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29歳

仕事が忙しい。こなす量が多いとか、時期的に忙しいとか、責任あるポジションに就いているとかではなくて、死ぬほど残業があるってわけでもないけど、強いて言うなら、無能な上司が私達の業務の妨げになっていて、それをカバーするために奔走していて、夏からずっと頭が痛い。そんな環境でも人は育つ。この人のようになりたいと思える人がいる。真剣な思いは通じると信じさせてくれる人がいる。悔しくて泣けるくらい向き合えるのは、私の性質だけが理由ではない。少なくとも前職ではそういう風には働けなかった。私はこの仕事に向いていると思う。

1年以上彼氏はいないけど、絶えず相手がいた時よりも、うんと幸せに過ごしている。「自分を大切にする」がどういうことかようやく分かって、社会に出て6年半もの間、如何にそれができていなかったか痛感した。実家にも2ヶ月に一度帰るようになった。こういうのは人に言われて理解できるもんじゃない。しかし着実に学んでいる。フロムを読まなくたって愛は身につけられる。実際できている。たった一人の特別な人との出会いが私を幸福にするはずだと昔は信じて疑わなかった。今では、私以上に私を幸せにできる人はいないと確信している。その上で、やっぱり他人と生きたいと思う。家に帰って、今日あったことを話せる相手がいたらなあと思う。5歳の私が安心できる居場所が、自分の外にも持てたらなあ。そこは、運と縁とタイミングにまかせる。

思いを行動に換えられる人にはやはりどうしても惹かれる。そばにいる人を見遣ると、私もその類の人間なのだと改めて実感する。そして、案外私の行動の矢印は外に向いている。この10年で、6年で、3年で、たった1年で括ってみても、私は確かに変化しているけれど、「思いは行動で示す」という人生の指針は、もう長いこと変わっていない。変わりたいとも変わりたくないとも今は思わなくて、それがとても心地よい。ただ、この指針にずいぶんと助けられてきたことは確かで、これからもそこが支えになるのだと思う。

年齢を聞かれる度に年中「今年〇〇歳になります」という答え方するのやめよう。そのせいで、28歳のほとんどを29歳の気持ちで過ごしてしまった。若さに価値を置いている方ではないけど、28歳としての一年をどっかに置き忘れてきちゃったみたいで、なんか損した気になった。今度からは実際の年齢をきっぱり答えることにする。立派な目標なんてないけど、それが今一番のめあて。あとは好きにやろう。

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