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海の向こう側の街 Ep.11<増える仲間>

 ユースホステルの前でボディボードのためにコテスロー・ビーチに向かうマリをみんなで見送ったあと、残ったメンバーで今日のプランについて、オーストラリアの明るく眩しい日差しの下で話し合っていた。
一台のタクシーがユースホステルの前に止まると、僕たちは自然とタクシーに視線を向けた。
タクシーの中から、一人の女の子が降り、僕たちの方に向かって歩いてきた。
「こんにちは、ここがブリタニア・ユースホステルですか?」と彼女は尋ねた。
 僕たちはそれぞれにそうだと答えると、彼女は覇気良く礼を言った。
「それにしても、えらく身軽なんだね?」と、小さなカバン一つだけしか持たない彼女を見てエミが言った。
「そうなんです、もう、超最悪なんです。旅行カバンをちゃんと持って出かけたのに肝心なカバンの鍵を家に忘れてきちゃって……」と彼女が言った。
「日本にカバンの鍵を忘れてきたの?」と僕が驚いて聞いた。
「そうなんですよ。本当に最悪で、スーツケースの鍵が無いことに気がついたのがパースの空港での荷物検査の時で……。空港で色々と質問されるし、スーツケースはどうやっても開かないし、結局空港内で預かられる事になって、この手荷物の中に幸いパスポートと財布があったのでなんとか助かりましたがホント最悪です」と疲れ果てた顔をして彼女は言った。
「で、スーツケースはどうしたの?」とハルカが聞いた。
「日本に連絡を取らせてもらって、日本に鍵があるからそれをパースのG P O(General Post Officeの略で各都市にある大規模な郵便局)宛に送るから鍵が届くまで、スーツケースは空港に預かる形になったんです」
「凄いね、それを全部英語でやりとりしたんだ? ニュアンスを間違えればその場で逮捕って可能性もあったんじゃ無いの」とコウが言った。
「ホントそうなんです。一応、外大を出てて英語は結構自信があったんですが、いざそんな局面になると結構緊張しました」と彼女は言った。
 凄いなぁ、僕なら一発で日本に戻されるか逮捕かの二択だろうな。にしてもなかなか開かない鍵のスーツケースってあるのか疑問に思った。
「スーツケースでなかなか鍵が開かないって、どんなカバンで来たの?」と僕が彼女に聞くと仲間も大きく頷いた。
 だいたい、バックパッカーのカバンなんてなかなか開かないくらい頑丈な鍵なんてなくて、仮にカバンに鍵を付けていたとしても、空港にある大きなペンチで錠前をパチンとやられてしまえば、おしまいってのが相場だった。
「サムソナイトなんです、初の留学なんで気合い入れて十万近くするサムソナイトの一番頑丈なスーツケースをこの日のために買ってもらったんですよ」と彼女は言った。
「それが仇になったと……」と呆れ気味にエミが言った。
「じゃあ、留学ビザってことよね?」とハルカが聞いた。
「はい、本来宿泊するホテルにチェックインすると、当面の支払いが続かないので、幸い初日分の予約しか入れてなかったので、急遽キャンセルしました」
「でも、ホテルのキャンセル費用はどうするの?」とエミは聞いた。
「そっちはカードを切ってきました。なので、支払いは家の方になるからノーダメージです」と彼女は言った。
 エミとハルカが顔を見合わせた。
彼女たちが言いたい事は、僕もコウも判った。
それは君の財布の中身がノーダメージなだけで、お金は代わりに親が支払ってるんだよと……。
「で、鍵が届く間はここで過ごす為にここに来たん?」と僕が聞いた。
「はい、格安ホテルを聞いたら、空港の人にここを薦められて来ました」
 それもタクシーで。やはり少し感覚が僕たちと異なる人なんだなと確信した。いや、シャトルバスが無い時間帯だったらタクシー一択になるからそこは仕方がない。が、言葉の端々に僕たちとどこか違う金銭感覚の持ち主なんだなと思った。
「でも、ここは基本は相部屋やけど大丈夫?」と、僕は彼女に確認をした。
「ここのシングルでお願いしようと思っています」と、彼女は言った。
「なら、早くチェックインした方が良いよ、シングル・ルームは少ないから」と、コウが言った。
「こういう時に、とっさに『Oops』って口走れないんだよね。まだまだだなぁ私は……」と彼女は言うと、僕たちに礼を言って、急いで小走りでブリタニア・ユースホステルの中に入った。
「いやいや、変わった子が来たね」とコウがみんなに言った。
「ちょっと、ズレてるね」と、エミが言うと僕とハルカは大きく頷いた。
「でも、よく入国出来たもんやね。普通やったら速攻で日本に追い返されそうなものやけど」と僕は言った。
「そこは、彼女の語学力の高さで助かったんじゃないかな? 外国語大学系卒業で英語は得意と自負してたしね」とコウが言った。
「コウでも乗り切れる?」と僕は尋ねた。
「流石に無理だと思う、絶対カバンと一緒に強制送還される」と笑って言った。
 その言葉を聞いて、僕も含めてみんなで声を出して笑った。
「そんなに英語が出来るのに、家にカバンの鍵を忘れるって変わってるね」とハルカが言った。
「自分で買った物じゃないし、過保護っぽいから最終的には親がなんとかしてくれるってのが、心のどこかにあるんじゃないかな? 私はあまり好きなタイプじゃない」と、エミはハッキリと僕たちに言った。
「まぁ、とりあえずこれも何かの縁だから、少しは友好関係を築いておこうよ」とコウが言った。
「可愛いからでしょ」とエミが言うと、ハルカも笑った。
 コウは男の僕から見ても、顔立ちも良く人当たりもとても良いし色々と親切だ(実際、色々と助けてもらっている)。ただ、日本に居た頃からめっぽう女好きだったらしく、こちらでも色々とオイタをしているのは仲間内では有名だった。ただ彼は、旅の仲間には絶対に手を出さないという確固たるポリシー(仲間同士で関係を持つと、独特の変な空気になるのが嫌らしい)があった。なので、コウはエミとハルカとよく行動しているけど、そういった関係にはならないようにキチンと一線を引いていた。
 暫くすると、チェックインを済ませた彼女がユースホステルから出てきた。
「ありがとうございます、なんとかシングル・ルームを一週間押さえることが出来ました」と彼女が言った。
「それはよかった」と、僕は心から口に出して言った。
 なぜなら、ドミトリーから逃げ出してシングル・ルームに切り替えた経験がある僕は、この件に関しては彼女の気持ちは汲み取れたからだ。
「ありがとうございます。みなさんはどれくらいパースにいるんですか?」と僕たちに聞いた。
 その問いに対して僕たちは、これまでの滞在期間を訪ねているのか、これからの滞在期間を訪ねているのかがわからないと逆に聞き返した
「ごめんなさい。じゃあ折角なんでどちらも教えてくれますか?」と、彼女は笑って言った。
 僕たちはそれぞれ正直に、これまでのパースの滞在期間とこれからパースに滞在する予定期間を言った(僕は一年間ずっとだ)。
「凄い! もしよかったら今からパースを案内してくれませんか?」と彼女は言った。
「もちろんいいよ」と、コウが言った。
 確かに彼の鼻の下が、少し伸びているようにも見えた。エミとハルカは、どこか呆れた顔をしてコウの顔を見て笑っていた。
「ありがとうございます。私はミサキって言います、よろしくお願いします!」
 それから彼女の鍵がこちらに届くまでの約一週間、みんなでパースシティをあちらこちらと案内した。その際、これはエミが言い出したのだが、必ずどこかでジャンケンをして最後まで負けたものがみんなに奢るという、負けるととても財布に厳しいゲームをするのが慣例だった。
ある時は、マクドナルドのソフトクリーム(コーンと言ってたった五十セントで食べれる)だったり、サブウェイだったり(サブウェイでの頼み方は、ミサキが店員が質問してくる内容とその返答について僕に教えてくれたおかげで、その後に一人でもオーダー出来るようになった)と日によって変わった。但し、サブウェイのようなちょっと高価な物の場合は最後まで残った二人にするなど金額に合わせてゲーム内容を調整した。
幸い、僕は運良く一度も負けたことないまま、誰かの奢りで全てを口にすることが出来た(奇跡だ!)。

 一週間ほどすると、ミサキは鍵の入った封筒を取り行く為、G P Oに向かい、そのままパース空港に向かった。彼女にとって、待ち望んでいた一日を迎えた(とても忙しい一日だろうけど……)。
夕刻頃に、とてもしっかりとしたブルーのサムソナイトのスーツケースを持って、ユースホステルに帰ってきた。ダイニングで今日の夕飯について話していた僕たちに無事に戻ってきたことを伝え、彼女は一度部屋に戻った。
「やっと、ミサキは着替えられるね」とハルカが言うとエミは笑った。
「そうか、着替えが全てスーツケースの中だったから、下着から何から今まで全て着替えられなかったんだ!」と僕が驚く。
「気がつくの遅いよ」と、ハルカは僕を指さして笑った。
「じゃあ、下着とかどうしてたの?」とハルカに聞いた。
「毎日お風呂で洗ってたよ、早く鍵が届かないかなっていつもボヤきながら石鹸で下着を洗ってたよ」とハルカは言った。
「そうなんだ……。女の子で、その環境はなかなかキツイよね」と、僕は慎重に言葉を選んで言った。
「そうそう。だから私たちがライナーとかあげたりしてたの。彼女なりにこの期間は大変だったと思う」とエミは僕に言った。
 今になってよく考えてみれば、かなりあけすけな会話だったが、当時の僕たちの仲間内ではそれほど気にするような内容ではなかった。
「じゃあ、無事にミサキのカバンが帰ってきたことだし、今晩はみんなでトムヤムクンでも食べに行こうか?」とコウが言った。
 僕は『トムヤムクン?』と考えていると、良いねぇと言う声が広がった。
部屋から帰ってきたミサキに夕飯の提案すると、彼女は快諾した。
スーツケースが帰ってきたミサキは、ANZ銀行のキャッシュカードも手にし、彼女はほぼ無敵状態だ(実家からの手厚いバックアップもある)。
それにしても、トムヤムクンなんて食べれるところを知らないし、海外で食べるトムヤムクンは日本人向けの辛さの調整なんて到底されておらず「本場タイの味を、そのままどうぞ」って味に違いない。
正直に言うと、僕はそこまで辛い食べ物は得意ではない。
ピザにタバスコを少しかけるとか、辛くないキムチくらいなら大丈夫だけど激辛ブームの時は、日本人向けにメーカーが調整されたであろうトムヤムクンを一度口にした事がある程度だ。たまに見かける『何十倍カレー』なんて物は、現在でも一度も口にしたことがない。
いやぁ、これはキツイなぁ。と思いながらも、おそらく明日にミサキはここから去ってしまうのはほぼ確実だ。
今晩は、いわば送別会みたいなものだ。短い期間とはいえ、ここは一緒につきあうのがやはり「筋」だろうと覚悟を決めて共にユースホステルを出た。
夜のノースブリッジは相変わらずガラの悪い空気を醸し出していたが、合計約七名で歩いているとそれほど怖くはなかったし、僕よりも英語が達者なメンツがいるのでとても心強かった(英語がわからない僕は、夜のノースブリッジを一人で歩くと、不安要素が豪雨のように降ってくる)。
僕たちはウイリアム・ストリートを南下し、右手に「Brass Monkey Hotel」という大きなパブが見えると右折し、ジェームス・ストリートを西に歩き続けた。すると左手に「Old Shanghai」というアジアンフードコートが見えてきた。
 想像していたお店とは大きく異なり、フードコートなのでタイ料理だけではなく、ベトナム料理や様々なエスニック料理が手軽に食べられる店舗だった。
「さぁ、ここはジャンケンで行きましょう!」とミサキが言い出した。
 みんなは、強気になったミサキに驚いた。
「僕は構わないけど、みんなは?」とコウが聞いた。
「いや構わないけど、何人負けにする?」と僕に「SunRice」を教えてくれたユウキが言った。
「一人負け。全員分、全額支払い」とミサキは言った。
「マジで? 負けたらなかなかの金額だよ、私は構わないけど」と、せっせと毎日コテスロー・ビーチに通ってボディボードに精を出すマリ(僕を仲間に誘ってくれた人だ)が言った。
 エミもハルカも縦に首を振った。
冗談じゃない! こんなの負けたらメチャクチャこの先に響く出費になるじゃないか。僕はこの賭けに正直乗りたくなかった。
「あとは、ユキオだけだよ」とユウキが言った。
「わかった、乗るよ」と渋々言うと、全員に緊張感が走ったのが判った。
 このジャンケンに最後まで負けると、今回は人数も多いので一人あたり十五ドルと見積もって、軽く計百ドルは超える大きな賭けだ。
僕は、心臓がドキドキしながら最初のジャンケンをした。
「最初はグー! ジャンケンポンっ!」
コウとマリとエミが一抜けした。
三人は大喜びだ。そりゃそうだろう、僕も一番初めに抜けたかった。
二回戦。
「最初はグー! ジャンケンポンっ!」
ユウキとハルカが勝ち抜けた。
二人は両手を広げて文字通り大喜びした。
最悪だ、僕とミサキの一騎打ちになってしまった。
「ねぇ、ユキオって、これまでのジャンケンで一回も負けたことないでしょ? だから、私は絶対にあなたにだけには負けたくないの!」と、ミサキは僕の目を見て強い語気で言った。
「なんで知ってるの?」
「私、誰が何回勝って、誰が何回負けたかを全部覚えていたの」
「どうして?」
「意味なんてない、なんとなくカウントしていただけ。で、ユキオが一度も負けたことがないってことに気がついたの」
 僕は、みんなと楽しく過ごしていた日々だと思っていたが、実はミサキは僕が一度も負けたことが無いことを記憶し、いつか負かそうとしていたことに驚いた。そして、絶対に僕だけには負けたくないと強い口調で言った彼女の言葉と、絶対に負けさせてやるというその思いに、僕は少し彼女から畏怖のようなものを感じ取った。
いや、でも、そんなこと知ったことあるか。負ければ百ドルが飛ぶんだ。
これまで、もちろん負けたくないけど、ムキになってまで負けないでいようとはこれっぽっちも思ったことがない。ただ偶然に負けたことが一度も無かっただけで、僕はミサキにはなんの恨みも無いし、逆に負けたことがないというそれだけでミサキから恨まれる筋合いもない。
ただ、このジャンケンだけは絶対に負けたくない!
僕は一度深呼吸をして、僕たち百ドルを掛けた最後のジャンケンをした。
「最初はグー! ジャンケンポンっ!」
僕が勝った。
これまで生きてきた中で、こんなに怖い気持ちになったジャンケンは、今まで経験したことが無かった。今振り返っても、この時のジャンケンは僕の人生で最も緊張したものだった。
安堵と喜びから、僕は仲間たちと抱き合って喜んだ。
振り返ると、悔しさで涙を流しているミサキがそこに居た。
「どうして、あなたはジャンケンに一度も負けないのよ!」と、彼女は笑い泣きしながら僕に言った。
「ごめん、そればっかりはわからんわ。僕は特にジャンケンが強いってわけでもないし……」と、僕はミサキに言った。
「じゃあ、テーブルを取ってくるね」と、マリとコウは僕たちが座るテーブルを確保しに行った。
「じゃあ、トムヤムクンを合計七つよろしく」と、エミがミサキに言った。
「はいはい、わかりましたよ」と涙を拭いながら、彼女を気遣ったハルカと共にミサキはタイ料理の店の前に向かった。
ミサキとハルカが運んできたトムヤムクンは、思っていたより大きく、白い発泡ポリスチレンの容器に入っていた。
「では、ミサキの門出を祝って」と、ユウキが言った。
「まぁ、私の奢りなんだけどね」と、ミサキは肩を落として苦笑いをしながら言うとみんなは笑った。
「乾杯!」とミサキが言うと、全員で乾杯と言ってコーラ(これは割り勘だ)で乾杯をしてトムヤムクンを口に運んだ。
 ただ、僕はこの時のトムヤムクンの味はあまり覚えていない。
一つ間違えれば、全額支払っていたかもしれない貴重なスープだということしか頭になく、緊張感がまだ全身に残っていた為に、いくら味わうように口にしても、僅かに思っていたより辛くはなく飲みやすいように思えたが、それも緊張感からそう感じただけかもしれなかった。
 食後、みんなで近くにあったビリヤード場の「Pot Black Family Pool and Snooker Centre Northbridge」に向かう事になった。
その際、玄関口に「BYO」と書いてあり、何を意味しているのか気になったので近くにいたユウキに尋ねた。
「BYO」とは「Bring Your Own」の略で「酒類持ち込み可」という意味だった。コウはその看板を見るなり一度店を出て、暫くするとビール缶をいくつか持って戻ってきた(早速「BYO」を実演してくれたわけだ)。
店内でビールを購入するよりも、ホテルの冷蔵庫で冷やしてあったビールを持ってきた方がそりゃ格段に安く済む。これも海外ならではのシステムなんだなととても驚いた。
そして僕たちは、オーストラリアではポピュラーなエイトボール(ナインボールとは全く異なるルールだった)をコウに教えてもらいながら楽しい時間を過ごした。

 翌日、ミサキはユースホステルを去り、その日を最後に彼女とは一度も会っていない。きっとユースホステルを去った後、どこかのホテルかホームステイ先で滞在し、留学先の学校できちんと語学を習熟したことだろう。
邂逅した人が、また一人去って行った。
心のどこかに、ポッカリと穴が空いた気分になった。
 みんなで過ごした「Old Shanghai」と「Pot Black Family Pool and Snooker Centre Northbridge」で過ごした一日は、今でも思い出に残る一日だった。
そして、後にも先にも「Old Shanghai」で食事をしたのはこの時だけだった(特に理由はなく、その後に出会う仲間たちとも何故か「Old Shanghai」で食事をする機会は一度も無かった)。
いつか、家族で「Old Shanghai」でゆっくりと食事をしてみたいと思う。
もちろん、ジャンケンは「無し」で。


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