶菓子代わりにつまむ井戸端会議をしている。井戸端会議ならまだ会話のキャッチボールができるが、インターネットは自分の言いたいことを相手が聞きたいか関係なく放り投げている感じだ。
例えばTwitterで他人の意見をあたかも自分の考えのようにツイートして、自分の意識の高さを確認し思慮深い人間だと錯覚する。Facebookでイベントや旅行に行くリア充ぶりを投稿して他人に自慢する。Instagramで流行りの店や料理などをアップして、流行に敏感な自分を演出する。
そういう人たちは発信するツールがなくても近くにいる人にリア充を披露して、相手の話を聞かないマシンガントークをしているのはよくある風景だ。

インターネットが普及すれば人は思考を深め、意見の違う他人と有意義に議論できる建設的で生産性がある行動に変わるはずだった。World Wide Webの文字通り、国境をまたいで情報を集め議論ができるはずだった。
しかし現実は真逆で、考えさせないための道具として普及した。
学生のコピー&ペーストでできたレポートがいい例だ。課題でレポートが提示されると、学生は課題のテーマで検索をして、ヒットしたデータからそれらしき文章をコピー&ペーストしてレポートを仕上げる。
そこには自分で考えた文章は少しもない。課題レポートを提出して単位を取ることしか考えてない。
考えているとしたら、課題レポートをさっさと仕上げてアルバイトに行くことかサークル活動に参加するかだ。

情報を得るには早ければ早いほどいい。しかしその情報が適切でフェイクやデマゴーグでないことが前提だ。インターネットでは情報に速く触れられるが、多くの人は触れた情報が適切か吟味することなく丸呑みして他人に伝える。情報リテラシーを持たない人が情報に速く触れることもインターネットの弊害だ。
宇野常寛氏が宣言し計画・実行している「遅いインターネット」は、一見情報化社会に逆行している。
「第4章遅いインターネット」を熟読すると、時代の流れに取り残されることを恐れてトレンドに乗り発言することが自分で考え判断することの弊害が詳しく綴ってある。
なぜ自分が安心して自己肯定感を得るために情報に乗り遅れてはいけないのか。果たして流行りの情報は自分に必要なのか、溢れかえる情報になぜ巻き込まれなければならないのか。
一旦自分に迫ってくる情報を断ち切ることができるのだ。流行りに乗り遅れないこと情報に巻き込まれないことに弊害があるだろうか。
インフォデミックな今だからこそ、立ち止まって考えなければならない。
自分で考え判断することは短期間でできることではない。考えることや判断することを他人任せにせず、自分でするのは時間や苦痛が伴う。
でも情報に巻き込まれないことは、自分の心の穏やかさにつながる。
情報に振り回されず他人の顔色をうかがわないことで、自分の居場所が分かり自分と向き合うことができる。
流行りの情報に乗らず人付き合いが悪くなるより、上辺の付き合いに振り回される方が孤立している。
早すぎる情報に振り落とされないようにしがみつくのは、ただ自分の心を消耗させるだけである。

四角い箱の中の文字や画像では、世界を素手で触れることはできない。
自分で考え行動しないと、世界と触れた感覚は得られない。
目的地にむかうルートを検索したら、目的地に向かう過程を体験することで世界を素手で触れられる感覚がわかるかもしれない。
そして目的地に向かう体験は自分だけの物語と情報になるかもしれない。

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