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海の向こう側の街 Ep.07<辿り着いた夢の中>

 ガラス越しの街を眺め、高揚感を精一杯抑えながら僕は、ユースホステルの玄関の扉をゆっくりとそして力いっぱいに開けた。
僕は新しい扉の敷居を跨いで、海の向こうの街に一歩足を踏み出した。
続けて、ヘッドフォンのリモコンで再生ボタンを押すと、ジーパンの右後ろのポケットに入れたMDウォークマンが作動しイーグルスの『Take it easy』が、僕の耳だけに流れ始めた。

 燦々と輝く圧倒的に眩しい太陽と、日本では見ることが出来ない鮮やかな青い空。全く見慣れない街並みに、当然ながら沢山の外国人。なにより十一月だというのに半袖のTシャツ一枚とジーンズで歩ける暑さと、これまで経験したことがないカラッとした夏の気候。
高校時代から夢見ていた『海の向こう側の街』に到着した実感を得た。
一歩一歩『海の向こう側の街』を歩いていると、心の底から熱いものがこみ上げ、僕はその場で大声を上げたい衝動に駆られた。初めて、遊園地に連れて行ってもらった幼少時代のように、全てが珍しく新しく刺激的だった時の感情に近いものがあった。やがて、その感情は全ての血管を流れ伝い、体中が痺れるほどの衝撃がほとばしった。それは頭ではなく、体で夢が叶った瞬間だと反応した証拠だった。
 これから一年の間、僕はこの街に住むことになる。
喜ぶこともあれば、怒ることもあるだろう、悲しむこともあれば、楽しむこともある筈だ。僕は期待と不安を共に両手いっぱいに抱えたまま、ウイリアム・ストリートを南に向かった。ただ、物理的に進むべき道については何も考えずなんとなく栄えている方へと進んだ。見渡す限り、全て看板は当然英語でかかれており時折、中国語の看板や変な日本語の看板を見かける程度だった。すれ違う地元のオーストラリア人と思われる白人の香水の香りは男女問わず強く、とは言え不快を感じる程ではなかった。大半の建物の二階部分がレンガ作りで、また何かしらの一定の法則がある独特のデザインで統一しているのが印象的だった。多くの車が行き交うロー・ストリート前で、初めて海外の赤信号で足を止め、信号機の奇怪な音を耳にすると再び『今、自分は外国に居るんだな』と実感した。

 元来、好奇心がとても強い方だったので物事の後先考えず、事を進める傾向がある。異国の地に来ても例外ではなく、初見で全く道が判らないにもかかわらず、自分の好奇心の赴くままに大きい道を、文字通りあても無く進んでいた。
「迷子」と「探検」はとても近いものがある。
望まぬものと望むものと違いで、僕は望んで「迷子」を選択した。
すると、それは探検に変化を遂げる。
「地球の歩き方」を一切読まず(そもそもホテルに置きっぱなしだ)、街の地図も見ず(こちらもホテルに置きっぱなしだ)に、どこだか判らない見知らぬ街を一人で好奇心の赴くままに歩いた。ロー・ストリートを渡り、歩道橋のような階段を上がるとそこは陸橋でもあり、駅のホームに繋がる廊下ともいえる不思議な場所を潜り抜けると、ガラリと視界は変わり目の前に大きいビルが立ち並んでいた。日本でも見慣れたさまざまなファーストフード等の看板が見えはじめ、人の往来も先ほどの倍ほどに増し、より一層街らしい所に着いた。マクドナルドの店内を歩きながら覗き見をしたり、奇妙な小道を覗いてみたりしていると、マクドナルドの斜め向かいにこの日までドラクエの小さなドット絵でしか見たことがない、大きくとても立派で荘厳な教会(ウェスレイ教会)が建っていた。
日本の街中でこれほどまで大きく、堂々たる立派な教会を簡単に見かけたことは一度もない(大きな教会の形をした結婚式場なら見たことはあったが)。僕は『ウェスレイ教会』を目にして初めて『本当に外国には、街の中にこのサイズの教会が当たり前に建っているんだ』と目で見て理解した。雑誌やテレビやインターネットを通じて頭で判っていることと、実際に目にして判ることは大きく異なった
『そうだよ、本やテレビだけではなく、こうやって実際に五感を通じて外国を知りたかったんだよ!!』と、思わずその場で声を上げそうになった。
『面白い! どこを歩いても、何を見ても、これまで一度たりとも見たことのないものだらけだ!』
 僕はより強い刺激を求める危険なクスリを求めるかのように(もちろん、そんな経験は一度もない)気の赴くまま、何の知識もなくショッピング街として有名な「ヘイ・ストリート・モール」に入った。
 その通りには日本では知らない『TARGET』というスーパーや『MYER』という百貨店や、聞いたことのない少し洒落た石鹸専門店、あちらこちらに(いわゆる地元の)洋服店が並んでいた。この当時には、日本で有名なチェーン店がこのパースに対して海外進出なんて一つも無かったし、ユニクロやセブンイレブンは一軒も無かった。つまり目にするもの全てが未知の外国そのものだった。
 本来、僕がこの日に外出した理由は市内観光ではなく、この旅の全財産を預け入れている『ANZ銀行』に向かい、キャッシュカードを貰うことだった。ただ、銀行に向かうために街に出向き、その副産物としてこうやって市内観光をしている。
とはいえ、時間帯的にも銀行が閉まるにはたっぷりの時間があったし(仮に日本と同じく、15時で窓口が終了だとしても)、それほど急ぐことでもなかった(一週間分くらいの持ち合わせはあった)ことから、僕はこの街に身を任せ(特にロンドン・コートの異国情緒感に)魅了されヘイストリートを隈無く観光し続けた。
乾いた空気に明るく眩しい日差しの中、ヘイ・ストリート・モールを歩いていると、そのベンチの多さに気がついた。そして、そのベンチには老若男女問わずゆったりと腰を掛け、友人・恋人同士が仲良く話していた。
(後に判った事だが、ベンチでの飲食は禁止されており、違反者がいた場合、警官はもちろん見かけた人が(これも老若男女問わず)その場で凛として注意をする)日本では、そもそも通りにベンチが設置されていることがなく、歩き疲れると喫茶店やファーストフード店を見つけて腰を下ろすしか無い。そうでなければ「歩き続ける」「地面に座る」「ガードレールに腰をかける」「階段に座る」という選択肢しか残されていない。特に後半の三つはあまり好まれる行為ではなく、そのいずれかの選択肢を取るとだいたいは怪訝な顔をされる。歩いて疲れるのは別に年齢が原因という訳ではなく、若くても沢山歩けば疲れるし、歳をとっていたり体を悪くしている人はそれなりに歩けば当然疲れる。よって、年齢は問わないし、当然性別も問わない。距離に個人差はあれど、誰しも歩けば当然に疲れるものだ。
それに、ベンチというものは公園だけの物とは決まっていない。通りにベンチを複数個キチンと設置する事も含めて設計すれば、美しい景観でありながら誰しもが簡単に寛ぐことが出来る街が造れる筈だ。何よりも、このヘイ・ストリート・モールが実証している。
こうやって街にベンチを増やし、みんなで自分たちの住む美しい街を愛し誇りに思えれば、実はつまらない問題なんてものは、意外と簡単に無くなるものではないかと思った。
 僕はそんなことを考えながらヘイ・ストリートを進み、バラック・ストリートに入ると、本来の目的だった銀行の看板を思いのほか運良くすぐに見つけることが出来た(思っていたより、この街は小さかったのだ)。早速、ANZ銀行の門を開き中に入ってみると、日本の銀行と比べてやはりというかどことなく殺風景だった(とはいえ、ブリタニア・ユースホステル程ではない)。僕は開いている窓口に赴き、「Hello」と窓口の女性に愛想よく挨拶を交わし「GTホーキンスのパスポートケース」の中から、日本で貰ったANZ銀行口座開設の控えの用紙とパスポートの二つを取り出し「キャッシュカードプリーズ」と添えて窓口の方に笑顔で差し出した。その後、おおよそ十分後にには、何のトラブルもなくキャッシュカードを手にして銀行を後にすることが出来た。
 実は、これは英語が話せないどころか、読み書きすらろくに出来ない僕が、いかにトラブル無くスムーズにキャッシュカードを受け取れる方法が無いものかと、永遠と思えるほどの時間を持て余した行きの飛行機内で、最も遺漏なく簡潔にキャッシュカードを受け取れる方法を色々と思案した結果、辿り着いた手順を実践したのだ。
「なんて話そうか?」「文法はどうしようか?」など複雑なことは一切考えられなかった。なので、まず銀行側にとって重要な物は「口座開設の控えの用紙」だ。次に窓口の銀行員が僕に聞いてくることと言えば「パスポートを見せてください」か「サインしてください」の二つだろう。
ということは最初に、愛想よく「キャッシュカードプリーズ」とだけ言って、銀行員に「口座開設の控えの用紙」と「パスポート」の二つを先に渡しておけば、消去法で最後に「ここにサインしてください」しか残らない(コミュニケーション以外は)。それに相手はプロなのだから、僕よりひどい客の対応はきっと沢山経験しているはずだ。と、半ば決め付け気味ではあるがこの方法は大きく反ることは無いと自信があった。
そして、僕は満を持して実践してみたら、正に狙い通りにしかも不安視していたコミュニケーションも最低限で、いとも簡単にキャッシュカードを手に入れることが出来た。キャッシュカードをすんなりと手に入れることが出来た喜びそのものよりも、どちらかというとゲームに勝った喜びに近かった。
ネイティブスピーカーの国で、英語を覚えるということはもちろん大事な事なのだが、このような残念極まりない英語スキルしか持ち合わせていない僕は英語が必要な局面をいかに乗り越えるか?というある種独特なゲームとして前向きに捉えて乗り越えていくしかなかった。この後も英語がある程度身につくまでの間、僕の中ではこの旅の楽しみの一つとしていた。
ともあれ、無事に今後の生活費をコントロールするキャッシュカードを手に入れることが出来、一段落着いたところで少しお腹が空いてきた。

『よし、次は初めて海外で昼食を食べる記念すべき場所を探そう』
 僕は銀行を後にすると、バラック・ストリートを南側に歩き、セント・ジョージ・テラスを西に向かって歩いた。この通りは、先程通ったヘイ・ストリート・モールとは打って変わってビジネス街になり、視界には高いビルが立ち並びはじめ、大阪の梅田や本町と比べるとかなり小ぶりには見えた。
とはいっても、西オーストラリアで一番大きな都市だ、きっと本格的な大きなビジネス街は他の場所にあるんだろうと歩を進め、とても大きく「AMP」と書かれた一際大きなビルを眺め、自分がサラリーマンとして働いていた時をぼんやりと思い出しながら歩いていると先程の「ウェスレイ教会」が交差点の角から見えた。
『そうだ、昼食は海外のマクドナルドで食べよう!』と閃いた。
そもそも、海外でマクドナルドを食べてみるということも、この旅でしたかった目的の一つだった。日本のマクドナルドはサイズが小さく、海外ではサイズも桁違いに大きく加えて日本には無いメニューが沢山あると聞いていたからだ。これは、是非ともスケールの違いを見せつけて欲しい一心で、マクドナルドの店内に入ると、中はフードコートっぽくなっていた。ただ、向かって右側が「マクドナルド」左側が「ドミノ・ピザ」の二つしか無いという、些か奇妙な造りの建物だった。(現在は、この奇妙奇天烈な建物は影形もない)
『フードコートっていっても二択しか無いし、こっちの人はドミノピザを注文して持ち帰らずそのままテーブルで食べるんだ』と全く想像の斜め上を行くエキセントリックさにとても驚いた。
僕はその奇妙な光景を横目に、マクドナルド側の列に並びながら、店員と前に並んでいる人達がなんと言っているのか、再び耳を大きくして必死に聞き取ろうと努力してみた。が、相変わらず全く判らずじまいで自分の番が来た。とは言ってもマクドナルドだからメニューを指さしてLサイズと言えばそれで済む話だ。そんなことよりも噂に聞いた海外のマクドナルドのメニューを楽しみに覗いてみると、パッと見たところ日本とあまり変わりはなかった。ダブルチーズバーガーやフィレオフィッシュなど日本にあるものばかりだった。それに周りでマクドナルドを食べている人を見ても、噂ほど大きなポテトでもなくドリンクも日本との大きな違いは見受けられなかった。
気がつけば自分の番になったが、肝心なメニューが肩透かしだったので全く決め手となる物がなかった。仕方がないので大好きなダブルチーズバーガーは、海外ではひょっとしたらめちゃめちゃ大きいのかもしれないと期待を寄せて、ダブルチーズバーガーのセットメニューを指さしてラージサイズと言った。
わりと雑な感じのする女子高生(だと思う)の店員に「Eats here or take away ?」と聞かれたが、僕は何を言っているか全く判らなかった。店員は何度か僕に聞き直してくれたがあいにく全く判らず、昨晩のパース空港の「両替所」の時と同様に、またもや僕の後ろが大渋滞となった。
雑な感じのする店員は怪訝な面持ちで僕を見て、列の外を指して「行列から外れろ」というボディランゲージをした。僕は直ぐに列から外れて邪魔にならない場所に避けて、後ろに並んでいた人たちと店員の流れを一挙手一投足見落とさないように観察をした。マクドナルドは原則としてマニュアル通りに的確に行動する店のパイオニアだ。だから、国が変わっても店員とお客のやり取りには、必ず一定のパターンがあるはずだと繰り返される店員とお客のやり取りから、店員が僕に何を言っていたのかを推測することに集中した。お客が注文する、サイズを伝える、そしてあの呪文を唱える、お客はなにか答える、商品が出される、その繰り返しを見ているうちに「トレーに乗った商品を受取る客」と「紙袋で商品を受け取る客」の二種類に分かれることに気がついた。
「判った! 日本で言うところの、こちらでお召し上がりですか? それともお持ち帰りですか?」を言っていたのだ。
念のため、メニューを見てビックマックセットのLサイズの価格を確認し、覚悟を決めると雑な感じのする店員は空気を読んだのか僕にリトライのチャンスが訪れた。
再びの「Eats here or take away ?」の問いに「Eats here」と答え、加えて「Large size」と言い、飲み物はメニューのコーラを指さした。
支払いは十ドル紙幣で支払い、帰ってきたお釣りには紙幣と今まで見たことのない小銭が手元に帰ってきた。
雑な感じのする店員から、トレーに乗った商品が僕に手渡された。
『やった!』と思ったのもつかの間、残念ながらサイズは綺麗さっぱり聞き流されており、手元にあるのはMサイズのダブルチーズバーガーセットだった。とはいえ「注文したラージサイズじゃないので交換して下さい」とは言えず、どう見ても日本と全く同じ大きさに見える、Mサイズのダブルチーズバーガーとポテトとコーラを昼食にすることにした。
(後に判ることなのだが、アメリカのマクドナルドが一際サイズが大きく、他国は大凡日本と同じだった)
僕は、空いている窓際のカウンター席に一人座りこれまた好物のマックフライポテトに目をやると、いつもの赤い紙の箱の底の部分がきっちりと立体に組み上げられておらず、底部がぺったんこの状態のままで、むしろ感心するほど雑に入れられているポテト(当然、分量的には明らかにSサイズだ)を口に運びながら『ANZ銀行で一勝して、マクドで一敗か……』と考えていると、一人の日本人青年が「日本の方ですか?」と突然話しかけてきた。

「は、はい。そうですよ」と答えると「ワーホリですか?」と聞かれた。
「ワーホリ?……あぁ、そうですワーキング・ホリデー・ビザです」と答えた(この後、暫く僕はワーキング・ホリデーや留学生ならではの「独特の略語」を覚えるのに苦戦することになる)。
彼は僕にとって記念すべき、初めて海外で話した日本人第一号だった。
どこか気さくな感じのする青年で、僕は自己紹介をしてすぐに堰を切ったように昨晩に到着したばかりで何もかも困っている事を彼に話した。
彼も「ワーホリ」つまり「ワーキング・ホリデー・ビザ」で渡豪し、僕に色々とアドバイスをくれた。そして彼自身は「スキューバ・ダイビングのインストラクター」になるのが目標だと少し熱を持って僕に話してくれた。
彼は、聴覚の障害があるらしく、日本ではスキューバ・ダイビングそのものが出来ないとのことだった。しかし彼はその障壁も国も大きく越えて、「スキューバ・ダイビングのインストラクター」に成るべく、この海の向こうの街にやってきた。僕は残念ながらスキューバ・ダイビングには全く明るくなかったので、彼の話をただ聞くことしか出来なかった。
当時は、現在のようにインターネットが十分に発達していなかったので、彼も文字通り「足」で情報をかき集めた。その結果「オーストラリアでは、聴覚障害者でもインストラクターになれる」ということが判り、その大きな夢を叶える一心で渡豪した。しかし、今とは違い圧倒的に数少ない情報の中で確度が高い(彼の話では「必ずなれる」という確実性はないそうだ)と信じてこの地に来たものの、やはり彼自身も自分の行く末を不安がっていた。しかし、彼の目は希望に満ち溢れており、その瞳の奥にある強い意志は初対面の僕が見てもしっかりと強い輝きを放っていた。
「大丈夫、為せば成る!」と僕は彼に言い切った。
 それを聞いた彼は、驚いた顔をしていた。
「いや、いけると思うよ。本人が絶対にやったろう! って強い思いがあるなら、必ず為せば成るよ」と僕は言った。
「ありがとう! 相談した他の人達全員から無理だとしか言われなかったので不安だったんです」と、彼は僕に本音をこぼした。
 きっと彼は、見ず知らずの僕に声をかけてまで背中を押してくれる人を探していたのかもしれない。『少しでも話を聞いてもらい、自分の背中を押してくれる人を探すほど行く末が不安だったのだろうか……』そう考えると、そこまで思いつめていた彼の気持ちを察すると、こちらまで胸が少し痛くなった。
聴覚障害を乗り越え、スキューバ・ダイビングのインストラクターになるという夢を持つ彼とは、そのマクドナルドで別れた。
「パースは大きくない街なので、またどこかできっと会えますよ」と彼は言った。
「そんとき、困ったことがあったらまた色々と教えてな!」と僕は言うと、彼は笑顔で大きく頷いて店を後にした。

 この街のおおよその地図さえ頭に入っていない僕は、それを逆手に自ら「迷子」になる為、引き続き目的の無い市街観光に向かった。
様々な人が夢を抱き、この街に訪れたのは僕だけじゃないことを実感すると、この一年間がとても楽しみに思えた。僕や彼のこの先々に待ち受けているあらゆるトラブルも、いつの日にかきっと良い思い出に変わると信じた。
スキューバ・ダイビングについては全く何も判らないが、彼の瞳の奥にある強い燃え盛る意志は見逃さなかった。
この二十四年間で(当時)、ごく稀にあの目をした人と出会ったことがあるが、必ず初志貫徹し後に驚くほど大成していた。そして街中に消えていった彼の方角を眺めると『彼はきっと成功する』と、僕は直感に似た感覚で強く感じ取った。
もちろん、根拠なんてどこにも無いのだけれど……

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