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海の向こう側の街 Ep.01<出発>

 この日は、あまり深く眠れなかった。まるで浅い水面を浮かび、ゆらゆらと仰向けで漂っている感覚を持ち、ハッキリとした意識のまま目覚めと睡眠の狭間を彷徨っているような奇妙な睡眠だった。
僕は出来うる限り、この日の朝のために準備を整えていた。散々手垢の付いた言葉だが、期待と不安が入り混じり、本当になんとも言いがたい焦燥感と不快感が体中に流れ続けた。
目覚まし時計の聞き慣れた心地よい電子音が、ぼんやりではなくはっきりと聞こえたまま、目覚ましの電子音を止めた。時計の針は、正確に朝の五時を指していた。昨晩は十一時頃に眠りについたので、この約六時間は今まで意識と睡眠の間で過ごした最も長い時間だった。月曜日の出勤の時のいつもの気だるさは無く、この日の月曜日の朝はいつもと全く異なったものを背負っていた。僕はそのまま、無理やり体を起こして予め用意していた服にややもたつきながら、のそのそと着替え始めた。
僕は一通り着替え終わるとベッドを整え、この日を迎える為だけに購入した旅行鞄に目覚まし時計を放り込むと、チャックを締め、鞄を背負って部屋を出た。真ん中にあるリビングにぽつんと一人、母親だけが起きていた。

 僕がオーストラリアへ単身で一年間留学しに行くと、家族に話した時に母は大反対した。父は特段、何も言わず弟はそれなりに僕の考えに納得し理解を示していた。だが、母はほぼ出発前日まで口煩く反対し続けていた。
母は深夜遅くまでスナックを経営している為、今の時刻は母にはいささかキツイ時間にもかかわらず起きていた。
「どうしても、外国に行くんか?」と母は、諦め口調で僕に言った。
「もちろん行く」とだけ言って、僕は荷物を背負って母の前を通り過ぎた。
「気をつけて行きや」と、ごくありきたりな言葉でありながら、全く覇気のない母の愛情の籠もった言葉が、僕の背中に届いた。
 僕は二十四歳になり、これまで社会に出て当たり前に働き、分別もある程度理解したこの年齢になって、生まれて初めてやっと『親心』というものを理解した瞬間だった。『冷酒と親の言うことは後で効く』と言うけれど、今回に限っては全く後悔はない。仮に旅の途中で不幸にも命を落としても、行かなかったことを後悔するより行ってから後悔する方がマシだと僕は強い信念を持っていた。
「わかった」と、ただ、母の無骨な『親心』を背中で受け止めた。
 玄関に向かって靴を履き、ドアを開け、敷居を跨ぐ時『次に、このドアの敷居を跨ぐ時は一年後になるんだな』と、これまで何度も当たり前のように跨いでいた敷居を見つめた。
「行ってきます」と母に聞こえる程度の小さい声で言って、まだ眠っている父と弟を気遣い、僕はそっと静かにドアを閉めた。
 まだ薄暗いマンションの階段を、少しだけ重たい旅行鞄と共に慎重に降り、マンションの重たい扉を開け外に出た。いよいよ旅の始まりだ。
まず目指すのは『関西国際空港』であり、そこに向かうために空港特急のラピートに乗らなければならない。
ただ、乗車するためには一度、空港とは逆方向の「なんば」行きの電車に乗らなければならなかった。もちろん、進行方向の先にある大きな駅にも『空港特急ラピートβ』は停車するのでそこから途中乗車することもできたのだが、僕は『どうしても始発駅である「なんば駅」から『空港特急ラピートα』に乗ってノンストップでこの旅をスタートさせたかった』。そのために、これまで通勤時に乗り慣れた「なんば」行きの電車に乗り込み、僕は一路「なんば」へと向かった。
 この日は平日だったからか、早朝ながら通勤の会社員でそれなりに満員だった。かなり早い時間でありながら、十日という五十日で且つ月曜日ということもあってか、予想より混んでいた事に驚いた。
とはいえ、日頃の通勤時間ではないにしても、この見慣れた風景の中で毎日スーツを着て、つい数週間前まではこうやって一緒に何年間も電車に揺られていたのだが、今日の行き先はあいにく通い慣れた職場ではなかった。
僕が高校一年生の頃から長年思い描き、思案し続けてきた「最低一年間、海外に単身で定住する」という『夢』が、今日の行き先だった。

 「とはいえ、夢が叶うにも様々な形があるのは判っているのだが、満員の通勤電車で『夢』に向かうってのはちょっとロマンが無いなぁ」と複雑な心境で、揺れる電車の中でつり革を握っていた。
『いや、このままではいけない。こんな時こそもっとのぼせ上がって、夢を思いっきり見よう』と、どこか弱気な気持ちを振り払うかのように、ジーンズの右後ろポケットに入れてあったMDウォークマンを取り出し、この今日の出発のために作ったディスクを確認してから再生ボタンを押した。
1曲目にビートルズの『Magical Mystery Tour』が鳴り響くと、一転して高揚感が高まり、この間までの自分を投影するかのような周りのサラリーマンを客観視することが出来た。
「我ながら、単純なものだな」と心のどこかで思いながら・・・。
もはや体に完全に染み付いた、いつもの通い慣れた駅「なんば」に到着するや否や、幼い子供のように急いで未知なるラピートの乗り場に向かった。
生まれて初めて乗る空港特急ラピートだ。しかも『空港特急ラピートα』だ。
これまで何度もこの電車を見たことがあるが、子供の時に初めて見た新幹線と同様のインパクトを持つ強烈なデザインだった。あらかじめ、購入していたチケットをラピート専用受付ゲートの人に確認してもらい、いよいよ『空港特急ラピートα』に足を踏み入れた。子供の時に新幹線に初めて乗る時の高揚感を再び全身で感じているのが自分でもわかった。
それは『銀河鉄道999』に初めて乗りこんだ時の星野鉄郎の気持ちだった。
車内は当然、日頃乗り慣れている普段の通勤電車とは全く異なり、旅行鞄を置くラゲッジスペースが用意されていたり、いかにも座り心地の良さそうな座席など、新幹線もまた違う独特の空間に驚きの連続だった。
僕はチケットを確認して自分の座席を見つけると、ラゲッジスペースを使わずに、大きな旅行鞄を横に置いて指定席に腰を下ろしてみた。というのもこちらは、逆に利用者が少なくこの時点ではほぼ空席だった。もちろん、僕の横にはメーテルは居ないしそれらしき人もいない。
あまりの利用者数の少なさに、乗車時間を間違えたかなと少し不安になったが、定刻どおりにラピートが出発すると僕の中にあった不安はすぐに消し飛んだ。
馴染みのある『なんば』を出発し、ユニークな円形の窓から、さっき出た実家のマンションの前を一瞬で過ぎ去ったのがわかった。
「ありがとう」と、母の顔を見て素直に笑顔で言えなかった一言を小さな声で母に言った後、MDウォークマンに繋がれたヘッドフォンから猿岩石さんの『白い雲のように』が鳴り始めた。

『遠ざかる雲を見つめて、まるで僕達のようだねと君が呟く。見えない未来を夢みて・・・』

僕は、何かに背中を強く押されたような気持ちになった。
テレビで観ていた猿岩石さんのような辛い状況下に置かれるかもしれないし、本当に命を落とすような事があるかもしれない。
でも、彼らはテレビ局の配慮もあったとはいえ過酷な中であの旅を最後までやり切ったんだ。僕もきっと「諦めさえしなければ」きっとこの旅を最後まで乗り越える事が出来るはずだと強く信じて。
『空港特急ラピートα』は、一度も止まることなく、僕を乗せて一直線に最初の目的地である『関西国際空港』に向かった。
さすがに新幹線ほどの速度は出ないけれど、確実に関西国際空港に僕と微妙に重たい旅行鞄はラピートによって僕の『夢』に向っている。
今まで、あれほど住み慣れた大阪の実家から離れて行けば行くほど『白い雲のように』の歌詞通り、不思議と過去の自分が消えていき、目に見えない何かに押されながら程よい爽快感のある速度で、新しい自分に切り替わっていく気がした。今までの自分は、僕の体からゆっくりとドロリと何かが抜け落ちていき、新しい何かわからないモノが自分自身の中に音も立てずにゆっくりと入ってくる。そんな奇妙な感覚に身を預けていると気がつけば、ラピートは関西国際空港に繋がる大きな「スカイゲートブリッジ」を渡り始めていた。
僕は、乗車人数が少ない事を逆手に取り、念の為に忘れ物は本当になかったかと、旅行鞄の中を確認しつつ、服の下に首からぶら下げているチケットとパスポートをしまっている「GTホーキンスのパスポートケース」の中身を確認した。
 当時、トレッキングブーツで有名なGTホーキンス社が新しく発売したビジネスシューズのCMで女優の大塚寧々さんが、全裸で胸をビジネスシューズと手で隠しているという、とても衝撃的なコマーシャルで爆発的に大ヒットし、僕も他に漏れずGTホーキンス社のビジネスシューズで通勤していた。
そんな時代背景もあって、タフなGTホーキンスと繊細で魅力的な大塚寧々さんのイメージから、程よいパスポートケースを探していた際に偶然見つけた「GTホーキンスのパスポートケース(恐らく正式にはパスポートケースとして販売した物ではないと思うが少なくとも僕にはそう思えた)」に即決し、とても満足していた。荷物の確認をした結果は、前日にも何度も確認したのだから、もちろん忘れ物は何一つともなかった。
パスポートケースは首からかけ、シャツの一番下に潜り込ませ、再び鞄を閉めた。

 『空港特急ラピートα』は、最初の目的地である『関西国際空港』に到着した。人気の少ない車内から、人気の多いプラットフォームのギャップに驚き、エスカレーターで上がっていくと生まれて初めての関西国際空港の玄関口に到した。なんとなくだけど新幹線の新大阪駅に近い「とても大きな穴の出入り口」に感じた。
普通の駅とは違い、新大阪駅やこの関西国際空港駅はどこかしらその向こう側に行く理由がある駅だ。
自宅がある最寄り駅の様なただの駅ではなく、大きなテーマパークがある駅とも違う。梅田や新宿のような街自体も大きく、さまざまな乗り換えが可能なHUBのような駅とも違う。空港内に歩みを進めるほどなんとも言えない「ポッカリと空いたとても大きな穴」に向かうという感覚が、そこにはあった。
少なくとも、なんとなくなのだが僕の体ではそう感じていた。
 さて、新幹線ならどこでどういった手続きを取るのかは出張で何度か利用したことがある。みどりの窓口に行ってチケットを発行してもらって新幹線乗り場に荷物と共に向かう。加えて新幹線は、JR社で成り立っているので、基本的には手続きは洗練されているのでとてもコンパクトだ。しかし、国際空港で飛行機に乗るとなれば国を跨いだ航空会社が沢山ある上、そもそも日本から出国するわけだから出国手続きやらなんやらと面倒な手続きも待ち受けているだろう。ここから先は、出張で使う新幹線のようにホイホイと事は進まないだろうなと覚悟をした。
 予定通りにフライトの時刻より早く到着した僕は、観光気分を味わいながら空港内を一人でぶらぶらと歩きながら、空港内の広さに驚いた。
「ここが海の上にある国際空港の中なんだ!」とアチラコチラと眺めては驚きを繰り返して歩いていたのは良かったが、ふと現実が僕を引き戻した。
 僕は今からどこに行って、何の手続きから始めなければならないのか、そしてそれにどれほどの時間が必要となるか、何一つとして全くわからなかった。生まれて初めて海外へ向かうこと、高校で沖縄へ修学旅行で飛行機に乗った時以来、一度も飛行機を利用したことがないこと。
 ついこの間までサラリーマンをしていたが、それまでの長距離の出張は全て新幹線だった。修学旅行で乗った飛行機の手続きは全て先生たちがしてくれたので、僕たち生徒は先導する先生の言う通りに足を進めて搭乗しただけだった。とりあえず一度冷静になり、僕の航空券はキャセイパシフィック航空だということはわかっている。ということは、まずはキャセイパシフィック航空の受付まで行かなければならないんだろうなとなんとなくはわかった。ただ、それが最初に取る手続きとして正しいのかがわからない。その前に出国手続きを先に行うのか、ひょっとしたら僕の知らない手続きが先に必要なのかもしれない。
初めての出国に加え、空港が広すぎてなにもかも見当がつかなくなってしまった。僕はちょっとしたパニック状態にはなったが、とりあえず航空会社の服を着ている人にチケットを見せて相談し、僕が向かうべき場所を教えてもらい、言われるがまま進めることに決めた。僕みたいな全くの素人が、持ち合わせてもいない知恵を絞っても何も出てこない。あれこれと悩むくらいなら、慣れたその道のプロに聞いた方が早くて確実だ。そう考えた時に偶然、すぐ側を通ったANA(全日本空輸)の制服を着た女性から声をかけてもらった。その道のプロの方は、僕のような人間を一目見れば「全くわからずに彷徨っている人だ」と容易にわかることに感心し、心から感服した。
文字通り渡りに船だとばかりに、僕はこの親切なANAの方に事情を説明し、今から行うべき「大きな流れ」について丁寧に教えて頂いた。
 まず、僕が最初に行う事は「キャセイパシフィック航空の窓口」に行って「チェックイン」という手続きをしなければならないという事が判った。ありがたいことに、この広すぎる空港内で迷子にならないように同業他社のキャセイパシフィック航空の窓口の方向をわかりやすく教えてもらう事が出来た。僕は出来る限り丁重にお礼を言って「キャセイパシフィック航空の窓口」に向かった。
 ANAの方の案内通りに進むと「キャセイパシフィック航空の窓口」に到着し、早速、受付の人に言われるがまま、記入すべき書類に全て記入しチェックインの手続きを一通り済ませた。僕にとってはこれは大きな前進だった。
次は機内持ち込みと預ける荷物とを振り分けることとなった。当時の僕は、機内に持ち込むのに必要だと思ったものは、パスポートとチケットと現金だけで、それらは既に服の下に入れてある『GTホーキンスのパスポートケース』に全て入っていた。今のようにスマートフォンやタブレットや高性能な携帯ゲーム機がある時代ではなかったので、飛行機内で特に何をすると言うことがなかった。なので、首からかけていた『GTホーキンスのパスポートケース』だけで問題はないかと窓口の方に確認すると特に読みたい本などがなければ問題ありませんよと言われた。それを聞いて安心した僕は、ほぼ手ぶらに近いシンプルな状態で飛行機に乗り込むことにした。あの、微妙に重たい旅行鞄とはしばらくの別れだが、オーストラリアのパース空港でお互い元気で会おうとベルトコンベアで流れていく旅行鞄に心の中で声をかけた。
 次はテレビでよく見る「セキュリティーチェック」だったが、流石にこれくらいは知っている。金属物を全てかごに入れて、ゲートを通れば一発でOKだった。なんだ、この調子なら飛行機に乗るのなんて楽勝じゃないか!と思っていたら、次の「出国手続き」がなかなか難関だった。無機質な自動ドアが開くと、その向こうには沢山の人でごった返し、あちらこちらで沢山の行列があった。並んでいる人の手元を見ると、パスポートとチケットと「何か」を持っていた。他の人を見てもやはり同じで「何か」を持っていた。しかし、僕はその「何か」だけは持ち合わせていはいなかった。慌てた僕は、少し離れた場所に居た出国手続きの関係者らしき人を捕まえて、その「何か」について聞いてみると、すみっこに追いやられた会議用テーブルの上に置いてある「申請書」を記入しなければならないことがわかった。
そうだとわかれば心がすっと軽くなったが、こういったお役所的な書類の記入は、「書き間違いがあったら、出国できなくなるかもしれない」という変な緊張状態になり、コリコリと丁寧に記入事項を書き、ごった返していた出国ゲートの長い列に並びパスポートと往復のチケットと「申請書」を手渡した。出国手続きの人はポンポンポンとリズムよくスタンプを色々押し、あっという間に出国許可がおりた。
 大きく広い出国ゲートを抜けると僕がなんとなく関空についた時に感じていた「とても大きな出入り口感」であり「ポッカリととても大きな穴」という感覚は、今の僕の背後にある出国ゲートが、きっとそれだったんだと胃の腑に落ちた。
僕の目の前には、世界中の色々な国々と繋がっている。
家のドアの敷居を一歩踏み出し僕は今、世界中と繋がっている場所に立っていた。
そして、次に向かう場所として僕は「ウィングシャトルの乗り場」に向かった。

 「搭乗ゲート」にはウィングシャトルという電車のような乗り物に乗って行くのだが、さっきの出国ゲートまでかなり歩いたにもかかわらず、今からウィングシャトルに乗ってまだ空港内を移動することに僕はとても驚いた。「関西国際空港って、どれだけ広いんだよ!」と思いながらシャトルに乗りこむ。シャトル内は、ほとんど椅子もなく立ち乗りが基本だった。こちらも思っていたより少ないなぁと思っていたら、気が付けば満員状態。その上最後に乗り込んできたのは体格の大きな外国人一行が多数乗り合わせ、あっという間に鮨詰め状態となったシャトルは文句の一つも言わずに出発した。「また、満員電車だよ」と思いながら、窓を眺めることのできないポジションに居た僕は黙って下を向いていた。しばらく揺られた後、シャトルが国際線の搭乗口側に到着すると、やっと新鮮な空気を吸うことができた。今度は「キャセイパシフィック航空」の搭乗ゲートエリアに向かわなくてはならない。手にしている搭乗券と、テレビでよく見るフライトボードに表示されているゲート番号と現在の時刻を念入りに確かめて、搭乗ゲートへ向かった。
結果的には、かなり余裕を持って家を出たので、ここに来て少し時間が余り、全体的にほぼ理想的な形で全ての手続きが滞りなく終わった。
それと同時に安堵感に身を任せると、これから先、合計約十一時間を機内でどうやって過ごすかを考え始めると、ここに来てようやくかなり手持ち無沙汰な事に気がついた。当然、スマートフォンも無い時代で、こんな時の為にさっきの受付の方が言っていた通り小説の一冊でも持っていれば良かったのだがあいにく持ち合わせておらず、文字通り本当に何もすることがなかった。
依然、搭乗ゲートエリア付近には、人影もまばらで閑散としていた。
加えて、朝起きてから今まで何も口にしていなかった事を思い出した。
時間つぶしの小説やちょっとした食べ物を売っている店を探し、周りを見回して見たが僕の期待に応えてくれるような店は一切なく、近くにあった自動販売機を見つけ、ホットの缶コーヒーを一つだけ買った。取り出し口から出てきた物は何の変哲もない、サントリーの『BOSSの缶コーヒー』だった。
普段は缶コーヒーを飲まないのだが、一番量の少ない飲み物は当時これくらいしかなかった。
 喉は乾き、お腹も程よく空いている。ただ、体を突き抜けるようなえも言われぬ緊張感で、口に物が全く通らなかった。普通のお茶やジュースの量を飲める自信すら全くなかった。手軽に栄養が取れて、口に入れやすい物が手に入ればよかったのだが、無いものは仕方がない。下手に探し回って、飛行機に乗り遅れるよりは、手短に『BOSSの缶コーヒー』を口にした方が良いと考えた。
しかし、自分の思考とは相反して、緊張感が高まっていく一方なのが自分でも判り、缶コーヒーを手のひらでコロコロと回して手を温めて気を休めることにした。「落ち着け、落ち着け」と何度も自分に言い聞かせながら、缶コーヒーを手のひらで何回も回していると、やがて待ち人が現れるかのように登乗時間となった。十一月の半ばだったので、肌寒い季節に温かい缶コーヒーを飲んで気持ちを落ち着ける方が良かったのに、ひどい緊張感からそんな簡単なことすらも出来ず、結局は封すら開けずにただ手のひらを暖めただけに買った『BOSSの缶コーヒー』を急いでポケットに入れて搭乗ゲートに向かった。
搭乗口の人に言われるがままチケットを改札機に通し、パッセンジャー・ボーディング・ブリッジを歩いた。依然緊張したまま機内に入ると、中は思っていたより空席が多かった。キャビンアテンダントさんにチケットを見せて案内されるまま、関空発香港行きの飛行機の自分の座席に座って、空席が目立つ機内をぼんやりと眺めていた。
 今、僕は『夢』の真っ只中だが、まだ序盤の序盤にいる。これでよかったのだろうか?と自問自答する。共に起業しないかと声をかけてくれた友人の言葉を思い出す。仲のよくなった女の子のことを思い出す。心配していた母親の顔を思い出す。日本に残り、友人と起業し仲のよくなった女の子と恋に落ち、母にも心労をかけることなく過ごした方が良かったのではないかと、色々なことが頭の中を交錯する。
「まぁ、これはこれで良いじゃないか。自分のしたいことを自分で決めて、それを自分で実行したのだからくよくよ考えても仕方がない」と自分に言い聞かせた。
ただ一つどうしても心の中で解決しきれなかったことがあった。
「ひょっとして、これはとんでもない親不孝なのか?」
 この旅の下調べや資金のことは、全て僕自身で紡いできた。そして、今のここに座っている。きっとこの先、一生懸命にこれからの一年を過ごせば、何かの能力や経験が僕の身についているだろう。それが、特段なにかの資格や結果に結びつかなくても、回り回って何かしら親孝行になるかもしれないと、約33,000フィートの上空で自問自答しているうちに、気がつけばとっくに飛行機はフライトしているどころか、何気なく覗いた飛行機の窓には何度かテレビで見たことのある、あの『香港国際空港(啓徳空港)』が目下に広がってきた。

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