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自殺未遂からの気づき⑧(幼少期からの気づき編)

気づくのはいつだって過ぎ去ったあと

悩んでいる時に頼れる人が居たら

辛い時に手を差し伸べてくれる人がいたら

その時は切実に思っていいた

自分には誰も味方がいないのではないのかと

一人なんだと

でも違った

自分が気づいていないだけで

自分が殻に籠っているだけで

自分が目を塞いでだけで

自分のことを心配してくれる人はきっといる

過ぎ去ったあとにきっと気づく事がある



両親が来てくれた次の日の朝、父は仕事があるからと一足先に帰った

帰り際に「もう大丈夫だから心配するな」と言い残し帰りの電車に乗って行った

「甘える」と言う事が自分は苦手だった

友達に対しても、両親に対しても、否

両親に対してだから尚更出来ないのだろう

自分は小学校に上がるまで片親で母の実家で祖父と祖母と暮らしていた

小学校に上がる前に母が再婚して今の父と一緒に暮らしだした

はなたれ小僧だった自分は何も分からず

いつの間にか一緒に暮らしていて、いつの間にか父と呼んでいた

再婚したと言う認識はあったが父の事は本当の父親として接しており

血の繋がりがない自分を愛してくれて今まで自分の子の様に接してくれた事に

自分は父としても男としても尊敬している

たまに考える、自分が同じ立場なら血の繋がりが無い子供を愛せるかと?

両親との関係性をそこまで真剣に考えたことが無かったが

自分は両親に無意識で気を使っていたのだと後に判った

自分だけじゃあない多分、両親共に自分にも気を使っていたのだろう

お互いに気は使っている認識はないのだろうが

心の奥底の部分では踏み込めない所があったと思う

子供ながらに踏み込めない場所を認識していたかは分からないが

踏み込めない部分を言葉では言ったり攻撃手段として使ってはいないが

無意識に態度や行動に防御手段として使っていた自分がいることに気づいた

自分ながら嫌な子供だ

幼少期から人の顔色や感情に敏感で

変に気を遣う子供だったと思う

友達とも別に何もされていないのにその顔色や仕草で何となく

思っていることが判る事もあり(多分ほとんどが勘違い)

相手からしたら意味の分からないことで喧嘩をよくしていた

小中高と学生時代は友人ともそこそこ仲の良い関係ではあったが

深い関係になりそうになるといつの間にか違うグループに行ったりと

交友関係は広い方だったが親友と呼べる友達は少なかった

両親との関係もこの行動原理で動いていたと思う

腹の底を見せたくない

人に甘えるのが苦手と言うのも幼少期からの自分を守る手段が染みついていたのだろう

そんな自分が大人になり社会で揉まれ

自分は心が強いと思っていた、勘違いしていた

いざ心の奥底をさらけ出さねばならない時

自分は何も行動出来なかった

誰かに手を差し伸べて欲しかったのに

その甘える勇気がなかった

自分の心の内側に鍵をかけて

その鍵の開け方を自分でも判らない

色々、自分の心を分析した時

そんな鍵は元々付いていないことにも気づいた

ただ自分の手で強く抑え込んでいるだけで

開けようと思えばすぐに開けられることに

自分も未だに全開には開けられない

少しづつ開けようと努力している

気のせいか両親や周りとの関係性も変わってきた気がする

内側のドアを開けてみて

少しは世界が変わるよ

部屋もたまには換気が必要だから

心の換気も大切だよ


#うつ病 #自殺未遂 #メンタル #エッセイ #コラム #アダルトチルドレン

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