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自分の人生も大事にしている彼女とこじらせ母娘の関係(トートバッグはもう買わないと決めたのに)

ハンドメイドのバッグ
友人が栃木へ移住してショップのオーナーになり、現地で出会った方と結婚。お店の開店時に遊びに行った時の思い出。
パートナーがハンドメイドバッグでブランドを展開していると聞いたのでオーダーすることに。
それが10年くらい前のこと。
天然素材で編み込まれたバッグ。今でも丈夫でまだまだ使える。私はかなり荒い使い方をするほうだと思うが、ほつれたり穴が開いたりせずしっかりと結んだまま頑張ってくれている。

10年も経つとあたたかみのあるべっこう飴のように変色し、一見小ぶり、でもマチが円形で大きいから、お薬手帳だって薬もらっても余裕で入る。
そのまま本屋に寄って「マイバッグ持参で」と本も買える。

柔らかくてくたくたになった

その後、受注が多くて生産が追い付かず、オーダーを止めているとか聞いた。生活に生産が食い込んできて重くなってきた。
得意なことは活かしたいけど、そればっかりになって普段の生活に支障が出て息苦しくなってしまってはきっとそれって持続可能ではないからね。
優先順位は人によって違う。
自分は人生で何を優先するか。

もはやレアな一品になったこのトートバッグはそんな彼女のストーリーが少し入っているような、遠くの地で私のために頑張ってくれている。

ハンドメイドのトートバッグに母から譲り受けたスカーフを

母のスカーフ
母親が難病と闘うことになり、体の自由が利くうちにといろいろな物を譲り受けた。
バーバリーのスカーフは母親のキャリアの証のひとつだ。
バリバリ働いているときに自分で稼いだお金で気に入ったものを買う。
化粧品、身の回りの物はかなり高額な物を使っていたように思う。


母・これいる?

私・私はスカーフはしないから

母・そうなの、他に欲しいって言ってる人がいるからいいわ。


母と私は身に着けるものの好みが違う。
私はしっかりとそう思っているけど、母は娘とは好みも似ているはずと思っているようで。
「なんでいらないって言うの」とよく言われた。
母が好きなものは必ずしも「私も好き」なのではない。
これいる?たくさんの物を持つ母は終活のひとつとして断捨離。
そのほとんどを私は「いらない」と言った。

私がもらったもの
もう壊れかけている古い傘、絶対着ないな、と思ったトレンチコート。
そしてスカーフ。

スカーフはやはり首に巻くことはなかったけど、自分の人生も大事にしている栃木の友人のパートナーが作ってくれたトートバッグの持ち手に結んだ。
中に入れた物を隠してくれる蓋、ほこりよけ、
お守りのような存在。

バッグは十分持ってるはずだから、
「もう買わない」と決めていたのに買ってしまったミドルの憂鬱。



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