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【えーる】米の季節

最近は土日もバタバタとしていて、なかなか鹿野を訪れる時間もない状況だったが、9月も終わりが見えかけたシルバーウィークに、ついに帰郷を果たすことができた。

肌に感じる風はすっかり熱を失って、少し汗をかいた体には肌寒ささえ感じるほどだ。草むらからはリー、リー、と虫の鳴く声が聞こえてくるし、青空から降り注ぐ日差しはすっかり柔らかい。

まごうことなき秋の田舎町に、帰ってきたのである。

稲刈りとはぜかけ

はぜかけ (1)

とはいえ、ただ単に秋を楽しむために帰ってきたわけではない。実家で探し物をする必要があったから、そのついでに撮影行脚でもしてやろうかという魂胆だ。

しかし、自宅の目の前は一面の田んぼで、わざわざ見ようとせずとも、黄金色に育った稲たちが目に飛び込んできた。

まだ刈り入れの終わっていない田んぼも多く、たわわに実った稲がこうべを垂れて収穫の時を待っている。

冒頭の写真は「はぜかけ」といって、逆さに刈った稲を吊るすことで、ワラのさまざまな栄養分を米まで行きわたらせ、米を美味くする昔ながらの手法の1つである。

あれがあちこちの田で見られるようになると、ああ今年も新米の季節がやってきたのだなとしみじみ思うのだ。

白い米を、食う

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目で楽しんだ後は、実家で炊き立ての新米をいただいた。馴染みの農家からすでに米を買って、少し古米があるけれどもせっかくだから……と炊いてくれたのだ。

みずみずしく輝く炊き立ての白米は、口に放り込んで噛みしめると、それだけで茶碗一杯いけるぐらいに甘い。米どころに生まれたことの贅沢さである。

大学進学で親元を離れ、講義帰りにファミレスで食べたライスの味が、なんとなく物足りなかったことを覚えている。米も保存がきくとはいえ、とれたてのものが美味いのは当たり前のことだ。

ただの米が、おかず不要で楽しめる。鹿野という場所はとにかく田舎であるけれども、四季おりおりの美味いもの……特に秋はそれが存分に楽しめる季節なのだ。

都会にあるものはなくても、ここにはさまざまなものがある。田舎には田舎の長所があるのだと、特にこうした大地の恵みをいただくときには感じるのである。

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