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イーヨイシー! 堤区宿入奴、練り歩き

山口県周南市鹿野を応援する「まちづくり応援団えーる」団長のふみぞうです。
今回は周南市市民ライターとして、7月30日に鹿野天神祭で奉納された、堤区宿入奴つつみくしゅくいりやっこをご紹介します。

鹿野天神祭の奉納行事

鹿野天神祭とは、鹿野の町なかにある二所山田にしょやまだ神社に併祀へいしされている菅原神社のお祭りです。祭りでは、鹿野の各自治会が奉納行事を行うことが通例となっています。

奉納行事には、次のようなものがあります。

菅原神社の祭神で、生前に大宰府へ流罪となった菅原道真公に、無実を伝える様子を表現した「御神幸ごしんこう
菅原公を出迎えるため、慌てて竿にさしたまま着物を着こんだ様子を表現した「大行司ぎょうじ・小行司」
さらしを巻いた勇壮な裸坊が巨大な網代車を引き回す「網代あじろ

この他に、菅原公の使いである牛を模した牛が祭り会場を歩く「御神牛ごしんぎゅう」や、子どもたちが神様の宿った太鼓の載った車を引く「ドロ」などが奉納されています。

こうした奉納行事と並び、大行司・小行司からの要請を受けて行われるのが、今回ご紹介する堤区宿入奴になります。

堤区宿入奴のはじまり

堤区宿入奴は、参勤交代で宿場に入る前に行われた儀式を再現したものです。武士姿や、奴(武士の従者)姿になった皆さんが練り歩くこの行事は、明治20年頃、防府市の右田毛利家から道具を購入したことが始まりと言われています。

62人で行う、本揃ほんぞろい宿入奴と、20人で行う簡易宿入奴があり、昭和30年代までは本揃宿入奴が行われていましたが、近年では出演者の減少もあり、簡易宿入奴が奉納されています。

堤区宿入奴は、天神祭の祭事準備を行う受け組から要請を受けて行われます。今年は数年ぶりに要請を受け、堤・柏原・石ヶ谷・美保の4自治会の有志で構成される堤区奴保存会の皆さんによって奉納されることになりました。

奴、練習中!

7月に入り天神祭が近づいてくると、堤区奴保存会の皆さんは鹿野総合体育館横のふれあい広場に集まり、毎週日曜日の夜、練習を行います。

実際に使う道具を手に、広場内を回りながら奴振り(歩きながら行う所作)の練習を行うと、皆さん、暑さで汗びっしょりになっていました。

練習中の皆さん

2人で持つ挟箱はさみばこや、身長の何倍もあるような長い毛槍を持つ役、2人一組で大きな傘を投げ渡しながら歩く役など、さまざまな道具を手にしての所作が、宿入奴のだいご味でもあるんですよ。

天神祭当日!

練習を積み重ね、ついに迎えた7月30日、天神祭の当日。
夜からの出番に備え、まだ日の高いうちから準備が始まりました。

奴装束は、法被だけでなく前掛けや豆絞りなども装着します。

武士姿や、奴姿になる皆さんは、服装だけでなく化粧も行います。
地区の女性たちが、演者の顔を白く塗り、奴役の人には大きな鎌ひげを描いて、どんどん皆さんが武士や奴の顔になっていきます。

化粧道具がたくさん。
化粧が終わったら、今度は着付けをしていきます。

着付けが終わると、着替えを行っていたコアプラザかのから、いったん堤自治会の公民館前で待機。
19時前になり、少しずつ夕暮れ空になっていった頃、「それじゃあ行きましょうか」という号令を受けてスタート地点へ移動を開始します。

移動中。
奴振り前、スタンバイOKです。

スタート地点から、ついに始まった奴振り。

宿入奴には独特な掛け声があり、2人でかつぐ挟箱役が「イーヨイシー」と声を掛けると「ヤァーコリャサァノサ、ヤァーヨヤサァノサ」と他の人が応じ、練り歩きます。

練り歩きのルートでは多くの人が見物し、練り歩きを撮影したり、奴振りが終わると拍手をしてくれたりしました。

だんだん日が暮れていきます。

何度かの奴振りを行い、天神祭のメイン会場にやってきました。
道路に屋台が並び、たくさんの人がいる中でも奴振りを行います。
屋台を挟んだ道路の向かい側からは、スマートフォンやカメラを向けて撮影する人がたくさん!

鹿野天神祭のメイン会場に到着。
たくさんの人が、奴振りを見守ります。

準備から実に6時間以上。会場を抜け、神社の境内まで練り歩いたところで、堤区宿入奴の奉納は終了しました。

夜とはいえ真夏。奉納が終わった後は汗だくになりましたが「やりきった!」と思える充実感を感じましたよ。

お疲れ様でした。

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