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無職生活

私はもうかれこれ二年以上仕事をしていない。

所謂、無職というやつだ。

夢があるし、家事手伝いはしているから定義上で言えばニートではないのかもしれない。

だけど世間の風当たりや、実家に住むことで両親に迷惑をかけていることを考えれば、呼び名や定義などは然したる問題ではなく、単に家の迷惑者として捉えてもらって構わない。

こんな私が、なぜnoteを始めたのか。

一言で言えば「社会とのつながりを持つため」である。

私は現在、小説家になるべく執筆活動を行っている。

小説と言っても、文壇に並ぶようなお堅いものではなく、ギャグやエンタメ寄りのライトノベル作品を軸に活動している。

仕事を辞めた理由も、偏に「執筆に専念したいから」だった。

私が小説を書けないのは時間に追われているからであって、時間さえあれば頭の中にある素晴らしき発明と文才の数々を、余すことなく書き記すことができると信じていたのだ。

信じて、信じて。二年経った。

その期間で私は作家になるどころか、遂にまともな長編小説の一冊すら仕上げ切ることができなかったのだ。

長編を書くために、仕事を辞めたにも拘わらず、だ。

それでも自分の現状を肯定するために、何とか過去の未完成作品をツギハギながら繋ぎ合わせ、長編に満たないアイデアを「短編」とだけ名付けて新人賞に送ったりはした。

勿論そんなツギハギで上手くいくはずもなく、仕方がないので仕事を辞める前に空き時間で書いた短編小説を手直しして賞に送ったら、何の因果かその作品だけが「最終選考」まで残った。

最終選考に残ろうが作家にはなれないし担当も付かないため、最終的には何も得られなかった話ではあるが、私はこの結果に様々な感情を抱いた。

具体的には、幸福と絶望である。

よく作家を目指している人のブログで「最終選考で落ちた」話は目にするのだが、あれは皆どういう心境で書いているのだろうか。

自分への落胆か、皮肉か。それとも多少の自慢か。

少なくとも私は、自分の作品が最終まで残ったことに喜んだ。

サイトに行けば今でも自分のペンネームが載っているため、何もやる気が起きない時にはわざわざ見に行くくらい今でも一つの支えとなっている。

個人的に最終選考は、それくらいの感動がある出来事だったのだ。

だが同時に、その残った作品が無職になった二年の間でできたものでないことに、酷く落ち込んでもいた。

なら、私が仕事を辞めた意味は何だったのかと。

むしろ仕事をしていた時の方が、才能があったのではないかと。

そんな風に思えてきてしまい、最終選考止まりの結果が出た去年の三月から約一年間、私はいよいよ短編すらも書けなくなってしまった。

今、私は執筆を続けている。

より正確に言えば、ようやく今月に入って重い腰を上げて長編作品の着手にかかっているところだ。

並行して、転職活動も行っている。

これもより正確に言うと、転職活動自体は去年も行っていた。ライター職や執筆関連を中心に、これでも働き口を探していたのだ。

だが結果は惨敗。

新卒時代にも強く感じたことだが、自分はとにかく就職活動が苦手だ。

単に能力が低いというのもあるだろうが、履歴書のフォーマットで自己PRを考えるのも、スーツの大人に囲まれるのも、数年後のキャリアビジョンを明朗に語るのも、何もかもが向いていないように感じた。

執筆に関係ない会社も、少ないながら挑戦した。

だがそれもうまくいかない。

そもそも前職が資格を有するような類の仕事でもなく、加えて二年もブランクが空いた人間を「雇おう」と思う会社などそうはないだろう。

そうして私は自己責任ながらも、名実ともに社会不適合者となってしまったのだ。

ここでは今後、私のリアルな感情を綴っていこうと思う。

どれだけ落ちぶれようが、どれだけ社会から必要とされなかろうが。

命を絶たない限り、生命活動は続いていく。

ならばせめて、私はこうなってしまった私自身の全てをここに記そう。

私の失敗や後悔を見て笑ってくれたらいい。

私の現状と体たらくを見て反面教師にしてくれたらいい。

私の夢に追い縋る姿を見て、それぞれの人生に少しでも何か感じるものがあるならば、私は喜んで身を掻っ捌いて届けて見せよう。

本来であれば私はそれを、小説を書いて人々に与えたかった。

だがいつまでも叶いもしない夢だけに塞ぎ込んでいても何も生まれないことは、さすがに自分でも理解した。

だからせめて、今できることは全部やろうと思う。

執筆も続けて転職も並行して、noteも可能な限り更新する。

反省だけでは気が病んでしまうから、基本的には趣味や適当な雑記を中心に、普段考えていることなどを書いていく予定だ。

創作というほど舵を切る予定は今のことろないが、妄想日記みたいなフィクションもここで書けたらと思う。

色々あれこれ言ったが、全ては私がこれからも生きていくために必要な過程である。

それを誰も見ることができるネットの海に流すことで、私が本来であれば出会うことのない人と繋がれるかもしれない。

こんな私の文章で、読んでいるあなたが笑ったり泣いたり怒ったり、生活のスパイスとして味わってくれているかもしれない。

少しでも、これを読んで暇でも潰せたのであれば。

私としては、無職冥利に尽きるというものだ。

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