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海の向こう側の街 Ep.12<オーストラリアと日本と韓国と>

 マクドナルド、サブウェイ、ハングリージャックス、サムライという昼食ローテーションは、いくらジャンクフード好きの僕でも流石に飽きてきた。
僕の昼食ローテーションをそろそろ見直し、新規開拓する必要が出てきた。
今とは異なり当時は、海外で日本のように牛丼やラーメンが気軽に食べれる時代ではなかったし、オーストラリアで食べる日本食はサムライを除いて基本的に価格は高く、また異質仕上がりのものが多くこの地で有袋類と同様に日本料理も独自の進化を遂げていたものが多かった。良心的で日本の味に近いサムライ以外のお店は、料理そのものが日本では絶対に通用しないもので構成されており完成度もかなり低く、それでありながら言葉を失う価格帯の店が横行していた。海外に日本料理を広げようという高い志ではなく、日本食を知らない海外でしか通用しないいわば料理人の落ちこぼればかりがこの地に逃げてきて店を出しさもありなんな顔をして生き延びているという印象が強かった。少なくとも、ここパースにあるなんちゃって日本料理店を見かける度にどこか同じ日本人として情けなくもあり、料理の才能がなくとも恥も外聞も捨てきればこういった生き方もあるものなんだなと感心した。
ともあれ、僕は「数ある選択肢がある中から店を選ぶ」のではなく「選択肢そのものを探す(且つ予算に見合うこと)」という点が、とても骨が折れることからどうも億劫になっていた。
 この日も、お腹が空いていたのだが、流石にサムライで食べる4ドルの牛丼とカレーは食べ飽きた。ハンバーガーどころかパンそのものも見たくない。温かいご飯の上に、自分の裁量でおかずを乗せて口の中に運びたい。
ほかほかで柔らかいご飯に合う、食欲を促進させるおかずでお腹を一杯にしたい(もちろん低予算で)。日本なら、どこか近所の定食屋に入れば簡単にあるものが、異国となるとそうはいかない。
僕は宛もなく、新天地の開拓をかねてヘイ・ストリート沿いのEquus Arcadeに、人通りの少ないマレー・ストリート側の出入り口から入った。ヘイ・ストリート側から何度か入ったことはあるが、出入り口が変わるだけで中はとても閑散としていた。こちら側はテナントビルではなく、ビジネスビルとなっているらしく仕事の時間帯のためかフロアには全体的に人通りも少なく、明かりもなく静かだった。
散策をしているとポツリポツリと飲食店らしきお店はあるが、時間帯がまだ早いのか店は開いておらず、海外のシャッター街の中を一人で歩いていると、一軒だけ開店しているお店を見つけた。その店は一人の少女と、奥のキッチンにいる年配の男だけで切り盛りしている韓国料理店だった。
 立て掛けているハングル文字と英語で書かれたメニューに目を通すと、写真付きでいくつかの料理が並んでいたが、どれも手頃な価格帯で写真に写っている料理のボリュームも申し分なかった。
ただ、これだけ魅力的なのにお客がいないということは、ひょっとしたら味が駄目かもしれない。実物の料理が写真と大きく異なるということもあり得る。今なら僕は知らない顔をしてこのまま店を通り過ぎることが出来る。それとも、この店で五ドルのピビンパ定食をオーダーし、写真と違っていたり、味が僕の口に合わなくてもそれは授業料として払うか悩んだ。
とはいえ、店の前で長々と悩むことは店側からすればとても奇妙な客に見えるだろうし、早く決めなければならない空気が漂った。
 やはりここで勇気を振り絞らなければ昼食のルーティーンに改革が起こせない。ここは腹をくくって店内に入った。そして、気になっていたピビンパ定食の写真を指さして注文した。また、隣国の韓国料理なら少し辛くとも味覚的に日本人の口に合う料理が期待できると思った。
僕の目の前には、黒い髪が長く美しい少女が「ニコリ」と笑って水の入ったコップとメニューを置いて、キッチンに向かった。キッチンでやり取りしている韓国語がとても流暢だったので、きっと彼女は韓国の人だろう。なんともこれほどまで目の覚めるような美少女って本当にこの世にいるもんだなと驚いた。僕は日本の街中やどこかのお店で綺麗な女性を街で見かけてもなぜか一度も驚いたことがない。そりゃそんな人もいるだろう程度だった。パースに到着してからは、グラマラスで美しい海外の人ならではの女性を見てもなんというか、とても美しい彫刻を見た感覚にとても近かった。生まれて初めて女性を見て驚いたのは彼女だったと言える。彼女は文字通りの看板娘だ。いや、なんちゃってではなくこれが本物の看板娘というものなのかと感心するほど、これまで一度も見たことない美少女で、とても愛想のある(それは彼女の仕事の一つだとわかっている)素敵な若い女の子だった。
暫く彼女に見とれていると、やがて彼女が僕のテーブルにピビンパ定食を運んできた。そしてまたニコリと美しく笑って僕のテーブルから去っていった。
 さて、僕は頭を切り替えて本来の目的であるピビンパ定食に集中することにした。食欲をそそる、なんともいえないとても良い香りが目の前に広がる。これは美味しいに違いない。僕は茶碗と箸を持ち、金物の少し重たい箸でピビンパをご飯の上に乗せて口に運んだ。
ピビンパは辛すぎず、日本の韓国料理店とは違い、独特の風味で僕の口にとても合った。恐らく、近くにある語学学校に通っている韓国人の口に合わせた本格的な味付けなんだろう。日本食レストランとは異なり、本国でも十分通用する韓国の味だ。その上、全くこれっぽっちもオーストラリア人に寄せていない。近くにある語学学校に通っている韓国人と未必の契約を結んでいるかのように、寸分のぶれなく純粋な韓国の味をキープしているように思えた。
小皿に乗ったもやしが、当時の僕にはなにかよくわからなかったので、彼女が近くを通りかかった時にこのもやしはなんていう料理か聞くと「ナムル」だと言った。
「それは韓国のピクルスなの?」と僕は聞くと彼女は笑いながら横に首を振った。
 奥のキッチンにいたおそらく彼女の父親に、韓国語で話しかけていた。
「ねぇ、ナムルってなんて説明したら良いの?」とおそらく尋ねたのだろうが年配の男もわからないらしく、頭を悩めていた。
 やがて彼女は僕のテーブルに戻ってくると「No problem, it's good.」と天使のような笑顔で僕に言った。
 そして、その言葉を聞いた僕は思わず声を出して笑った。困ったらその返答が一番だと思うし、笑って誤魔化すのも万国共通なのかもしれない。
キッチンのおじさんも僕たちの笑いに釣られたのか、彼も笑いながらなにやら韓国語で僕に話し、最後に「さぁさぁ、食べて」というボディランゲージをした。その行動を見た僕は、きっと自信のある味なんだろうなと悟った。
もやしのナムルを口に運ぶと、ごま油と独特のお酢の程よい酸味が口の中に広がった。
『旨い!』
 これでまた、茶碗の白ごはんがすすむ! メインのピビンパもサブのナムルも、なによりお店の雰囲気も含めて全て完璧だ。
僕はどうやら、とんでもない良店を見つけたようだ。
気がつけばあっという間に食べ終わり、満腹感に満たされていた。
その後、昼食のローテーションに組み込み、その店にせっせと足を運んだ。
『ピビンパ定食』が五ドルと安く、とても美味しかったこと。
そして、時々見せる看板娘の魅力的な笑顔が見たかったことはいうまでもない。その親子は、僕が日本人と知ってもこれっぽっちも怪訝な顔をする事もなく、変わらず愛想よく美味しい料理を提供し続けてくれた。
ユースホステルでいつもの夕食の仲間にこの韓国料理店を教えると、みんな(特に男は)頻繁に通うようになった。そして、やはり看板娘の女の子が可愛いということで、夕食の仲間内でも話題になり、特にコウはせっせと足を運んでいた。

 ある日、コウはハルカと一緒に彼らの知り合いの家に行く用事があるから、もしよかったら一緒に行こうと誘われた。パースに居る僕に予定なんてものはなに一つとないので、二つ返事で一緒に行くことにした。僕たちはフリーマントル線に乗り込み、ウエスト・リーダービル駅で降りた。
僕は二人の後をついて歩くと、日本でいう団地のような古アパートのような建物(こっちでは、アパートもマンションも団地も一律に『フラット』と言っていた)の階段をいくつか上がった。
廊下を歩き、ある扉の前で二人は立ち止まるとコウはベルを鳴らし、ハルカは扉の覗き穴に向かってにこやかに手を振っていた。
「カチャリ」という音の後、扉が開くと東洋人の若い男性が顔を出し、陽気に僕たちに手招きをした。僕は恐縮しながら中に入ると、想像より広い部屋に四〜五人の男女がリビングでソフトドリンクを飲みながら寛いでいた。
コウは僕を英語で紹介すると、韓国語の返答が返ってきた。
おっと、全員韓国の人か〜。こりゃまた英語だけの会話になるなぁ・・・。と、英語が全く出来ない自分が心から情けなくなった。韓国人と日本人しかいない場所でありながら、この場所で共通語として通じるのは英語のみという奇妙な場所に来てしまった。相手が英語圏なら何度か経験してきたが、世界の共通語が英語と言われる由縁を肌身で知ることになった。ともあれ彼らに「My name is Yukio Tanaka, Nice to meet you.」と言った。男性三人と女性二人に丁寧に自己紹介されたが、なんとなく顔と名前が一致させるのが精一杯だった。そして、コウとハルカは親しげに彼らと英語で話していたが、それを少し距離を置いて見ていた僕は、彼らの会話に全く入ることが出来なかった。
 仕方なく彼らの住まいを見せてもらうことにして、広い部屋をぐるりと見渡した。どうやらそれぞれに個室があるらしく、全員で大きな部屋を借りて家賃や光熱費はシェアしているんだろうなと思った。
そうか、そういう節約方法もあるんだなと感心し大きな勉強になった。
ふと、ある部屋の隅に目を移すと、スーパーの在庫置き場によくあるインスタントラーメンのダンボール箱がドンっと置いてあるのを見つけた。
「あれって、一箱丸ごとインスタントラーメンなん?」と、近くに居たハルカに指差して聞いた。
「そうみたい、辛ラーメンって韓国では国民食と言っても過言じゃないくらい人気のあるラーメンなの」と説明してくれた。
 辛ラーメン? インスタントラーメンが国民食? なんだそれは……。と不思議な顔をしていると、先程ソユンと自己紹介してくれた一人の女の子が恥ずかしそうな顔をして僕たちの側に来た。そして、ソユンさんはハルカに私の部屋に何かあったのかと彼女は英語で聞いた。
(なんとなくだが、それくらいは聞き取れた)
ハルカは僕が不思議がっていること説明すると、どうやら辛ラーメンはソユンさんのご実家(もちろん韓国だ)から送ってきたものらしく、やはりハルカの言っていた通り辛ラーメンは韓国の留学生にはなくてはならない必需品だった。(ケース単位でストックしておくのは、さほど不思議なことではないそうだ)
「きっとインスタントラーメンを発明した日本人より、僕たち韓国人は食べているよ」と、僕たちの会話を聞いていた男性のソジュンさんが言った言葉を、コウが僕に訳して伝えてくれた。
 その言葉で、僕の頭の中で描いていた韓国人像がガラガラと音をたてて崩れ落ちた。インスタントラーメンは日本が発明したことをきちんと認めていたことに驚き、僕はその場で呆気に取られていた。
なぜなら、僕の知っている韓国人は、この芸能人は実は韓国人だとか、これは韓国が発祥なんだとか、僕たちの間に肩をねじ込み、そのまま前に出ようとするような類のどこか違和感のある話が多かった。(加えて、そんなにインスタントラーメンを食べて、身体は大丈夫なのかなという心配も入り混じった)一人考え込む僕の奇妙な姿を見て、コウとハルカを含めた部屋の全員が声を出して笑った。
「何か彼らに聞きたいことがあれば聞いてみたら?」とコウは僕に言った。
 僕は少し躊躇したが、この頭の中の混乱を落ち着かせるためにも、どうしても聞かずにはいられなかったことが一つあった。
「失礼があったら申し訳ない、僕が悪いから気を悪くしないで欲しい」と、僕はコウに出来るだけ正確に伝えて欲しいと言って、彼は英語で韓国人の方々に僕の言葉を伝えてくれた。
 彼らは深く頷き、真剣な目で僕が話そうとする言葉に耳を傾けてくれた。
「韓国の人たちは全員、日本人のことが嫌いなの?」と、カタコトの英語で僕は彼らに聞いた。
 それは片言の英語であっても、僕の口から言わなければならないと思ったし、湾曲した言い方で英語で聞くなんて、もちろん僕には出来ない。
それに、なにより直球な質問の方が、僕の疑問に思う気持ちが素直に彼らに伝わると思った。
「違う、そんなことはない」と韓国の人たちは身振り手振りをしながら口々に言った。
「韓国人全員が日本人の事が嫌いってわけじゃないんだ」と、眼の前に座っていたテギュンさん(男性)が、とてもわかりやすく聞き取りやすい簡単な英語で僕に言った。
「本当に? でもよく国旗とか燃やしてるじゃない」と言って、コウに訳してもらった。
「確かにテレビによく映る光景だね、でも全員が日本人のことが嫌いってわけじゃないんだ。ただ、古い人は残念だけど日本人を嫌う人が多いのは事実で国旗を燃やしている人は年配の人かそういう考えの人に育った若い人なんだ」と彼は言った。
「日本人が韓国に行ったら、周りの人からボコボコにされないの?」と、コウは彼らに質問した。
 彼らは声を出して笑って、韓国はそんな国じゃないしテレビに写っている過激な人たちはとても少数だと言った。
「もし君が、韓国に訪れて泊まる所がないと言ったら全然平気で僕の家に泊めるよ」と言って、テギュンさんは一枚の名刺を僕とコウとハルカに渡した。
 そこには「Professional Skin & Scuba Diving Instructor」という肩書が上に書いてあり、中央にハングル文字でキム・テギュンと彼の名前が書いてあった。その下には、家の電話番号と彼の携帯電話の番号が記載されていた。
「もし、韓国で泊まるところに困ったらそこに電話してきて、必ず助けるから」と、彼は比較的わかりやすい英語で、真っ直ぐな目をして僕に言った。
「本当に? 僕は日本人だよ。君が良くてもご両親が嫌がるんじゃないの?」とカタコトの英語で言った。
「僕の両親は、日本人に対して悪いイメージは持っていない。むしろ素晴らしい国だと教えられてきたし、父親は仕事でよく日本に行ってるから僕より詳しいよ」とテギュンさんは笑顔で言った。
「日本でも韓国人のことが嫌いな人がいることも知っている。でも、だからといってそれを繰り返してはいけない。大切なことは、僕たちの時代から変わらなくっちゃいけないんだ。僕たちは協力しあって共に成長して友好な関係を築かないといけないと思う」と、彼の熱い思いをコウが僕に訳してくれた。
「判った。僕たちの時代から変えていこう。これからの未来のために」と、僕の言葉をコウが訳してみんなに伝えてくれた。
 僕とコウとハルカは、テギュンさんをはじめ部屋に居た全員の韓国人と強い握手を交わした。
僕はオーストラリアのパースにいるのに、韓国という国に大きく近づけた。

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