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明治、江戸・・・昔はペットと人間はどんな関係性だったのか調べてみた

この記事は25Holdings Japa代表の藤田が毎週のはじめに日本メンバーに向けて書いているWeekly Blogを一部修正して掲載しています。
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4ヶ月ぶりにシンガポールへ戻り小6の息子に会うといろいろと衝撃があります。
急に声変わりし渋めボイスになり靴のサイズもほぼ私と一緒。食事もいつの間にか私の茶碗を使うようになり、驚きと喜びを感じます。
ただその一方で、本気で勝負した”スピード(トランプのゲーム)”で敗北。。。まだこの現実をうまく消化できていない今日この頃です。

さて、今回のテーマは「昔のペットと人間の関係性について」です。

ペットと人間の関係性はどうあるべきか

先日弊社の株主にインタビューをされているときに、我々のミッションである「ペットと人間の生活をより密接にする」の話をしていたら、インタビュアーの方からそれは「ペットと人間の関係を再デザインするという事ですね」と言われたときに、「関係性を再デザイン」の表現に何かしっくりと来た感じがありました。

ペットが家族化している現代の風潮の中で、そもそも「ペットと人間はどういう関係であるべきか?」を考えています。自分の中で答えはまだありません。

「ペットと人間の関係を密接にしたい」とは思っていますが、ではどうやって密接になるべきなのでしょうか?

これは地域による違い、それぞれの文化の違い、宗教の違いでもどういう関係性になるのか変わってくるものです。どれか一つの関係性やスタイルを強要するのではなく、その時代や土地、文化、環境によって、あるべきペットとの関係性を尊重する。
そんなことが大事だと思っているのですが、まだ漠然としています。

ペットの歴史を調べたくなった

そんな漠然とした想いと問いがあったので、「よし、ペットの歴史を勉強してみよう。」と思いました。まず読み始めたのは、「犬たちの明治維新 ポチの誕生」仁科邦男 著。これが面白い。

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この本には日本の出来事としてこんなことが書いてありました。

”・・・・明治の「畜犬規則」により、飼主の住所、氏名を書いた名札をつけていない犬は、すべて野犬として撲殺されることになった・・・飼主がいて、飼犬がいる。人と犬の関係が、すべて「個」と「個」になった。“ (引用)

とあります。しかし、江戸時代、そしてそれ以前は、「里犬:村里に養われている飼犬」が一般的で、

”・・・飼犬といっても個人で飼っているわけではない。村里に養われている。・・・里犬は、村では村の犬、村犬になり、町では町の犬、町犬となる。・・・町犬は野良犬とは違う。町犬は長屋や横町、お寺や神社など、そこの住人や顔見知りの人から餌をもらい、不審者が来れば吠え、共同体の一員として暗黙のうちにその存在が認められている。・・・”(引用)

要するに地域の一員として、しっかりとした役割を持ち、人間と一緒に生活している。働かざる者食うべからずといった感じでしょうか。役割をもち、皆で面倒をみて、一緒に生活することで、ただ「飼う」ことではなく、どこかその存在を尊重するような、共同体の一員として一緒に「生活」している情景が想像できるのです。

これもペットの存在を尊重し、愛し、共に生活するスタイルととして一つの形だなと。

これはペットと人間の関係性を考えた時に、とても面白く興味深い事実でした。そしてこのような文化は当時ヨーロッパやアメリカから日本にきた人間にとっても、驚いた状況だったようですので、日本特有の文化だったのかもしれません。

その時代、国、土地、状況によって、ペットとの関係性は変わる。それぞれを尊重しながらも、どういうペットとの関係性をデザインすればより幸せなペット生活を暮らせるのか。答えを探す旅はとても長くなりそうですが、ペットの歴史、文化をもっと勉強しようと思います。

昔は町犬の役割があったように、現代の犬や猫にも何かしら役割があるように感じます。皆さんにとってのワンチャンや猫ちゃんはどんな存在ですか?

写真について

ペットと人、地域や環境との関係性を感じられるとても素晴らしい写真でしたのでメイン画像として使用させていただきました。
また、私たちの日本のオフィスは鎌倉にあるため勝手ながら親近感を感じました。
素晴らしいお写真をありがとうございました。

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