見出し画像

海の向こう側の街 Ep.20<SPORTSCOでの出会い>

 気温四十度超えが当たり前のオーストラリアは、直射日光が凄いし乾燥も凄いが、日本の夏のような暑さがないのでまだ過ごしやすい。
(ただ、顔に蝿がたかるのだけは勘弁して欲しい)
一九九四年の猛暑(約三十八度)をクーラー無しで乗り越えて来た僕には、むしろ心地良いくらいだと自負していた。(湿度がここまで無いとこれほどまで違うものなのかと感動すら覚える)それになにより、僕は帽子が全く似合わない顔立ちなので、絶対に帽子は被らないと強く心に決めていたし、今まで一つも買ったことがなかった。
ただ、ここパースで会う日本人の殆どに「帽子だけは絶対に買っておいた方が良いよ」と、あまりに言い続けられると、流石に心が揺らいだ。
同居していたタカにも何度か強く勧められ、今ほど熱中症の怖さが浸透していなかったこの頃に周りからそこまで言われると、海外で倒れて病院行き(最悪は日本帰り)なんて事にはなりたくないしなぁ。と弱腰になり、転ばぬ先の杖だと思って仕方なしに帽子を買うことにした。
ただ、どこで、どんな帽子を、どうやって買えば良いのか判らなかった。
日本だと商店街の帽子屋くらいしか思い浮かばなかったけど(今なら「ニューエラ」とか「ナイキ」とか専門店があるが)、ここはオーストラリアのパース。
まして、今みたいにインターネットで簡単に、豊富な種類の中から好みの帽子をクリックひとつで買える時代ではない。
さて、困った。一応、それなりのお金を持って電車に乗ってパースシティに向かったものの、向かった場所は、生まれ育った大阪と比べれば都会であって都会じゃない、あの『パース商店街』。だが、好みの帽子を探すには十分に大きい街だ。
そこで、少し話しかけやすそうな年配の男性に「Where can I buy cap ?」と聞いてみた。
残念ながら全く通じてなかったので、もう一度ジェスチャー付きで「Where can I buy cap ?」と聞いてみた。
すると「Hatが欲しいのか?」と聞き返された。
いやいや「Hat」はどっちかと言うと女性ものだろ? 僕は男だから「Cap」が欲しいと、帽子のツバが前にあるものを身振り手振りで表現しながら伝えてみた。
すると、その年配の男性には「駄目だ判らん」と愛想を尽かされ去られてしまった。
それでも挫けず、今度は人の良さそうなおばさんに「Where can I buy cap ?」と聞いてみた。
やはり「Hatが欲しいのね?」と聞かれた。
「違う! 俺はどう見ても男やろ!」とツッコミたくなったけど、それは国際問題になりかねないので出来ない。(そもそもツッコミが通じない)
そこで、女性は「Hat」男は「Cap」じゃない? だから「Cap」が欲しいんですよね。って「思い」を強く込めて、カタコトの単語の羅列で熱演した。
すると、そのおばさんは陽気な笑顔で「この国ではHatしか無いのよ」とにっこり答えて、通りの向こうを指差した。
その指差した方向を見ながら、僕の肩を軽く叩いて「あの辺りで売っているわよ」と言って、どこかに去っていった。
「いや、どこか判らんし」と思いながら「Thank you.」とお礼は言ったものの、同時に「いやだから「Cap」が欲しいんだって!」と、心の中で吠えた。
 自分の英語の出来なさに嫌気がさしつつも、とりあえず指さされた方向に向かった。しかし、目に入る服屋も女性ものばかりで、店前の白人のおじさんが、アジア人の女性が通るたびに変な日本語で「アナタハ、カワイイ!」と、拡声器で言いながら客引きをしていた。
「いや、逆効果でむしろ客が逃げるやろ」と思いながらその風景を眺めていると、案の定、それを間近で聞いた若い日本人女性(きっと留学生)は、大きな声で笑い声と悲鳴の間のような声を出して、そのお店から走って離れていった。
その奇妙な光景を見ていて、オーストラリアでも、日本人はお金をよく落とす上顧客なんだろうなと目で見て肌で感じとれたけど、客の引き方は百パーセント間違えていたのが、個人的に面白かった。
そんな、ヘイ・ストリート・モール(パースシティのメインストリートの一つだ)を通っていると、通りの角に「SPORTSCO」(今はもう無い)という、少しオシャレなスポーツ用品店を見つけた。入口も入りやすく、テニスやジョギングウェア等、実に沢山のスポーツ用品が取り揃えられていた。
一通り見ていて、ふとナイキのアイテムが多いことに気がついた。
「ナイキか」その瞬間に、出国前に親友が熱心なタイガー・ウッズファンで、自分のゴルフ用品を全てタイガー・ウッズ仕様にしていた事をふと思い出した。
彼ほど熱心ではないけど、せめてタイガー・ウッズの帽子くらいなら持っていてもかっこいいかも?と、僕の心が大きく前に動いた。
ただ、ゴルフには全く明るくなかったから、そもそもどれがタイガー・ウッズの帽子なのかも判らない。当時の僕は、ゴルフどころかスポーツ全般にとても疎かったのだ。(今はそもそも販売していないけど、もちろん判る)
そうなると店員に聞くしかないのだか、店員はもちろん全員「外国人(僕が外国人なんだけど)」だ。
ここは腹をくくって、近くでこちらを見ていた、なかなかハンサムで背が高くガッシリした体格の店員さんに声をかけた。
完全にアウェイでの戦いがまだ続くのだ。
「Excuse me.」精一杯に「Where is Tiger Woods cap ?」と聞いた。
「Cap」だ「Hut」じゃねぇぞ「Cap」だぞ。と、しっかりと「Cap」を気持ち語気を強めに言った。
すると「いやぁ、とても上手な英語ですね」と完璧な日本語で返事が返ってきた。
「??????????」
完全にこの人は白人男性でオーストラリア人だが、完璧な発音で日本語を話している。一瞬、強く頭の中がこんがらがった。
「ごめんなさい、騙すつもりは無かったんです。英語の勉強でこちらに来られているだろうから、英語を使う機会を奪ってはいけないと思ったので」と、スラスラと綺麗な日本語で返事が返ってきた。
だったら話は早い。「タイガー・ウッズが被っている帽子が欲しいんですけど、ありますか?」と、こちらも日本語で聞いた。
「ちょっと待ってて、店の他のスタッフに聞いてきますね」と言って、彼はバックヤードに入っていった。
おいおい、やっぱりどこでも日本語が通じるんじゃないか!と思ったが、それにしては確率が低すぎる。
どう考えても、この店員の方が珍しい類なんじゃないか? と考えていたら、後ろから「すみません!」と声がした。
「すみません、この店にはタイガー・ウッズモデルの帽子は取り扱っていません。どうしますか?」と、受け答えとしても完璧な日本語で聞いてくれた。
これは凄い、こんなに日本語が達者な人なら「英語がからきし駄目な僕でも、この人ならオーストラリア人の知り合いになれる!!」と確信した。
こうなったら、もう帽子の事はどうでもよくなった。もっと会話量を多くし、ナイキの帽子をあれだこれだと言いながら、出来る限り彼と距離を縮めていく作戦に切り替えた。今考えてみると、きっと彼も同じ気持ちだったのかもしれない。
「タイガー・ウッズが好きなの? ゴルフが好き?」と、彼はわりと矢継ぎ早に聞いてきた。
「日本の親友がタイガー・ウッズの大ファンなので欲しいなと思っただけで、僕はゴルフをしたことがないんだ。ゴルフはどっちかと言うとお金持ちのスポーツだから」と、僕は言った。
「そっか、日本は高いからね。でもオーストラリアではとても安い、誰でもゴルフが簡単に出来るんだよ」と言い切った。
 そんなまさか。
ゴルフは道具がとても高くて、プレイ料金もとても高いものだし、外国でもセレブが楽しんでいるイメージだったので、にわかには信じがたかった。
なので、冗談で「ボーリングくらいの感じ?」と、ふっかけてみた。
「そうそう、そんな感じですね。子供でも簡単に出来るし、ゴルフクラブとかは貸してもらえるから、本当にボーリングに近い感じです。良い例えですね」という、想定外の答えが返ってきた。
物を買いに来ているのに変な話だが、自己紹介をしていないことに気がついたので「遅くなってごめんなさい、僕の名前は田中幸男です。YUKIと呼んで下さい」と、ユースホステルの仲間のアドバイス通りに自己紹介をした。
「僕はゆきと発音できるけど、YUKIで良いの?」と聞いてくれた。
そっか、この人は日本語がペラペラだから余裕で発音できる人なのだ。ということは、裏を返すと本当にYUKIOの「O(お)」が発音できない人が多いんだとその言葉で判った。
ユースホステルでコウたちと話していた「O(お)」の発音が下手なんだよ」って言っていたことは本当だったんだと、ようやく信じることが出来た。(英語圏の人はRYOやYUKIOの最後の「O」の音がうまく発音できない人が多い)
しかしながら、英語圏の人間が僕の名前を呼ぶ時にどちらが呼びやすいのか判らないので、直接「どっちが呼びやすい?」と聞いてみた。
「ここはオーストラリアだし、YUKIの方が呼びやすいね!」と言ってくれた。
「じゃあ、YUKIでお願いします」と言ったら、さり気なく「OK」と言った後、親指を立てて舌打ちとは違う独特の「キッ」という音を口から出して、笑顔で微笑んでくれた。
その後、背の高い彼は、少しかがんで自分の名札を見えやすくしてくれて「僕の名前は「ジェイソン・スミス」だ」と、名前の部分だけは「本気の英語の発音」で教えてくれた。
名札を見ると、スペルは「Jason Smith」だったので「スミ"ス"」の最後の「ス」が、英語が出来ない僕のような人間には「しんどい方の"ス"」だった。
それを察してか、日本語発音で「ジェイソンって呼んで下さい」と言って、僕に名刺をくれた。
話し方や立ち振る舞い、全てがとても紳士だった。
そういや、なんでこの道中で「Cap」が通じず「Hat」に解釈されるのか気になったので、彼に聞いてみた。
すると、ここオーストラリアでは「イギリス英語」を使い「アメリカ英語」の「Cap」つまり「米語」はあまり通じないとのことだった。
基本的には、オーストラリアではどっちの帽子も「Hat」と言う事を教えられた。
なるほど、だからみんな「Hat」って聞き返していたわけだ。ってことは、通じていたんだ、僕のポンコツ英語。やるじゃん、俺。
と思った途端、心の底から怒涛の勢いで怒りが込み上げてきた。
「おいっ! 中学校の時の英語の先生よ、あんた男の帽子は「Cap」で、ツバが周りについている女性もの帽子は「Hat」だって教えたよな?」
「でも、それが通用するのはアメリカ英語圏に限るって、なんで教えてくれなかったんだよっ!」と、心の中で思いっきり怒鳴った。
 ともあれ、ジェイソンと相談しながら、タイガー・ウッズの帽子は「黒の帽子」が多いことから「色は黒」を選び、真ん中にラバーっぽいソフトなプラスチックと思われる薄い赤色(やや朱色っぽい)の大きなスウォッシュ(ナイキのマーク)の帽子を選んだ。
会計の時に、勇気を出してまるで女の子に告白するような気持ちで「もし良かったら僕と友だちになって下さい」と、レジカウンターを挟んでジェイソンに言った。
 よく考えればとても変なシチュエーションなのだが、周りに日本語が判る人間が一人も居なかった事と「彼とこの機会を逃したらもう二度とオーストラリア人の知り合いが出来ない」という気持ちでいっぱいだった。
観光旅行では出来ない、現地滞在している人間にしか出来ない交流がしたい。
長年思っていた「自分のしたい事」は、まさにこの瞬間だった。
「もちろんっ! 喜んで!」と、返答はあっけないくらいに簡単なものだった。
「ところで、オーストラリアの蝿はどうして顔にたかってくるの?」と、僕はジェイソンに聞いた。
「オーストラリアの蝿はフレンドリーなんだよ」と、笑いながら彼は言った。
僕とジェイソンは直ぐに、その場で連絡先と住所を交換することになった。
その時、僕はポケットからパワーザウルスを取り出して立ち上げ、ジェイソンがくれたメモ用紙に僕の住所と電話番号を書いて渡した。
やはり、iPhoneが存在していない一九九七年では、パワーザウルスのインパクトはかなり強く、ジェイソンは驚きながら「流石、日本人らしいよね」と言った。
「どういう事?」と聞き返す。
「日本の技術力ってやっぱり物凄いよ、車とかそういうテクノロジーとか本当に凄い」と、パワーザウルスに入力している僕を見て感嘆していた。
「そんなことないでしょ、オーストラリアも十分凄いよ」と、根拠は無いが、特別日本がそんなに凄いとは思わなかったので、僕は心のままに言った。
 すると、ジェイソンはがっくりと肩を落として「全く違うよ」と言った。
かける言葉を失うくらいのリアクションだったので「ほらほら、今度はジェイソンの連絡先を教えてよ!」と、話を切り替えた。
すると、彼は笑顔に戻り「そうだね!」と答え、僕はさっき貰った彼の名刺を渡して、この裏に書いてよ。と言った。
「OK」と言って、青色の油性ボールペンで住所と名前を書いた。
青色の油性ボールペンが今ひとつ乗りが悪いので、別の黒のボールペンで電話番号を書いたが、特殊なコーティングをしている紙質の名刺だったので、水性インクが乗っても軽く触れるだけで直ぐに流れてしまう事が、書き終わった時に判った。
ジェイソンは「駄目だ、ちょっと待ってて!」と、別の紙を探そうとしていた。
「上からセロハンテープを貼れば大丈夫だよ」と、僕は慌てている彼に教えた。
「本当に?」とジェイソンは半信半疑だったので、レジ前にあった透明のセロハンテープで、彼の書いた文字の上を覆うようにピッタリと貼った。
インクも特にセロハンテープから溢れることもなく、彼の文字を完全に固定した手応えがあった。
軽く触ってみて、思った通りしっかりインクを固定したので、彼に「ほら、触ってみてよ」と言った。
彼は恐る恐る指で触ると、とても驚き「やっぱり、日本人って頭が良いなぁ!」と言った。
「やっぱり、日本人って頭が良いなぁ!」なんて、当時二十四年間生きてきて初めて言われた言葉だし、これを書いている今も「やっぱり、日本人って頭が良いなぁ!」なんて言われたことは一度も無い。
こんな些細な事で、こんなに驚かれるとは思わなかった。
幼少時代に、同じ状態の時に母親から教えてもらっただけの、いわば「ちょっとした裏技」を、日本国民と一纏めにした単位で褒められると、少し申し訳ない気持ちになった。
まぁ、ともあれ色々苦労したけど念願の帽子を手に入れ、日本語がペラペラなオーストラリア人と友達になれた。
なんと、実りの大きい一日だろう。
この国に来てよかったと心から思った。
ジェイソンにお礼を言って、店を出る前に「本当に連絡するよ。問題ないの?」と、念を押した。
「どうして? もちろん待ってるよ!」と、彼は言ってくれた。
オーストラリア人と、本気の心のこもった力強い握手。
前から聞いていたけど、本当に力が強い。
僕も負けじと、精一杯しっかりと強く握った。
これもコウたちが教えてくれたことで「強く握ってきた握手は相手の思いが有るってことだから、適当に握手しないで、しっかりと握り返さないと口先だけだと思われちゃうよ」と、彼らは言っていた。
そんな彼らは今はもうパースに居ないけど、彼らが教えてくれたノウハウはここパースで活きている。
そして、この時に貰った彼の名刺と、ジェイソンと二人で選んだ黒のナイキの帽子、それを包んでくれたビニール袋は、二十七年以上経った今でも僕は大切に持っている。

二十七年以上経った今でも僕は大切に持っている

この記事が参加している募集

#この街がすき

43,940件

率直に申し上げます。 もし、お金に余力がございましたら、遠慮なくこちらまで・・・。 ありがたく、キチンと無駄なく活動費に使わせて頂きます。 一つよしなに。