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アートを知らない私が、アートについて考えてみたら

「生まれ変わったらまた自分になりたいですか?」
もしあなたが今この質問を投げかけられたら、どう答えるだろうか。

咄嗟に「YES!」と言える人生に、正直とても憧れる。
私だったら、少し考えて、でも「・・・NO」と答えてしまうかもしれない。

だけれど、「自分のことが嫌いですか?」と聞かれると、そんなこともない。少し、矛盾しているだろうか。

この数年は特に、自分に自信を持つために、今ここに在る自分を確かめるかのように、手探りの旅をしてきたように思う。つまづいて、転んで、たまに立ち上がれなくなって、誰かのおかげでなんとか立ち上がって。少しずつだけれど前に、一歩、また一歩、と進んできた。  
パンデミックによる自粛生活が始まる前までは、世間的にも清く正しく、かつなるべく多くの人に足を運んでもらえるようなイベントや展示を実現したいと思い、仕事をしていた。
どうやったら大勢の人が楽しめるだろう、納得してくれるだろう、シェアしてもらえるだろう。"良い声"をたくさんもらえることが善だと疑わなかった。でも、この1年半以上の間、その願いを持ち続けることは、とても困難だった。

久しぶりに仕事を早く切り上げたある日、ふと立ち寄った本屋で、とある本のポップが目に入った。

目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

ーー 一体、どうやって『見る』のだろう?
シンプルな問いと共に、私は満月の夜に出会ったサツキさんのことを思い出した。

「見えなくてもね、お月さまの輝きって、わかるものなのよ。三日月も綺麗だけれど、やっぱり私は満月の夜が好きだわ。なんだか、気持ちが、すうっと落ち着くの」

サツキさんの声に導かれるように、私はこの本をふわりと手に取った。

筆者である川内有緒さんと、10歳年下のマイティさん、そして全盲の白鳥さん。この3人とときどきゲストによる、アートを巡る旅。
ボナール、ピカソ、ボルタンスキー、大仏、体験型作品……絵画だけではないアートの旅に、読者である自分も気がつくとあれよあれよ、と一緒に回っているかのように導かれていく、不思議な本だ。

白鳥さんは、目が見えない。だけれど、確かに一緒に作品を見ている。見る、よりもっと深い。全身で味わっている、と言ってもいいかもしれない。
目の前にある作品がどんな形のキャンバスで、そこにどんなものが描かれているのか、どういう色でどんな風に見えるのか……有緒さんとマイティさんの説明トークが軽快でテンポ良く、面白いのだ。

例えば、こんな具合に。

(有緒) うーん、馬だね。馬が下を向いているんだよ。
(マイティ) え、どの馬のこと? 馬は二頭いるよね?
(有緒) そうだよね、白いのと茶色いの。じゃあ、こっちの右側が闘牛士かな
(マイティ) そう、きっとひとだよね、なんか闘牛士の上にテントみたいのがあるんだけど。
(有緒) これ、テントじゃなくて布じゃない?
(マイティ) ああ、そうか。これで闘牛してるんだね。でも、闘牛って普通、牛は一頭だよね?
(有緒) そうだったかな。
(マイティ) スペインで闘牛見なかったの?
(有緒) 見てない。でもメキシコでは見た気がする。あー、でも全然覚えてない。
ー 『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』p.21-22

これは、ピカソの≪闘牛≫という作品についての2人の会話である。
混乱すればするほど、白鳥さんが楽しそうにしているのがよくわかる。

読み進めるにつれ、私はある人物を思い出さずにはいられなかった。
母である。
例え自分の母でなく近所のおばちゃんだったとしても尊敬するだろうと思えるほど何でも器用にこなす、私にとって神のような存在なのだが、特にアートの才がすごいのだ。

私がまだ幼い頃、寝室の白い壁紙に黒のマッキーで描かれたドラゴンボールのキャラクターたちを見た時は、度肝を抜かれた。今にも動き出しそうで、それはまるで本物……だった。イラストだけでなく、そこらの景色を絵の具でさらっと描くことも容易く、きっと「ダヴィンチの絵を真似て描いたら賞金あげるよコンテスト」があれば、金賞を取る作品も描けるのだと思う(もちろん、そんなことはしないのだけれど)。
ただ、当の本人にとって絵を描けることはさほど特別ではないらしく、作品を大事に保管しておくようなこともしない。ドラゴンボールもそうだ。壁紙を変える際、あっさり「ああ、あれ?捨てたよ」と聞いたときに「なんて勿体ないことをしたんだ!!!」と私が三晩後悔したくらいだ。

そんな母とアートを見に行くことは、これまで何度かあった。最後は、もう何年前だろうか。有名な画家の作品が一堂に会する展覧会だった。

「わあ、見て、これ。すごいね!」
アートに詳しくない私は、休日に美術館に行くということがただ楽しくて、少しはしゃいでいたのだと思う。
「どこがすごいと思う?」
自分の温度感よりずっと低いトーンで聞こえる母からの問いに、私はきょとんとした。
「ええっと……こんなに有名な絵画が日本に来ているってこと、かな」
「そもそも、なんでこの絵が素晴らしいと言われているんだと思う? 実際に見て、あんたはどう感じる?」
「うーん、そうだなあ。まずは、色が綺麗かな。ここの黄色がとても鮮やかで、絵なのにキラキラしているみたい。空の色……あっ、よく見ると、こっちに小さな人間がいるようにも見えるけど…」
思いついたことをポンポン口に出していく私を横目で見ながら、母はふむふむ、と頷いていた。
「この作者は、どうしてこの絵を描いたんだろうね?」

私は、絵画を見ながら深く考えたことがなかったことに、その時初めて気がついた。見方がよくわからなかった、の方が正しいかもしれない。"あの有名絵画、ついに日本上陸!"というキャッチコピーを見れば、それがなんとなく珍しくて凄いことなんだ、と解釈して見に行くことはあったけれど、見終わった後の感想は「なんだか凄かったね」くらいのものだ。その作品がいつ、どうやって、どんな背景で描かれたもので、どうして良いと感じるかなんて、あまり考えたことがなかった。

首をひねって答えあぐねる私を見兼ねて、母はこう言った。
「イマジネーションよ、イマジネーション! 何事も、想像力がないとダメよ。アートって、『凄い』とか『綺麗だ』とか一言で表現されることもあるけど、100人いれば100人違うように捉えるものだと思うの。いいと思う人もいれば、そう思わない人もいる。例え、それが有名な作品だったとしてもね」
「なるほど……。ところで、母さんはこの絵をすごいって思うの?」
「うん。だって、私には描けないもの」
「じゃあ、自分には描けそうだなーと思ったら、その絵は」
「すごいとは思わないね。ハハッ」
あっけらかんと笑う彼女を見ながら、私は再びきょとんとした。
「でも、自分には到底思いつかないようなイメージや作品に出会ったときは、全身がゾクゾクッとするよ。感動するし、すごいって思う。知らない世界を知ったり見たり体験したりすること以上に、ワクワクすることってないでしょ?」
静かな美術館で私にしか聞こえない位の声で囁かれた言葉は、その後もずっと頭に残っていた。

同じ場所で同じ作品を見ていても、感じ方が異なること。作品が描かれた時代や背景、作者の気持ちを想像すること。自分の感情を、言葉にしてみること。それから、他人が感じたことを、言葉で受けとめること。このコミュニケーションこそ、アートの醍醐味だってこと、私は知らなかった。

1番の発見は『アートの楽しみ方は目で見るだけじゃない』ということだった。


「それまで絵とか全然興味なかったんだけど、全盲の自分でも絵を楽しんだりできるのかなって思って。それに、盲人が美術館に行くなんて、なんか盲人らしくない行動で、面白いなって」
ー 『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』p.48

白鳥さんは、ほかの盲人がやっていないことだからこそ、美術館に行ってみたかったのだという。そしてその一歩が少しずつ、周りの人を巻き込み、大きな大きな輪となって、今や視覚障害者と一緒にアートを見るワークショップも複数開催されている。
きっと、ワークショップに参加して、作品を見ながら白鳥さんに言葉で伝えようとすることで、自分でもわからなかった視点に初めて気づいたり、実はきちんと見えていない事実に驚いたり、ドキドキワクワクする人が、たくさんいるのだと想像できる。

だって、こうしてみんなで作品を見る目的は、正解を見つけることでもなければ、白鳥さんに正しい答えを教えることでもなく、ましてや、全員が同じものを同じように見ることでもない。
それよりも、異なる人生を生きてきたわたしたちが同じ時間を過ごしながら、お互いの言葉に耳を傾ける。そうして常に「悪」とされる鬼だって、ときに涙を流すことを想像してみる。たぶん、それだけで十分なのだ。
ー 『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』p.160

筆者のこの言葉にたどり着いた時は、首がもげそうになるくらい頷いてしまった。

自分が見ているものが正解で相手が見ているものは間違っているとか、何が正しくて何が間違っているとかではない。
その瞬間、その場所で、同じ作品を見て、何かを感じている、同じ時を過ごしているという事実。
それこそが、尊くて大事なものなんだってこと。

この数年感じていた「違和感」の正体に、たどり着けた気がした。



パンデミックによって美術館に足を運べなくなった時、有緒さんは「ストリートビューでオルセー美術館を訪問しよう」と提案した。3人のオンライン鑑賞会はどんな風になるのだろう、と想像していたけれど、白鳥さんはバーチャル鑑賞は気が進まないと言い、実現しなかった。後々、有緒さんがその理由を白鳥さんに尋ねると、「自分が存在している感覚が希薄だから」と語っていた。

この章を読みながら、私が去年、自宅でオンラインコンサートを観た後に襲われたときの"あの感覚"に少し似ているかもしれない、と思った。

待ちにまったコンサートだから、自宅が会場とはいえ、ライブ音を聞きながら自分の部屋で歌って踊って騒いでいる瞬間は、最高に楽しかった。けれど、終わった途端、目の前に現実がドスンとやってくる。さっきまで大勢の人と一緒に鑑賞していたはずなのに、目の前にはたった1つ、無機質なパソコンがあるだけ。熱気も、歓声も、残らない。それがとても空しく、どうしようもなく寂しく感じられた。

アンコールの最後の曲が終わると、アナウンスと共に場内はゆっくりと明るくなってゆく。熱気が残るスタジアムの座席から立ち上がり、大勢の人と列をなして駅に向かい、友人と今日のハイライトを語る。電車の中だけではまだ足りず、そのまま最寄りの居酒屋で乾杯しながら感動と興奮を分かち合う。そんな風にして、今日1日の”幸せの記憶”が自分の中にゆっくりと溶け込み、明日を生きる活力に変わっていくーー
この感覚が、オンラインコンサートにはなかったのだ。


すべてのひとは違うし、違ったままでいい。異なる他者、他者とは異なる自分を受け入れられたら、世界はもっと虹色の雪に近づくかもしれない。
「白鳥さんはそこに気づいてなにかが変わった?」
「別に劇的に変わったわけではないけど、徐々に視野が広くなっていった。ああ、ひとそれぞれ違いはあるんだけど、そのままでいいんだって」
ー 『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』p.245

人がアートを見る本当の理由は、もしかするとここにあるのかもしれない、と思った。

同時に、私はBTSのリーダー・RMの言葉を思い出した。
2018年、彼が「BTS WORLD TOUR 'LOVE YOURSELF'」で語ったメッセージである。

自分自身を愛するということは、僕が死ぬまでの、人生の目標です。
Love myself、そしてLove yourself がどういうことなのか、まだ自分でもわかりません。
誰が自分自身を愛する方法や手段を定義できるでしょうか。
これは、私たちの使命です。私たち自身を愛する方法を探し、決めることは、私たちの使命です。
意図した訳ではないけれど、僕は皆さんを利用して、僕自身を愛しているようです。
だから一つ言わせてください。

僕を利用してください。
自分自身を愛するために、BTSを利用してください。
皆さんが、僕に自分を愛する方法を教えてくださったように。

アートを見ることは、自分とは違う他者を受け入れる手段の1つなのかもしれない。それが理解できるものであっても、例えそうでなかったとしても。
新しい価値観と出会うこと、これこそ、私たちがアートを楽しむ理由なのかもしれない。

そして、異なる意見や感情と出会いながら、自分というたった1人の存在を確かめたいのではないだろうか。私がこの本を読んで感じたように、それはアートだけでなく、エンターテインメントでも同じことが言えるのかもしれないけれど。

私たち人間は、1人で生きていくことはできない。それに、1人でないほうが、きっとーー
いや、絶対に、楽しいはずだから。


***

この本の最後のページをめくったあと、私は無性に友人に会いたくなった。

この1年半以上もの間、自分の中にため込んでいた感情を、誰かと語り合ってみたい、と思った。

一緒に美術館に行こうって、声をかけてみようか。いや、私が大好きなBTSの良さも熱弁したい。うーん、最近はまっているドラマの話もしたいかも。ああ、今度あの子が好きなアーティストの展覧会があるから、私も連れて行ってもらおうかな。
なんて、思ったりして。

それから、もう1つ。
パンデミックの前までは、世間的にも清く正しく、かつなるべく多くの人に足を運んでもらえるようなイベントや展示を実現したいと思い、仕事をしてきた。
けれど今は、世間的に良いとか、正しいとか、そんなモノサシだけではかるのではなく、世界の、いや、日本中のたった1人でもいい。誰かの心に本当に響く企画や展示を創ってみたい、と思う。

胸がワクワクドキドキしてたまらなくなるような。見た後に、どうしても誰かに伝えたくなってしまうような、心震わせるものを。


私はまだ、自分のことを大好きにはなれそうにない。

でも、だからこそ、色々なアートやエンタメと、多くの人たちと異なる価値観に出会い、向き合い、そして認め合いながら、自分探しの旅を続けていきたいと思う。

そしてその良さを、独り占めするのではなく、誰かの心にバトンタッチできる、そんな人になれるといい。

この一歩を踏み出せたら、もうちょっとだけ、自分のことを好きになれそうな気がするのだ。

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