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海の向こう側の街 Ep.09<世界で異なる当たり前>

 翌日、約束の時間にダイニングへ向かうと、コウとエミとハルカの三人が待ってくれていた。
三人に礼を言って頭を下げると「そんな大げさなことじゃないよ、気楽に行こうよ」とコウから背中をポンと叩かれた。
 どうしてもサラリーマンの癖が抜けない。実際に、ほんの数日前までサラリーマンをしていたのだから、仕方がないといえば仕方がないことなのだが……
 コウは神戸から、エミは千葉から、ハルカは神奈川からオーストラリアにやって来た。彼らは全員ワーキング・ホリデー・ビザで『ラウンド』と言う、この広大なオーストラリアを一周(約一万~一万五千km(ルートによって異なる))するという、とても気が遠くなりそうな長旅に挑戦している仲間だそうだ。当然、僕にもここオーストラリアに来た目的を質問されたが、あいにく僕にはそんな大それたことを達成する予定は毛頭なく(そもそも、そんな根性を持ち合わせてはいない)、ただこの街にしっかりと腰を据え、一年間定住し異国文化を身を以て知るというのが目的だと伝えた。三人は感心の言葉を僕にくれたが肝心な本人は、とっくにスタートを切って始まっているにも関わらずまだどこかぼんやりとしており、他にもしたいことがあるのだがこの場ではこれくらいのことしか上手く相手に伝えることが出来なかった。
 コウは神戸出身で、大阪出身の僕とは距離が近かったし、なにより同性ということから比較的話しやすかった。彼と日本ではお互いにどんな仕事をしていたとかを話し、彼が神戸だったことと当時は僅か二〜三年前ということもあり、極自然と阪神淡路大震災の話題になり、大きな被害はなかったかと聞いた。
「そっちは長田区が凄くて、僕の住んでいた所はかなり揺れたんだけど大したことなかった。それよりも、酒鬼薔薇事件(神戸連続児童殺傷事件)は散々だったね」と彼は言った。
「どうして?」と僕は彼に聞いた。
「神戸市須磨区友が丘だから、もろに事件の所だよ」と彼は言った。
「えっ! それやったら、犯人が逮捕されるまで生きた心地がしなかったんじゃないの?」と僕は言った。
「全然! あの辺りでは有名な子だったから周りの人は『あの子が犯人だ』って僕も含めて、街のみんなは判っていたから全く怖くなかった。知らなかったのは、たぶん彼のご両親ぐらいじゃないかな」とあっさりと彼は言った。
「マジで?」と僕は聞き返した。
「うんマジで。だってあそこはそんなに大きい街じゃ無いし、噂なんかすぐに広まる。だから、ずっと前からあの子はヤバいって大体の人は知ってた」
「そうなんや、せやったらそんな噂を知らない警察は犯人を見つけるのが大変やったんちゃう? だって子供やとは誰も思ってなかったわけやし……」
「ううん、当日からその子の家に物凄い数の警察官が来てたよ。ただ、未成年だったから逮捕するのに慎重に時間をかけたのと、周りのマスコミに報道しないように徹底してたね。うちの家にも警察が来て、犯人を知っていても絶対に口にしないでくれって言われたくらいだったからね」
 日本中が震撼した大事件は、実はとっくに近隣の人はもちろん、警察も犯人を知っていて調査を開始し、マスコミも容疑者が未成年ということを考慮して、ある種の箝口令を徹底して敷いていたとはとても驚いた。同時に、すぐ側でコウと僕の話を一緒に聞いていたエミとハルカも驚きから言葉を失っていた。
「未成年の子を、誤認逮捕や誤報道で人生を滅茶苦茶にしてしまってはならないから、警察も報道もかなり慎重やったね。でも結局は逮捕されたけどね」とコウがサラリと言うと、僕の耳にはあの聞き慣れない信号機の音が頭の中をすり抜けるように届き、またロー・ストリート前で信号を待っていた。
 その時にコウが「この信号を渡ったらあの階段を上がるんだよ」と言って少し向こうに見える、陸橋のようでもあり、駅の入り口の階段のようにも見える少し奇妙な階段を指差した。
 まだ頭の中がうまく整理できていない僕は「すると?」と口にする。
「たぶん、初めはビックリすると思う」とハルカが少し笑いながら言った。
 僕はハルカが何を言っているのか全く見当がつかず、とりあえず頭の中から神戸の悲惨な事件のことは一旦綺麗さっぱりと消してしまって、今は目の前の少し奇妙な階段にだけ集中することにした。
信号が青に変わり横断歩道を渡った後、コウが言った階段を四人で登った。
 別にこれといった感じはなかったが、長い陸橋で下には沢山の線路があり、時折電車が行き交っていた。そのスケールには多少は驚いたものの、これ以上のものは大阪でも見慣れているので、然程ピンとこなかった。僕は先程のハルカの言葉の意味合いがよく理解出来ないまま、そのまま四人で陸橋を渡りきった。すると、コウは前の大きな道に繋がる方向には行かず、少し手前にあった左の通路に曲がった。僕は、そのままコウたちの後ろについて歩き、やや広めの舗装された綺麗な道を歩くと、僕たち四人はいつの間にか駅のホームの中にいた
また、僕の頭の中は混乱したと同時に、今度は新しく『罪悪感』というものが頭に入り混じった。
「今、僕たちはどこで改札を通ってこのホームに来たのか説明して欲しい」と僕は三人に漠然と訪ねた。
 その言葉を聞くと、ハルカはクスクスと笑った。
「ほら、私と一緒じゃない!」と、ハルカはエミの顔を見て言っていた。
「やっぱりビックリするかー」と、エミは笑って言った。
「実は、パースの電車には改札が無いんだよ。凄いでしょ? だから僕たちは、ズルをしてホームに来たわけじゃないから安心して。あと、切符を買ってから「制限時間(当時は二時間)」以内であればどこでも(もちろんゾーン内に限り)乗り降りは自由で無料なんだよ。凄いでしょ?」とコウは言った。
 コウの言葉を聞いて、安堵しこれまでの冷や汗が一気に引いていったが、同時にこんなにも異なる常識がある外国って面白い!と、僕はこの地に来れたことを心から喜んだ。
 切符は日本と同様に、駅のホームに備え付けられた券売機で購入する事が出来るが、金額はシンプルに「ゾーン(区画)」で変わるシステムだった。
パースと日本とで大きく違う点は、駅と駅の区間で値段が変わるのではなく、パース駅を中心として明確に区切られた「ゾーン(区画)」間の移動で金額が決まる事だった。一番栄えているパース駅を中心に、外側へ一定間隔で円で9つに区切られ、パースの交通機関は全て「Transperth(西オーストラリア州交通局)」下で管理運営されている。(大阪で言うと「昔の大阪市交通局」みたいなものだった。)
この最大九ゾーンまで設定されているのは、電車だけではなくバスや船も含まれるものとなるが、一年間パースに住んだ経験上、移動した最大ゾーン数は三ゾーンが限界だった。理由は簡単で、中心のパースシティから離れていけば離れていくほど移動する目的地がないのだ。そのゾーンを示すマップを眺めながら、きっとパースの地価もこのゾーンに近い感じで設定されているんだろうなと一人邪推していた。
 僕は、コウの勧めで『マルチライダー』という、ゾーンと利用回数を指定して買ういわゆる「回数券」(十回、二十回、四十回の三種類があった)を購入することにした。特に期間期限もなく、切符で買うより幾分か割引があるので節約出来るのが魅力的だった。今の所は電車やバスに乗って移動することは無さそうだが、とても一人でマルチライダーを買う勇気も英語力も無かったことから、折角の機会なので(コウが間に入ってくれるこのチャンスもあった)、三人が勧めてくれた「二ゾーン(十回分)」のマルチライダーを一枚購入してみた。
 いざ手にしてみると想像していた物とは少し違い、紙で出来た定期券の様な代物だった。とりあえず、これで電車やバスで移動することがあれば、「二ゾーン以内」なら十回まで安く移動出来るようになった。ただ、疑問に思ったのが「改札が無いならタダ乗りし放題」ということと、マルチライダーは日本の回数券とは違ってちぎって渡すタイプでもないのでどうやって管理するのかということだった。マルチライダーは、全ての駅に「マルチライダー・マシン」が設置してあり、そこにマルチライダーを入れると、カード自体に乗車駅と日時を書き込まれる仕組みだった。(現在は『スマートライダー』という非接触型ICカードに刷新されている)

これが当時の『マルチライダー』
これが当時の『マルチライダー・マシン』

 重要な切符所持の確認、即ち「無賃乗車者の取締り」は至ってアナログで、電車に二人一組の体躯の良い駅員が乗り込んで確認する。
とはいっても、その電車の中に必ず居るわけではない。昼間は抜き打ちで二人一組で乗り込んでおり、日が沈むと車内の安全対策の面も含めて、必ず二名~四名で乗りこんでいる。この駅員はどちらかと言うと警備員の様な風貌で、女性も居るが見るからに「腕に覚えがある」感じの人だった。
彼らが、日本の新幹線のように切符やマルチライダーの所持確認を行うが、これも全員に行うというわけではない。ほぼ無作為に確認を行う(特に若い年齢や、僕のようなアジア人には高確率で確認しに行く傾向があった)。
僕は一度もご厄介になったことは無かったが、噂ではそこで無賃乗車者と発覚した場合は「罰金百ドル」を請求されるとのことだった。

 僕たち四人は駅を出ると、次は『キャットバス』に案内してもらった。
このキャットバスは、パースシティ内を無料で乗車出来るバスだ。巡回するルートは「赤」と「青」で色分けされており、当時「赤」はマレー・ストリートや、ヘイ・ストリートと比較的ショッピングエリアを中心に走り、「青」はノースブリッジや、バラック・ストリートへと繁華街からビジネス街を走っていた。僕たちが今回乗ったのは「赤」のキャットバスだった。
「名前は可愛いんだけど、巡回エリアが微妙であんまり活用するのには今ひとつパッとしないんだよね」とハルカが言った。
「無料だからかもしれないけれど、足がつかれた時以外は正直あんまり使えないイメージかな?」とエミは言った。
「僕たちは長くパースに居ないから判らないけど、こうやって地元の人は結構利用してるから、長く住んでいたら僕らには判らない利用方法が見つかるかもね」とコウが言うと、エミとハルカは深く頷いた。
 三人は、この地に僕が長期滞在する事を慮って教えてくれた事にとても嬉しく思えた(結局、彼女らの言う通りキャットバスは「赤」も「青」も含めて、僕は一~二回しか本当に必要とする機会は無かった)。
 キャットバスは、バラック・ストリートに入りヘイ・ストリート・モールの側で止まった所で、僕たちはバスを降りた。そこから少し歩いた所で、昨日に話していたジャパニーズ・レストラン「サムライ」が見えてきた。
 ピンク色の目立つ看板ながら、ちょうど昼時ということもあって、沢山の日本人がメッセージボード前に群がっていた。
「売ります」「買います」「シェアフレンド募集」「アルバイト募集」「一緒に英語の勉強する人募集」等、様々な内容が掲示されてあった(僕の見た限りでは、違法なものは何一つとして無かった)。

『サムライ』のメッセージボード(当時)

 僕たちは店の奥に入るとタイミング良く四席空き、僕はみんなが昨晩話していた牛丼を頼んだ。エミもハルカも揃って牛丼を注文したが、コウはカレーを注文した。
「えぇ、昨晩もカレーだったのに?」と、僕たち三人は驚いた。
「実はカレーは大好物で毎日でも大丈夫。それにここのカレーも独特の味で美味しいんだよ」とコウは言った。
 実際に目の前にカレーが運ばれてくると、コウは実に美味しそうな顔をしながらスプーンを手に取り、喜んでカレーを食べていた。
僕たちが頼んだ牛丼は、日本で食べるチェーン店の馴染みのある牛丼とは少し異なっていたが、味は確かに悪くない。チェーン店の独特の味わいではなく、どちらかと言うと家庭の味つけで日本人に人気がある理由が判った。僕たちは食べ終わると、みんなでメッセージボードを確認し、エミはいくつかメモを取っていた。僕は、その間にメニューを眺め、そこには「牛丼(Beef rice bowl)」と書いてあった。「丼」ってライスボウルって言うんだなと感心していると、エミはメモを取り終えたようで、僕たちは店を出ることにした。
店を出るとハルカは「私たちは用事があるのでとりあえず今日はここまで。ごめんね。」と言った。
 僕は三人に御礼を言うとエミが「シティのお店は、ほとんど十七時に閉まっちゃうから気をつけてね、あと金曜日だけは二十一時まで開いてるの。日本と違って基本的にすぐにお店が閉まるから注意してね」と教えてくれた。
「じゃあ、またホテルでね!」とコウは言って、ヘイ・ストリート・モールに三人は消えていった。
『はてさて、どうしたものか……』と思った時に『West Australia Student Service』と書かれた看板が目についた。なんとなくだが、確か『地球の歩き方』に掲載されていたお店じゃないかと思った(実際は僕の勘違いで掲載はしていなかった)。
僕はドアを徐ろに開け、左手の階段を上がるとそこには受付があり、少しすると背の高い痩せた日本人男性が奥の扉から現れた。もちろん、僕はここに特にこれと言った用事も無くなんとなくふらっと入っただけだった。
ただ、どこだってなんだっていいから、パースに関するどんな情報でも片っ端からかき集めたいという気持ちが強かった。
「すみません、少しよろしいですか?」と、僕は思い切って彼に声をかけてみた。
「はい、なんでっしゃろ?」と、ハキハキとした愛嬌のある声で彼は言った。
僕は、これまでの事を要約して彼に話し、そしてこのお店でどんなサービスを受けられるのか知りたいと尋ねた。
「さいでっか、判りました判りました。まぁまぁ、そこに座って楽にしてください。別に取って食ったりしまへんさかい」と彼は言った。
「初めまして、私は竹島千歳といいます、ここではChi-Chiで通ってるから、チチでいいよ。チトセって言いにくいらしいのよ英語圏の人って、タケシマも言いにくいみたいやから、ヤケクソで『Chi-Chi』って言うたらそのままになったんよ。ホンマに女の『乳』やアレへんねんから……。で、キミはどこから?」と、早口で話した後、彼はとても自然に質問を付け加えて返してきた。
同時に僕は、この人は絶対に関西人だと確信した。
「大阪です」と僕が答えるやいなや「僕は、京都。同じ関西圏やがなぁ。嬉しいがなぁ~」と満面の笑みをしながら、コテコテの関西弁で彼は話す。
 なんともざっくばらんな方で、同じ関西圏と言うこともあり、とてもフランクに接してくれた。僕は、これから先について知っておかなくてはならないこと等を色々と聞いてみた。
Chi-Chiさんは『サムライ』の重要性、サポートや日本の本が読みたかったら『日豪センター』という所がすぐ近くにあることと、パースの治安についてや注意する点等、色々と親切に冗談も交えながら教えてくれた。
最後に名刺を取り出し、いつでも判らなくなったらここに来ると良いと言って渡してくれた。ひょんなことからこれでまた心強い味方が増えたことに心から感謝し、Chi-Chiさんに深く御礼を言って『West Australia Student Service』を後にした。
 僕はバラック・ストリートを北上して戻り、マレー・ストリート・モールに差し掛かった所で、Chi-Chiさんが先程教えてくれた日豪センターへ早速行ってみることにした(少しでも早くこの街の情報を知っておきたかった)。建物の中はいかにも西洋という感じがする建物で階段を上がると、一つだけドアが開いている状態になっており、微かに何人かの話し声が聞こえてきた。その部屋の開きっぱなしになっていたドアに掛かっている看板を見ると『日豪センター』と書いてあった。ただ、やはり初めて訪れる場所ということと、先程とは違う図書館に近い空気が漂っていた。
ゆっくりと店内に入ってみると、店内は若い女性客ばかり居たことに驚いた。周りには様々な小説や漫画雑誌が置いてあり最新号と判りやすく強調された「少年ジャンプ」は、日本で何週間か前に見た物が置いてあった。
その他の小説や雑誌も全般的にかなり古いものが新刊とされていたので、ここだけ一~二年ほど時が進むのが遅れているように感じた。
ただ、ここでは有料ではあるが、様々な公的な手続きの代行やデスクトップPCでインターネットを利用出来る点がとても大きかった。
店の人にいくつか質問をすると、日豪センターはパースで英会話学校(非アカデミックな学校)に通う人たちをメインターゲットとしていることが判った。なので「サムライ」のような、どちらかと言うと殺伐とした「サバイバル感」が全く無く、むしろ金銭や時間に余裕がある人たちが利用するので、利用者の若い女性たちの多くは小綺麗な服装をしている人が多いことになんとなく合点がいった。

 壁の時計に目をやると、十七時に近くなっていたので、ひとまずホテルに戻ることにした。なんとか、少しずつ歩き慣れてきたマレー・ストリート・モールを歩いていると、エミが言っていた通りあちらこちらでそそくさと店が閉まっていく。欧米人は、仕事とプライベートはかなり割り切っているとは聞いてはいたが、ここまでサッパリとしていると気持ちがいい。
気がつけば、あれよあれよと店が閉まっていく。日本であれば、人通りがまだあるこんな時間にさっさと店を閉めることはまずしない。
「少しでも店の利益を上げる事」を優先するはずだ。しかし、この国は違う。「プライベートの時間」を優先する。
 これがオーストラリアの「当たり前」。
もちろん僕も「異文化」として理解しているし「異なる当たり前」が存在する事は頭では判っている。
が、実際にその地に訪れてみないと判らない「日本とは異なる当たり前」が、想像より数多く存在する事に驚き続けた一日だった。そんな事を思いふけりながら、ユースホステルに向かって歩いていると、急にのどが渇いてきた。十一月というのに熱い夏で、今日一日水分をきちんと摂った記憶がない。それに、久しぶりに一日通して色々な人と話をする機会が多かったからだろう。だったら、日本に居た時から海外の自動販売機で飲み物を買ってみたかった事を思い出し、帰路に向かいながら自動販売機を歩き探した。
 こちらはそもそも日本と比べて自動販売機の設置数が少なく、漸く見つけた自動販売機のラインナップの少なさに驚いた。コカ・コーラ、ダイエットコーク、スプライトのボタンがそれぞれ二つずつしか無かったし(実質は三択だ)、それは全て日本で売っている物ばかりでとてもがっかりした。
「ベタなラインナップやな!」と、思わず一人で声を出してボヤきながら、二ドルコインを入れてスプライトを買ってみた。
 一つのスプライトの缶と、お釣りのコインがジャラジャラと出てきたのは良いが、どうもお釣りの方が多いように思えた。その場でお釣りを確認したかったが、徐々に日が暮れ始めている外でお金を数えているとあまり喜ばしくないシチュエーションを誘うと考え、そのままポケットにお釣りをねじ込み、足早にホテルに戻って自分の部屋に入った。
 僕は早速スプライトの缶を開け、喉を潤しながら階段下のハリーポッターの自室に戻るやいなや、ポケットからお釣りを取り出して一つ一つを確認してみた。
五百円に近い大きさで、銀色のコインが「五十セント」
百円に近い大きさで、銀色のコインが「二十セント」
十円に近い大きさで、銀色のコインが「十セント」
一円に近い大きさで、銀色のコインが「一セント」
百円に近い大きさで少し分厚い、金色のコインが「一ドル」
一円に近い大きさで少し分厚い、金色のコインが「二ドル」
と、地味に硬貨の種類が多く、日本とは違い大きさで価値が決まるのではないことと、「金色」が地味に「ドル」なんだなと感心していた。それぞれのコインの種類を踏まえて、お釣りをしっかりと数えなおすと普通に計算が合っていた。僕はなんの得もしていなかったのだ。ただ単純に、日本人の感覚で、自動販売機から銀色の硬貨がジャラジャラと出てくると、どうしても五百円か百円と思ってしまい、手垢がついて「銅色にも見える硬貨」が出てくると、反射的に十円だと思ってしまう。
これまで「日本では当たり前だった事」が、本当に尽く異なった。
これを機会に僕は、お金の感覚(特に色味)について、一度頭の中をリセットすることにした。このままの日本の感覚でいては、この先ろくにやっていけないと思い、何度もコインを眺めてしっかりと頭に叩き込んだ。
ただ、どうしても銀色で五百円大のコインが「五十セント」という事には納得がいかなかった。
「お前はその風格なら「五ドル」でも良いと思うぞ」と、思わず五十セントのコインに向かって独り言を言っていた。
 さて、今晩もみんなで賑やかな夕飯を食べるべく、ハリー・ポッターの階段下のシングルルームを僕は出て、ダイニングルームに行うことにした。

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