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風と共に走りぬ

100回以上読み返した小説がある。
装丁は擦り切れた部分をセロテープでせっせと補強し、表紙は手垢で黒ずんでいる。保存用観賞用布教用自慢用に4冊持っているから、1冊は思い切り読み潰すぐらいでいい。最近は再読する頻度も減ったが、それでも年末から年明けにかけては毎年何度か読み返していた。
ありきたりに言ってしまえばわたしの人生のバイブル。好きな部分はそらで言えるし、読む度に違う部分に共感して感銘を受ける。
三浦しをん『風が強く吹いている』(新潮社)とは、そういう本だ。

あらすじは至ってシンプル。半数以上が素人の10人きっかりで箱根駅伝を目指す話だ。なお、『10人きっかり』にぴんとこなかった人は『箱根駅伝 何区間』でググってから出直してきてください☆
彼らには才能があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。ど素人から箱根駅伝を走れるタイムを出せる力はあったが、その箱根駅伝で区間上位の快走、とまでいったのはごくわずか。エリートランナーの少し手前でつっかえているその他大勢のうちの1人、と言ってしまうのは乱暴だろうか。
この小説には主題がいくつかあると思っている。少年ジ●ンプ的感動物語もそのひとつ。そして同時に、全く逆の『努力神話の否定』だ。

努力は必ず報われると信じていたのはいつまでか。まぁ少なくともサンタを信じなくなるよりは後だろうけど、大人の階段をのぼりながら、途中で躓いたり踊り場まで転げ落ちたりして気がついていくのだろう。
それは必死に練習した部活動でずっと控えのまま引退したときであり、勉強して勉強した挙句受験に失敗したときだったりもする。
解説部分に著者の話が載っていた。

私自身、報われなかったのはがんばらなかったからだという考えに納得がいかないからです。才能や実力のない人に到底たどりつけない目標を与えてがんばらせるのは、人間を不幸にすると思う。できる、できないという基準ではない価値を築けるかどうかを、小説を通じて考えてみたかった。報われなかったからといって、絶望する必要はないんじゃないか、と

実際、作中で思い切り登場人物に言わせちゃってるしね。
努力ですべてがなんとかなると思うのは、傲慢だということだな
って。
この言葉を何度も何度も、気が狂うほど反芻していた高校時代がわたしにもありました(遠い目)。ゆとりでもさとりでもなんでも言いやがれ。そういう言葉に救われる夜が、人生のどこかにあったって別にいいだろう。

とはいえ、結果が出ないことを、怠惰でいる免罪符にできるわけではない。主人公の片割れ、チームを導く立場のハイジもそんなに寛容な奴ではなかった。たびたび強権を発動し、根気よく寄り添い、努力をさせた。報われない虚しさと努力を促す姿勢は、別に矛盾はしないのだ。
努力は必ず報われると説き、報われないのならそれは努力とは言わないと切り捨ててくだすった王貞治とは真逆。王さんのストイックさが悪いんじゃないけどさ。報われない努力はあると認めた上で、それでも頑張る理由を与えてくれる温かさが、この本にはあった。

100回以上読んだ結論はこうだった。
報われないことは努力をしない理由にはならないが、努力の終着地点は自分で決めていい
人生に勝利の形が決まっていないように、走ることにだって自分のゴールをつくっていいのだと本のモノローグで彼らは何度も言った。
スポ根小説は友情、努力、勝利に基づいて少年ジャ●プしてもいいが、そんなに単純じゃなくても面白い。
今年の箱根駅伝にこの本に憧れた少年がエントリーされていたけど、走れたのかはわからなかった。限られた勝利の椅子を争うのが競技である。勝者の何倍も敗者がいるのは当たり前だ。なんならスタート地点に立てなかった者だって多くいる。
それでも、報われても敗れても、戦ったものは美しい。それがスポーツじゃなくたって。そんな単純で尊いことに気づかせてくれる、何度読んでも美しい小説だった。
年末、きっとまたこの本を開く。そのときわたしは何を思うのか、毎年楽しみにしているのだ。

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