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衝動|ショートショート

 私にはかれこれ3年以上付き合っている彼氏がいた。

 彼がもともと1人で住んでいた高層マンションの部屋で同棲をした。親にはまだ何も言っていなかったけれど、私は彼と結婚したいと思っていた。

 長身で脚が長く、肩幅は程よく広くてスーツが良く似合っていた。かといって、素敵なのはその容姿だけじゃなかった。私が苛立ってきつく当たってしまうことがあっても、年上の彼は広い器で受け止めてくれた。心穏やかな、とても優しい人だった。

 外食をすることはあまりなかったが、その夜は彼の提案でレストランに行くことになっていた。

 先に仕事を終えた私は先に店に入り、シーザーサラダとアペリティフだけを注文し、彼を待っていた。1人でゆったりしていると、30分後くらいに彼はやって来た。

 紺色のロングコートに、ストライプのマフラーをしていた。仕事の後で少し疲労感のある表情だったが、鼻筋がすっと通っていて、その顔立ちがいつも以上に美しく見えた。家で普段から素顔を見られているはずなのに、自分の化粧が崩れてしまっていないか不安になった。

 「ごめんね、少しだけ仕事が長引いてしまって」と彼は言った。

 「ううん、明日はお互い休みなんだから急ぐ必要もないし、まだ少ししか待ってないから大丈夫よ」と私は言った。

 彼はコートを丁寧に折り畳みながら、私の向かいの席に腰掛けた。その間もずっとこちらに視線をむけてにこやかな表情を崩さなかった。私は彼の無駄のない動作をじっと見つめた。メニュー表を取る手はまるで女の人のように細くしなやかで、爪先まで綺麗に手入れされていた。何を注文するか私は最後まで決められなかったが、上手く彼に誘導された。それが心地良かった。

 「とりあえず、ピザとかパエリアとか季節のスープとか、いろいろと頼んでおいたからまた追加で何か欲しかったら教えてよ」と彼は言った。

 「ありがとう」と私は言った。

 私よりも若く見えた女性ウェイターが順々に料理を運んできた。まだ働き始めたばかりなのか、どこかおぼつかない様子だった。それでも彼は彼女が料理を運ぶ度に「ありがとうございます」と言って優しく対応していた。私は少しだけ彼女に嫉妬をしたが、これほどまでに紳士的な彼と一緒にいられることが誇らしかった。

 それからは美味しい料理を楽しみながら、彼と理想的な時間を過ごした。私はつい仕事の愚痴をこぼしたくなったが、彼が「イタリア旅行を計画している」と嬉しそうに話し始めたので、どうでもよくなってしまった。

 私は彼に身を委ねることに安心しきっていた。しかし、彼は旅行の話の途中で、人が変わったかのように突然よく分からないことを語り始めた。

 「1つお願いしたいことがあるんだ。会社の近くに公園があるってことは前に話したよね?」と彼は言った。私は困惑してしまい、相槌はしたものの声が出なかった。

 「ランチを終えた後に少し散歩をしていたら、お母さんとその2、3歳くらいの男の子を見かけたんだ」

「それがどうしたのよ?旅行の話はどうしたのよ?」と私は尋ねた。

「公園でね、お母さんが『まてまてー』って言いながら男の子を追いかけて、男の子が嬉しそうに逃げてたんだよ。はじめは何も考えずに、ただ彼らの様子を見守っていた。でもね、ふと思いだしちゃったんだ。自分も同じようにしてもらえていたことがあったんだって。それから男の子がうらやましくなっちゃって」
 
    その夜から私たちの関係性は大きく変わってしまった。

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