シンギュラリティーは人間の脳で起こる。〜「創造と狂気」から考える脳のマイニング〜
AIが人間を超えるというシンギュラリティーの図式には、ずっと違和感を感じており最近読んだ本や論文、ディスカッションから考察を一歩進めることができたので記していきたい。
脳の10%仮説と脳のマイニング
脳の10%仮説というのは非常に有名な話で、人間の脳は10%ほどしか使われておらず未使用部分の潜在能力を開放すれば知能を向上させることができるという話だ。
この仮説に関連し脳科学者の茂木健一郎氏は「脳はマイニングされるべきナチュラルリソースであり、スーパーコンピューターと比べた場合のエネルギー効率の観点から考えても脳を酷使することが目指すべき方向」との意見発信を行っている。
このことについて実際的な方向性としては、テクノロジーやメディア環境、情報によってコンピュテーションが行われることで、脳の活用範囲を拡張するという方向に論が進められる。
しかしながら、古来から脳の持つ潜在的な能力がナチュラルに爆発的に発揮された事例は報告されている。
ここでは一旦回り道をして帰納的に別なる考察を模索する。
狂気が引き出した創造性の実例
ジャック・ラカンという精神分析家は論文で症例エメという事例を取り上げている。
エメは統合失調症を患った女性であるが、彼女が症状が出始める直前に記した小説があり、この小説が非常に優れた文章であり詩的価値の高い芸術的な文章であったのだ。
この女性は元々文才があったわけではなく、病気の発症が引き金となり文才が引き出されたと考えるのが自然である。
また著名な画家草間彌生氏が統合失調症を患っていたことは有名で、症状が出ているときに一番の創作能力が発揮されていたとのことだ。(薬を服用し症状を抑えた瞬間絵が描けなくなったとの訴えがあったという。)
(草間彌生 無限の彼方へかぼちゃは愛を叫んでゆく 2017 草間彌生美術館 ©YAYOI KUSAMA)
マックス・ウェーバーの社会学上の類まれな著作の数々は、うつ病に罹患後大学教授の職を辞した後に書かれたものであることは有名な史実である。
また卑近な例としては、中堅レベルの学力の高校生が統合失調症を発症する直前に受けた模擬試験でいきなり全国1位を獲得した事例も報告されている。
狂気と創造性の考え方
こういった現象の捉え方として、論理的に考えれば以下の2つのスタンスがあると考えられる。(実際の学術的な議論でも左様である。)
①精神の持つ原初的な機能が、上位中枢による抑制がきかなくなったために現出するようになった。(これをジャクソニズムと呼ぶ。)
②精神病によって何らかの「プラスの恩恵」がもたらされた。(先述したラカンはこちらのスタンスをとっている。)
つまり創造性が精神病に関わらず(何らかの機能不全によって)表出したのか、精神病それ自体によってもたらされたのかというかなり本質的な問いである。
精神医療の先端はどこにあるのか?
一旦創造性の議論への考察を保留し、テクノロジーと相まってどう冒頭の議論に繋がっていくのかを見ていく。
現在精神病治療では、脳に直接電気や磁気による刺激を与えることでうつ病などの症状をコントロールするといった手法が用いられている。
近い将来、ウェアラブルデバイスによって脳の中枢神経系を24時間モニタリングし、生じた不快をその都度対処することが可能になる。
このテクノロジーの進化の一歩先を考えると、創造性の原初たる(かもしれない)精神的な異常がコントローラブルになり弊害がない形で、人間の創造性の拡張が出来ないだろうか。
つまり脳の使われていない領域の中で、ナチュラルに精神病理によって散見されてきた創造性を司る部分を精神病治療のテクノロジーによって刺激し解放することができるのではないかと考えている。これは一種のマイニングなのではないかと考えられないだろうか。
シンギュラリティーとは何か。
冒頭の議論に戻ると、シンギュラリティーは実はAIの進化ではなく、人間の脳の酷使を可能にすることによって実現するのではないかと考える。自動運転や火星移住など現状走っている革新的とされるプロジェクトは複雑な要素が絡み合いながら、実現に向かわなければならない。これはAIではなく拡張された人間の脳でなければ解くことが出来ないのかもしれない。
人間が頭に思い浮かぶことは、必ず実現する。
よく言われることであるが、この前提に立つとするならば人間の創造性を開放し、想像力を拡張することで信じられないような未来を実現できるのかもしれない。
参考文献
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