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海の向こう側の街 Ep.04<言葉の壁>

 遂に到着したという喜びと共に、僕は「微妙に重たい旅行鞄」を手に持って、空港の出口へと向かった。
さて、今から一年間は、日本語が第一言語ではない国で暮らすことになる。
もちろん、生まれて初めての経験だし、なによりそれを望んでこの地に来た。
このパースは、シドニーなど他の都市と比べてみると、それほど有名な観光地ではないが『オーストラリア』そのものがとても観光が盛んな国だ。
これまで、かなりの数の日本人観光客が、この『パース国際空港(現:パース空港)』を利用してきたのは間違いないだろう。
先ほど、僕が乗っていた飛行機に日本人のキャビンアテンダントさんが搭乗していたり『香港国際空港(啓徳空港)』で、首から下げていた「日本語が話せます」という看板の意味も、多くの日本人観光客がこの空港を利用している事にそれなりには繋がっていると思う。実際、僕は関空から実に多くの人(全て女性だった)に助けられて、大きなトラブルもなくこうしてこの場所にいる事が、何よりもの証拠だ。
日本にも海外からの観光客が多くなり、地下鉄やJRでもよく見かける英語(最近は中国語も多くなった)の案内表記のようなものがどこかしらにある。特にこういった空港や大きな駅には『インフォメーション・カウンター』という、海外から来た観光客向けの多言語対応の窓口を大阪や東京でもよく見かけた。
 そこで、高揚する気持ちを一度抑えて、冷静に考えることにした。
ここはオーストラリアのパースだが、多少の差はあれど観光客が多いこの国にも、必ずどこかしらに日本語の案内表記や窓口が存在するに違いない。なにせ日本人は世界的に英語(特に英会話)が不得意で有名だ。ってことは、英語が全くわからない僕でもとりあえず最低この空港からホテルまでは問題なく到着出来るだろう。
何故なら、今まで沢山の日本人観光客が訪れている国なのだから。と僕は考えた。

 僕は「微妙に重たい旅行鞄」と共に、大きく右にカーブした階段を下りるとパースの街について簡単な紹介程度のパンフレット(ガイドブックほどの情報はない)があり、その横に当たり前のように日本語版のパンフレットが置いてあった。
「ほら、やっぱり」と、自分の考えが間違ってなかった事に安心した。
 そのパンフレットを一つ取って、すぐ近くに見えた両替所に向かうことにした。
僕は事前に関空の両替所で、手持ち金の「円」は「豪ドル」へほとんど両替しており、両替そのものには用事はなかった。僕は『インフォメーション・カウンター』の場所を教えてもらうために、両替所に向かったのだ。時刻が深夜だからか両替所はもちろん、空港の出入口付近に人が全く居なかったので気兼ねなく両替所に向かい、一人で座っていた女性に(こんな深夜に両替所で女性が一人っていうのも、この国の治安の良さを証明していた)僕は下手な英語で尋ねる。
「日本語カウンターはどこですか?」と、あらかじめ丸覚えした英語で質問した。
「No.」と、『両替所の女性』から返ってきた言葉はそれだけだった。
 これは、僕の質問が悪かった。
「日本語が話せる人はどこですか?」と彼女に改めて聞いた。(これも丸覚えだ)
「No body here.」
 全く予想外の返答だった。
『ここには誰も居ない』つまり「日本語を話せる人はこの空港には誰も居ない」ということか……。きっと搭乗していた飛行機の到着時間がこんなかなり遅い時刻になったので、その人たちは帰ってしまったんだろう。
「ついてないな」と思いながら周りを見渡してみると、先ほどと変わらず空港内は閑散としたままだった。
 今、この深夜の空港に「日本語を話せる人は誰も居ない」という現実が僕の背中に重くのしかかった。やがて、先ほどの高揚感はいつのまにか綺麗さっぱりと消え失せ、今度は打って変わって焦燥感が満たされてくると頭の中が混乱し始めた。
自分の頭の中で、精一杯「次の一手(丸覚えの英語も含めて)」をいくら捻り出しても、これっぽっちも「次の一手」が出てこなかった。
「困った! これは困ったぞ! このままだとかなり高いレベル(もちろん僕にとっては)の英語が必要になる」
 この先、どうしたら良いか判らなくなった途端、目前に真っ白いカーテンがサッと勢いよく降ろされ、本当に目の前が真っ白になった。今になって思い返してみれば、今まで僕を助けてくださった方々は心からありがたい存在だったんだなと心から感謝し、なにより僕自身が感心するほど、抜群のタイミングで全て遺漏なく助けてもらえたのは単純に、全て運が良かっただけと思い知った瞬間だった。
僕は少しずつ旅の疲れがそろそろ出てきているのか、頭もうまく回らなくなってきていた。空港で一人、日本語を話せる人が来るまで待つわけにもいかない。
「この状況をどうにかするしかない」の一択だ
現実と向き合い、頑張って無い知恵をなんとか振り絞った。
『そうだ! 次の目的地は、当分の宿泊先となる日本から予約したホテルの場所を伝えてみよう!』と恣意的に、慌ててホテルの住所が書いてある紙を鞄から取り出し「ここに行きたい」と言った。
すると彼女は、そのホテルのパンフレットを注意深く見て、二、三回ほど頷いた後、すぐ近くの空港の出口を指差し、僕に丁寧に話してくれた。

もちろん『英語』で。

 僕には『両替所の女性』が「あなたは私の業務の邪魔になるから、そこの空港の出入口から出て行って下さい」と言っているのか「その出入口のすぐ近くにここに書かれているホテルがありますよ」と言っているのか、さっぱり判らなかった。
とにかく流暢なネイティブの英語が、勢いよく僕の頭上を音速で過ぎて行った。
一度上がった白いカーテンは再びサッと降ろされ、僕は再びの前が真っ白になった。周りを見渡しても三百六十度真っ白な世界だ。それはまるで映画『ピンポン』でドラゴンとペコが居たあの真っ白の世界に僕は居た。
そこには時間が存在せず、何一つとして音は聞こえない。
「ダメだ、質問を理解してもらえたとしても、回答は絶対に(当然)英語だ」と、日本にいる時に少しでも考えれば判る当たり前のことに僕は愕然とした。
突如、純白のカーテンが上がり、僕の後ろから体躯の良い欧米人男性が、僕を飛ばして『両替所の女性』と直接なにか話をしはじめていた。視界を取り戻した僕は、その場を振り返るといつのまにか気が付けば、両替をしようとしている人が五人ほど列を作っていたのだ。
 僕が搭乗していた飛行機が「最終の飛行機」と勝手に思っていただけで、実際は頻度は少ないにしても次の飛行機がこの空港に着陸を繰り返していた。その搭乗客は飛行機を降りて荷物を受け取り、入国審査を済ませ、この両替所を利用しようとしていた。ここは国際空港なので、二十四時間飛行機が離発着していても不思議でもなんでもない。厳密にはあるのかもしれないけれど、電車のように終電が終わったから「はい、閉店ガラガラ」というものは無い。よく考えれば当たり前の事だ。
真っ白いカーテンは突然上がったものの、未だに僕の頭は混乱したままだった。
「日本語案内の人が居ない」
「僕のせいで行列が出来ている(しかも増えてきている)」
「この先どうすれば良いんだ……」
僕は混乱と動揺の波に溺れかかっていると、その体躯の良い男性が僕にとても大きな手でさっきの宿泊先のパンフレットを見せろと言ってきた。
その大きな手に圧倒され、僕は言われるがままパンフレットを素直に手渡した。
『大きな手の男』は、パンフレットに書かれた住所の部分を確かめると、僕の手をグイっとつかみ「俺について来い」とらしき英語を言って、もう片方の大きな手で手招きのボディランゲージをしながら僕を軽く引っ張った。
不安になった僕は『両替所の女性』に目をやると彼女は両手の掌を前にし、何かを差し出すような感じのボディランゲージで「ほら、その人について行きなさい」と、どこか優しげな目をしていた。『両替所の女性』の表情からすると、どうやらこの『大きな手の男』は僕を表でしばき倒そうとしているのでは無く、むしろ『大きな手の男』を信じて良さそうだとなんとなくそう思った。
半信半疑ではあったが『大きな手の男』に「微妙に重たい旅行鞄」と共について行くと、今度は対照的にひょろっとした欧米人男性がマイクロバスの前に立ち、細い腰に使い込んだウエストポーチを着けていた。
「オーストラリアにも、こんな体型の人っているんだな」と思っていると『大きな手の男』が『ひょろい男』に僕のメモを見せながらなにやら話をし始め、時折僕を指差し、わりと熱心に話をしていた。
ひとしきり話が終わったのか『大きな手の男』が、数分間蚊帳の外だった僕の肩をポンポンと叩き、優しい笑顔でかなり丁寧にゆっくりとした英語で説明をしてくれた後、彼は大きな手を振って去っていった。
 残念ながら『大きな手の男』が説明してくれた英語で、僕が唯一聞き取れたのは「Ten Dollar」の一言だけであとは何を言っているのかさっぱりだった。彼の他の言葉という言葉は、ものの見事に再び僕の頭上を音速で通過して行った。
僕はいったい何が起こったのかも『大きな手の男』と『ひょろい男』が何を話していたかもわからないのに、なぜか『大きな手の男』に僕は自然と「Thank you.」と言っていた。
 そこには、僕には彼らのやりとりの内容は全くわからなかったが、『両替所の女性』と『大きな手の男』と『ひょろい男』は、僕の為に何かをしてくれたという事が感覚的にわかった。そこには全くの悪意も差別も無くただフラットに、僕という人間を善意だけで助けてくれたんだという実感はしっかりと伝わってきたからだ。
とはいえ、確信するものは何も無く僕は『大きな手の男』が去った後、この先どうなるのか全く想像できなかった。
マイクロバスの前にいる『ひょろい男』が僕に近づき「Ten Dollar」と言った。
その時、『大きな手の男』が僕に丁寧に説明してくれていた際に、唯一聞き取れた英語の「Ten Dollar」の意味はこの『ひょろい男』が求めている「$10」のことだと頭の中で繋がった。
 ただ、この目の前のマイクロバスはどこに向かうもので、僕は何の料金として「$10」を請求されているのか全くわからなかった。相談料なのか、バス代なのか、チップなのか、何かの基本料金なのかさっぱりだった。
だが、僕はギャンブルするつもりで、唯一聞き取れた「$10」を素直に手渡すと『ひょろい男』はお金をウエストポーチにしまい、僕の「微妙に重たい旅行鞄」を指差して「それは向こうに積んで」という感じで親指で差した。その先には、マイクロバスの後ろにぽつんと連結している「冗談みたいに小さな荷車」だった。
ちょっとしたカーブで、簡単に横転しそうな「冗談みたいな小さな荷車」を牽引するマイクロバス。これは、まず日本では見かけない物だった。
 そして、この時点になって、今までのやり取りの全貌がやっと僕の頭の中で繋がった。僕が見せたホテルのパンフレットを見た『両替所の女性』は「この空港前に停まっているマイクロバスに乗ればそこに着くわよ」と言ってくれたが、英語のわからない僕に業を煮やして、後ろに並んでいた『大きな手の男』が『両替所の女性』に事の経緯を聞いてホテルパンフレットを直接確認し、僕をこの送迎バスの乗り場まで連れて『ひょろい男』に事情を説明し、僕の行き先を告げてくれていたのだ。そして『大きな手の男』は「このバスに乗れば、君が泊まるホテルに向かう。バスの料金は10ドルだからね」と説明してくれていたのだ。
そして、恐らくこの『ひょろい男』は「大きな鞄は後ろの荷車に乗せてね」と言っているのだ。この瞬間、再び驚きと感謝の念が僕の中で渦巻いた。体の中に流れる血液が全て震えるほどに、海外に到着して早々に国境も文化も人種も越えた優しさに触れて心から感動を覚えた。
僕は『ひょろい男』に言われたとおり「微妙に重たい旅行鞄」を「冗談みたいに小さな荷車」に乗せてマイクロバスに乗り込んだ。バスの中は当然だが欧米人ばかりで日本人なんて一人も見当たらなく、後ろの方にたった一席だけ空いていた椅子を見つけると僕は静かに腰を下ろした。
不安と混乱の中から抜け出し、なんとか自分が向かう方向がぼんやりと見え、漸く一安心したのも束の間、すぐに次の不安が訪れた。
『一体、どのバス停で僕は降りればよいのか全くわからない……』
いやいや、もうマイナス思考は捨てよう。まあ、なんとかなるだろう。
いや、なるようにしかならない
文字通りに乗りかけた船だ。このまま『ひょろい男』を信じて身を任せよう。もう、賽は投げられたのだから……

 それにしても、こんな調子で本当に一年間も、この地で僕は一人で過ごしていけるのだろうか。この地には僕の知り合いなんて一人もいない。
全く英語はわからないし、日本から出たことは一度もない。
僕はこれまで『夢』ばかりを見て、全く『現実』を見ていなかった。
自分の愚かさに打ちのめされて、自暴自棄になりかけながら僕は一人、バスの出発を静かに待った。
どこに向かうのか、全くわからないマイクロバスの中で……。

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