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【読書感想文】「アンのゆりかご」 村岡恵理


読書感想文を書こうと思い、書きは消し、書きは消し、を繰り返しました。
私の一番嫌いな夏休みの宿題は読書感想文です。

そんな言い訳はどうでもいいのですが、このままでは一向に書けそうにないので、書けるようになるまでは手書きのジャーナリングを文字に起こしたものをここに投稿してみます。




「赤毛のアン」の主人公アンは、なんでもない日常を自分自身の想像力を働かせて色をつけていく。目の前の景色をより明るくしようとするのは、彼女が幼少期過ごした暗い孤児院での経験からなのだろうか、と考える。

あるいは、孤児院で「個」として自分のことを見てもらえなかったために、なんの変哲もない道や池に名前を与えることで自らの欲望を満たしていたのかもしれない。

「アンのゆりかご」村岡恵理
カナダの文学を「赤毛のアン」として日本語に翻訳した村岡花子(1893-1968)の生涯を描いた作品。恵理氏は花子氏のお孫さんにあたる。

貧しい家庭で育った花子氏だが、10歳のころ、華族だらけの私立のお嬢様学校に通うことになる。彼女の父親は当時の社会からは“進んだ”思想の人物で、ほかにたくさんきょうだいがいるなかで花子のみ教育の機会を与えられた。給費生として寮で生活をしながら学校に通う花子は離れて暮らす家族に後ろめたい気持ちを抱えながらも、目の前の勉強に一生懸命に取り組む。

家族に会えなくて寂しい気持ち、目の前には視界いっぱいの大好きな本、だけど書かれている文字は英語なので読めず、ここで私が頑張らねばと自分自身を奮い立たせる思い、でも華族のなかでひとり給費生、たった10歳の少女の心のなかの重圧はいかばかりと思うと涙が止まらなくなる。

心が揺さぶられるのは彼女の出自が貧しいからだけではない。
彼女が生きた時代はまだ女性の社会進出が進んでおらず、女子高等教育も参政権も確立していない(制度としてはできつつはあったけれども)
「女子大学」が全国に多く存在するのはこういった時代背景からなのだと、自分の知識に厚みが増す。

「赤毛のアン」が世に出回ったのは1952年。直前は第二次世界大戦。言論統制が敷かれ、英語は「敵国語」のため所持している英語の書籍は隠さねばならない。翻訳したくても物資の不足により紙が足りない。現代と当時の翻訳環境の違いは、辞書が紙かデジタルかだけではない。現代より自由がなく、世間体を気にしないと生きていけなかった。そんな時代に花子はいくつもの作品を翻訳した。彼女のひたむきな勤勉さに感銘を受ける。

70代で初めての渡航を経験するが、通訳が不要なほどの英語力だったそう。
私も、がんばらねば。

起承転結や盛り上がりのある作品が流行る当時の世の中で、ただゆるやかに日常が流れていく「赤毛のアン」を売り込むのは躊躇った。けれど、その日常のなかの美しさこそが美しいのだと確信し「赤毛のアン」を売り込むことを決めた。

初めての翻訳が出版されてから70年以上が経過した。それでも熱い読者がたくさんいるのは、花子氏が売り込むことを躊躇ったその世界こそ人々が求めているものだから。

煌びやかなものを無理やり創り出さなくても、お金をかけなくても、海の向こうにわざわざ探しに行かなくたって、すぐそこに、目の前に、見つけようと思いさえすれば美しさは見つかる。

もしかしたら、目の前ですらなく、自分の中にあるのかもしれない。

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