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海の向こう側の街 Ep.13<タカとの出会い>

 夕飯の仲間たちともすっかり打ち解け、ブリタニア・ユースホステルも自分の家のように慣れ親しんできた。
ただ、このままでは些か消費が激しく見通しが少し不安に思えてきた。
日々の出費と、これからの残金を考えると生活は出来そうだがやはり不安は拭いきれなかった。この間の韓国人たちは一つの部屋を複数人でシェアして住んでいた。
ひょっとすると、定住する僕はそっちの方が安上がりなんじゃないか……
僕は一度考え込むと、深く掘り下げるタイプで夕食を終えて仲間たちが自室に戻った後も、共同ダイニングで一人考え込んでいた。
あの時に一人当たり幾らか聞いておけばよかったなぁ。と思い返し、コウに頼んで再度彼らの家に連れて行ってもらおうかと頭を抱えていると、階段を降りてくる一人の足音に気が付き、僕はゆっくりと顔を上げた。
 日焼けをし浅黒い顔色にくたびれたTシャツ、そして着古したジーンズ。彼の顔つきをひと目見て日本人だとすぐに判った。しかもかなり旅慣れている人だ。
僕は思い切って彼にこんばんはと挨拶をして、少し相談に乗っていただきたいことがあるんですけどよろしいですかと彼に訪ねた。
彼は、満面の笑みで「いいよ、って僕で良いの?」と柔らかな口調で言った。
どんなことでも包み込んでしまうほどのソフトな彼の笑顔と言葉遣いに驚き、思わず凄く優しい笑顔ですね?と僕は言った。
「初めての人には、必ず笑顔で接することを心がけているんだ」と彼は僕に再び笑顔で言った。
 少し面長な顔立ちで、柔らかな目つきからどことなく知性も感じ取れた。彼みたいな人と一緒に住めたら最高なんだけどなと思いがよぎった。
「で、相談ってなにか問題があったの?」と彼は言った。
「いや、このユースホステルで二週間程度暮らしているんだけど、家賃と光熱費を誰かとシェアすればかなり安く住める場所ってあるんじゃないかなって思って……。でも、実際のところはどうなのかなと……」と、僕は彼に言った。
「そんな話は聞いたことあるよ、安い家を複数人で借りたりして住んでるって人は何人か会ったことがあるけど」と彼は言った。
「すみませんが、誰か相談できる方っていますか?」
「あいにく僕はシドニーからパースに来たばかりだから、でもシドニーではそういう人は確かにいたから、物価の安いこっちだったらもっと安く住めるんじゃないかな?」と彼は言った。
 そうか、この人はシドニーから来たんだと僕は驚き、その行動力に感心した。
「これから先は、やっぱりラウンドされるんですか?」と聞いた。
「いや、ラウンドには興味はなくて、ずっとパースでも良いかなって思ってる」と彼は言った。
「もしよかったら、この話を進めて一緒に住みませんか?」と僕は思い切って彼に聞いてみた。
「いいよ、面白そうだね」と、いともあっさりと彼は言った。
「え? そんな簡単でいいの? もうちょっと考えた方が良くないですか?」と、誘った僕自身が驚いた。
「別に君と話していて嫌な感じしないし、面白そうじゃない。僕の知り合いで英語がベラベラの友人が居るから彼に手伝ってもらって早速明日から一緒に家を探そうか?」と彼は優しげな笑顔で僕に言った。
「ほんまに! ほんまにOK?」と驚いた僕は地の大阪弁で言った。
「OK、OK!」と、僕の関西弁を聞いて大きく笑って言った。
「ひょっとして、大阪の人?」と彼は僕に聞いた。
「そう、産まれてずっと大阪市内」と答えて、僕は彼の出身を尋ねた。
「僕は広島なんよ、大阪の人はやっぱり面白いね。一緒に住むなら面白い人の方がいい」と彼は言った。
「ありがとう。広島やったら、幸か不幸か海外の人にどこから来たのって聞かれても、絶対に相手は知ってるんちゃうのん?」と僕は聞いた。
「うん、これまで一度もHIROSHIMA?って聞かれたことはないね」と、彼は笑いながら言った。
「残念なことやけど、広島と長崎は世界的にも有名やもんね」と僕は言うと彼は深くうなずいた。
「でも、東京と大阪は流石に世界的にも有名でしょ?」と彼は言った。
「いや、僕は全然英語が出来へんから、外国人と話したことは殆どないねん」と僕は言った。
「実は僕も全然話せんのよ。大学受験であれほど勉強してきたのに全く話せない。ただ、筆談なら出来るからまだマシだけどね」と言って彼は笑った。
「もしよかったら、どこの大学?」と、僕は興味本位で聞いてみた。
「広島大学」と彼は言った。
「広島大学って国立大学ちゃうのん? すごいやん!」と僕は驚いた。
こんな高学歴の人と一緒に住むところを算段するんだから、これほど心強いことはない(自慢じゃないが、僕は英語も損得勘定も含めて計算も全くダメだ)。
「一応ね、でも英語が全然できないし、こっちでは学歴なんてなんの意味も持たないって思ってる。みんなこの場所に何かの目的を持ってきているからね、ここにいるだけでもみんな凄い人たちなんだよ。それに、入試のためだけに覚える英語よりも使える英語って本当に重要なんだなって痛感している」
「英会話って言うたらええんかな?」と僕は彼に聞いた。
「そう! 英会話なんよ。英語が幾ら出来ても全く意味がないのよ。こういっちゃなんだけど受験で英語は得意科目だったんよ、だから正直それを耳で聞いて口から出すだけだから簡単だと思っていたら、これが大間違い。全く伝わらないし、相手がなにを言ってるか聞き取るのも難しい」と、彼は言った。
 僕は、もともと頭の中に英語そのものが無かった。全くのからっぽでこの地に来た。むしろ日本語で全て通じるとさえ思っていた。だからここに来て英語が出来なくても自分の頭の中にそもそもストックがゼロだから英語を聞き取れなくても、話せなくて全く悔しいともなんとも思わなかった。だってそもそもがゼロだから。
でも、彼は違う。
国立大学に合格し、その中でも英語が得意なのに英語が聞き取れないし話せない。その悔しさは、なんとも表現しがいものがあるだろうなと僕は思った。
その後、僕が日本を出国し、今日までの話を掻い摘んで話すと彼は声を出してゲラゲラと笑った。
「物凄いバイタリティで、いかにも大阪人って感じがするよ。本当に大阪の人って『横山やすしさん』みたいなんだね」と彼は笑いながら感心していた。
「いやいや、大阪の人は全員こんな無鉄砲やないよ、みんなちゃんとしてる人ばかりやから。僕がハワイみたいに全世界、日本語で通じると勝手に思ってただけやから」と言った。
「そっか、そういや名前を聞いてなかったね、僕は細田孝之。あぶ刑事みたいにタカでいいよ」と彼は言った。
「僕は田中幸男、ユキオでいいよ。ごめんな、ユージって名前やなくて」と、僕はいうと彼はまたゲラゲラと笑った。
 彼の年齢を聞くと偶然にも全く同じ歳だったので、僕たちは意気投合した。
「いやぁ、大阪の人って本当に面白い。一緒に住むのが楽しみだ。明日に僕の知り合いのジュンを紹介するよ。彼は、東京外語大の英語科の人だからかなり頼もしいよ。明日に都合の良い不動産屋はホテルのフロントにジュンに聞いてもらおう」と彼は言った。気がつけばかなり夜遅い時間になったので、明日の朝にここでまた会うことを決めて僕たちは別れた。

 翌朝、彼と出会った共同ダイニングで、彼の友人のジュンを紹介してもらった。
ジュンは、僕たちよりも一歳年上だった。風貌は見るからにとても生真面目そうで、身なりもユースホステルに泊まる感じではないキチンとした服装をしていた。
ここにある程度いると、この人は留学生で仮泊まりの人、この人はワーホリの人と微妙な身なりを見れば大体わかるのだが、ジュンはどうみてもどちらにも当てはまらなかった。
彼は観光で、少しでも多くの外国人と話したいからユースホステルを選んだそうだ。なんともタフな海外旅行だなと思ったが、英語が話せれば怖くないのかもしれない。羨ましい限りだ。彼に念の為簡単にことの流れを説明すると快諾してくれ、早速ユースホステルのフロントに三人で向かうことになった。
 彼は早速、流暢な英語で僕とタカの二人が住めそうな安い家を提供してくれる不動産はあるかと聞いてくれた。
すると、フロントの中で何人か色々と相談した後、一枚のメモを見せてくれた。
「過去にここに問い合わせて家を決めた人が居るから、ここなら大丈夫じゃないか」と言ってメモをジュンに渡した。
僕たちは彼らに礼を言うと、メモの住所を見た。そこには「Clarkin&Co.(今はもう無い)」という不動産屋名と16 Thomas Street,とだけ書かれた住所と、電話番号が記載されていた。ただ、そこにどうやって行けば良いかわからないので、電話代は僕が持ちジュンにその不動産屋に連絡してもらい、何線の何駅で降りてどう向かえばよいかを聞いてもらった。
彼が英語で話す内容をタカがメモをとり、フリーマントル線のスビアコ駅で降りると書き記した。
 僕はタカにどうしてフロントに聞こうと思ったのか尋ねてみた。
「そりゃ、こんな考えをするのは僕たちが初めてなわけないはずだから、やっぱりフロントの人に相談をする人は外国の人も含めて多いと思ったんよ」と彼は言った。
 全くそんなことを思いもよらなかったし、自分の客を離すことになるから僕なら知っていても教えてくれないと考えてしまう。なんとも頭の回転が良い人だなと感心した。
 僕たちはそのままパース駅に向かい、以前にコウに助けてもらって買ったマルチライダーを再び使って電車に乗った。オーストラリアの朝の満員電車を初めて経験し、どの国もある程度、朝の電車は混むんだなと思いながら暫く電車に揺られた(ジュンの電車代はタカが支払った)。
再びフリーマントル線に乗り、シティウエスト駅で降りた。
(フリーマントル線はパースにとって主要線で、僕が最も利用した線となった)
タカのメモとジュンの記憶を辿って16 Thomas Streetに歩を進めると、大きな道路沿いに『Clarkin&Co.』と書かれた小さな不動産屋が見えてきた。
中に入るのにとても緊張したが、躊躇していても始まらないので意を決して僕たちはドアをノックして中に入った。中には一人のおばさんがいて、他にお客は一人もいなかった。
僕たちは挨拶をすると彼女は早速一枚の名刺を僕たちに渡した。

当時の名刺(今はもう存在しない)

「Clarkin&Co.」「VICKI BOWRA」「OFFICE ADMINISTRATOR」と書いてあった。この人はヴィッキー・ボウラさんでオフィス管理者なのかと納得した(前職がIT関係だったので、Administrator=管理者だけはすぐにわかった)。ジュンには予め三人で相談した結果、安くて安全な場所の家にしようと決めてあり、彼女にそういった物件はないかと聞いてもらった。
ヴィッキーさんは、あらかじめ僕たちの要望を知っていたかのように紙に住所をサラサラっと書いて、引き出しから一本の鍵を机の上にポンと置いた。
「百ドルの預かり金と引き換えに、この鍵を持って今からこの住所の家を見てくるといいわ」と、ジュンに言った。
 その紙には『201 GIBBON COURT 13 Gibbon St, Mosman Park』と書いてあった。
「最寄りの駅は『モスマンパーク駅』ですか?」と、タカがそのメモを見て頑張って英語で聞いた。
「いや、住所はモスマンパークだけど駅としては『ビクトリア・ストリート駅』の方が近いの」と、彼女は言った。
 タカは、彼女の返答が聞き取れず困った顔をしていた。ジュンはタカのその困った表情をすぐに見てとって、僕たちに彼女が言ったことを訳してくれた。タカは、ジュンに礼を言った後、彼女の英語が聞き取れなかった自分自身に対して、とても悔しそうな顔をしながら下を向いた。
 僕は、財布から保証金の百ドルを支払い、念のためにパスポートを見せた。ヴィッキーさんは僕が見せたパスポートの表紙を見ただけで、中身を特に確認することも無く、机に置かれた鍵を僕に手渡して、十八時までには帰ってきて欲しいと言った。ジュンさんは、冷静にこの家の条件を訪ねてくれていた。
「家具付き、光熱費込みで三百ドル。退去する時はカーペットを業者にクリーニングしてもらってその領収書と鍵を渡す事」と彼女は言って、ジュンさんは用意していた紙とペンでささっとメモを取った。
 僕はそのジュンさんの行動を見て、この方はとても思慮深く、冷静で聡明な人なんだなと感心した。
(同時に、僕はこれっぽっちも後先を考えない、底なしの馬鹿だなと思い知った)
 その条件を聞いて、タカとジュンさんと相談した。一ヶ月三百ドルなら、二人で百五十ドルずつの支払いとなる。百五十ドルを三十日で割っても、一日五ドルの計算になるからユースホステルに泊まるよりは安くなる。あとは現物の家がどうかで決まる。家の周りに怖そうな人たちが屯していたり、見るからに朽ちていてボロそうな家なら、それは断ろうと決めた。ともあれ、僕たちに大きなメリットが見えたことでまずは実際に家を見に行ってみるしか無かった。
 僕たちはヴィッキーさんにお礼を言って「201 GIBBON COURT 13 Gibbon St, Mosman Park」に向かうことにした。
昨日の夜に共有ダイニングでタカと出会い、話しが合い、今朝にジュンさんを紹介してもらい、もう内覧にまでたどり着いた(ヴィッキーさんは一緒に来ない、つまり僕たちだけだ)。
 自分でも驚くくらいに、トントン拍子で事が進みすぎて少し怖く思えたくらいだった。あとはこの家が、僕とタカと通訳兼オブザーバーとしてジュンさんの意見で合格ラインを超えれば、再び新しい生活が始まることになる。期待と不安が入り混じりながら、僕たちは再度フリーマントル線に乗り込みビクトリア・ストリート駅を目指した。

ちなみに、これが冒頭の写真を当時に撮影したもの

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