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東北地方が好きな理由(第3回)

※この記事は東日本大震災の内容が含まれています。

2017年3月10日。
生まれて初めて自分の意思で東北地方を訪れた。

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親戚も知り合いもいない東北。
そういえば秋田に遠い親戚がいると聞いたことがある。僕が2歳の時に一度会っていると聞いているが、そんな小さい時の記憶があるはずがない。

「東北とは無縁」

そう言ってもおかしくない。

それなのに小さい頃から東北に惹かれていた。

僕が幼稚園児か小学校低学年の頃、こんな将来の夢を掲げていたことを思い出した。

「秋田新幹線こまちの運転士」

実に子どもらしい夢だ。
兄が電車好きだったこともあり、僕も少々影響を受けていた。
何故「秋田新幹線」なのかは覚えていないが、おそらく『電車でGO』というゲームで秋田新幹線が登場していたからだと思われる。
当時はE3系だったなぁ笑

ただ、秋田に行く用事など全く無いので、秋田新幹線に乗ることなど一切なかった。
というか東北新幹線ですら乗ることはなかった。

新潟の親戚の家へ遊びに行く際、必ず大宮駅から上越新幹線に乗っていた。
隣のホームから出発する東北新幹線の車両を観ては

「いつか必ず東北新幹線・秋田新幹線に乗ろう」

そう思っていた。

そして、この頃から

「いつか秋田という場所に行ってみたい!」

そう思っていた。
この話についてはまた後日書こうと思う。

こんな風に無縁でありつつも“縁”を感じていた僕に、ある出来事が起きた。



2011年3月11日。東日本大震災。

当時僕は小学6年生。
卒業式を間近に控えていた頃だった。

その日はいつも通り授業を終え、5時間目に同じ登校班の人と一緒に帰る一斉下校の日だった。
同じ登校班の人や家が近所の人でそれぞれ教室に集まり、先生から登下校時のマナーや防犯対策などのお話を聞かされていたのだと思う。

先生の話も終わり、あとは校庭に全校児童が集合するだけという時、少し揺れ始めた。

同級生の女の子:「ちょっとこれヤバくない??」
俺:「そんなことないよ笑。大丈夫でしょ。」

そう言った瞬間、
大きな音と共に、揺れに襲われた。

急いで机の下に潜り、揺れが収まるのを待った。
ただただ何もないことを祈りながら。

揺れが収まり、顔を上げた時、先生が教室のテレビを点けていた。
そこに映っていたのは海岸線に色が付いた日本列島だった。
これから何が起きるのか、全く想像出来なかった。

埼玉県の中でも僕の住んでいる地域は震度5弱だった。
何とか下校し、家に着くと停電が発生していた。

何とか情報を仕入れるため、母親が携帯でテレビを観ていた。
それを一緒に観させてもらった時、そこには大津波の映像が流れていた。

深夜になり停電が復旧した。
テレビを点けるとそこには様々な地域の津波の映像が映し出されていた。

僕はどこか無力感を感じていた。
縁もゆかりも無いけれども、どこか悔しかった。苦しかった。

何か力になりたい。
そう思っても自分にできることはホントに小さな支援しかなかった。

そんな時、ふと思った。

「大人になったら必ず東北へ行こう。」

これが僕が東北を好きになった理由。
僕が一人旅をしようと決意した理由。


次回は冒頭に書いた2017年3月10日のことについて書きたいと思います。



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