見出し画像

海の向こう側の街 Ep.21<バニラ・シェイクと魔の右カーブ>

 その日、僕はドキドキしながら、ジェイソンの電話番号に電話をした。
まるで、初めて小学校の時に友達に電話をして、知らない親に「お楽しみ会」の準備について伝える時と同じ様な緊迫感。
いや、明らかにそれ以上だ。
映画で何度か聞いたことはあったが、海外の電話のコール音は一回一回が長く、その間の間隔も長いので、一瞬切れたのかなと思ったらまた長いコール音がなる。
『トゥルルルルル〜……(忘れた頃に)……トゥルルルルル〜』といった感じだ。
「あぁ、外国で電話をしてるなぁ」と、その音を聞いて思ったが、心の半分はもう心臓がドキドキして仕方がない。
 電話だとボディランゲージが完全に封印されるので(FaceTimeなども当然ない時代だ)、今から「英会話のみ」でこの場を乗り切らないといけない。
こんな不安要素しか無い電話を、今までの人生で一度もかけたことがない。
暫くすると「Hello.」と、中年男性の声が聞こえた。
この声は、恐らくジェイソンのお父さんだろう。
僕はこうなった時の為に、予めタカにジェイソンに代わってもらう為の英語メモを用意してもらっていた。(カタカナのフリガナ付きだ)
ジェイソンにさえ代わってもらえれば、あとは日本語で全て会話が出来る。
そこまで乗り越えれば良いんだ。僕は、自分自身にそう言い聞かせて、メモを読んだ。
「Yukio Tanakaと申します、ジェイソン・スミスさんをお願いします。」
 そう言ったら「君がYukioかい?」と、電話の向こうの中年男性から聞かれた。
 少し想定がズレたが、ジェイソンに代わってももらえる修正可能範囲内だ。
「Yes.」と僕は答えると、あとは本人確認を取った後、すぐにジェイソンに電話を代わってもらえると思った。
「そうか~!で、オーストラリアはどうだい!?」と、元気よく英語で聞いてきた。
 おいおい、これは僕にとってとても厄介な流れだなとは思ったが、相手の英語はかろうじて判ったし、とても好意的だったので、どこか嬉しかった。
僕は一番ベタな「Very good.」と言った。
 これが僕にとって精一杯の返答だったが、どうやら気持ちを汲み取ってくれた。
「おぉ、それは良かった!どこが良かったんだい!?」と、ジェイソンのお父さんらしき人はこれまたノリノリで僕に問いかけてきた。
さて、困った。この国に慣れてきたとはいえ、そんなに長く滞在しているわけでもないので、オーストラリアの具体的な良さは判らないし、かといって考える時間を長く取ると、無理やりオーストラリアの良いところを探しているように思われて、お世辞だと思われてしまう可能性がある。
「Beautiful sky and beautiful city!!」と、僕は答えた。
 まぁ外れてはないし、向こうも悪い気もしない。それに嘘じゃない!
我ながら無難な答えが咄嗟に出たものだと感心して、胸をなでおろした。
「そうか!それは良かった!そうだ、君は英語で何かトラブルはないかい?」と、ジェイソンのお父さんはまだ僕を離してくれる様子はなかった。
横に居たタカは「大丈夫?」といった顔つきで、僕を不安そうに見ていた。
僕は「英語でトラブル?」と、頭の中で三回ほど反復して訳がわからなくなり「English trouble?」と、語尾を上げて聞き返してみた。
 今の状況ではなくて?と聞きたくなったが、そんな事を言えもしないし、きっとジェイソンのお父さんの質問の意図は違う。今じゃなければ、一体なんのことだ?
すると、電話口からジェイソンのお父さんではなくジェイソン自身が「そう、英語でなにか困ったことがないか?って、お父さんが聞いているんだ」と言った。
 この時、お父さんと話していたのになんで急に会話内容を知った状態でジェイソンが電話口に出てきたのか全く理由が判らず、僕は大混乱していた。
あとで判ったのだが、今で言う「スピーカーホン機能」を使って、家族全員で僕とジェイソンのお父さんの話を聞いていたのだ。
「英語で困った事か……」と考えると、今後に関わる大きな問題が一つあった。
それは、マクドナルドで『バニラ・シェイク』が全く伝わらなかった事だ。
いくら言い直しても伝わらず、結局『コーラ』を渋々飲んだ事が悔しく、どうしても『バニラ・シェイク』ぐらいはサラリと頼めるようになりたかった。
なので、ジェイソンに「マクドナルドで『バニラ・シェイク』が全く伝わらなかった事が、英語で困ったことです」と日本語で伝えると、英語でジェイソンのお父さんに通訳してくれた。
この間に僕は、急に日本語で話し始めた僕に驚いていたタカに、突然ジェイソンに電話が代わったけど家族全員が僕たちの話を知っている事を伝えた。
ジェイソンのお父さんは「OK! バニラの発音は『VANILLA』って発音するんだ。言ってごらん?」と言われた。
「バニラ」と言うと、即座に「No,No.『VANILLA』だよ。言ってごらん?」
この会話を、実に約十五回ほど繰り返すことになるという想定とは程遠い結果となり、即席英会話学校が開講してしまった。
横に居たタカは、僕の真似をしなからゲラゲラと笑っていた。
クタクタになりながらジェイソンのお父さんの発音に寄せていくと、漸く発音が近づいたらしく「Good! 覚えたね? あと、どうしても伝わらないなら「ホワイト・シェイク」でも大丈夫だよ」と、僕に教えてくれた。
 だったら、先にその簡単な「ホワイト・シェイク」を先に教えてくれよ。と心のなかでぼやいたが、ここは親切に教えて貰えたのできちんと「Thank you Very much. ありがとうございます」と、誰でも知っているだろうと思い、あえて日本語で「ありがとうございます」を付け加え、感謝の意を伝えた。
 家の時計を見ると、小一時間ほどジェイソンのお父さんと話していた。
「どういたしまして。じゃあ、ジェイソンに代わるね」と言われ、漸く電話口にジェイソンが出てくれた。
ジェイソンに代わった時点で、僕はもうヘトヘトに疲れきっていたのだが、ここからが本題なのでしっかりと「もしよかったら、ジェイソンと僕と僕の日本人の友人のタカと三人で遊びたい」と伝えると、彼は快諾してくれ、簡単に日時を決める事が出来た。(なにしろ僕たちには『予定』というものは無い)
待ち合わせは僕の家で、電話で僕たちの住所を再び彼に伝えた。
すると、ジェイソンは「OK、メモと同じだ。君たちは凄く良い所に住んでいるんだね!」と驚かれた。
彼の話では、僕たちの住んでいる「ビクトリア・パーク」は所謂高級住宅街で、治安もとても良い場所だそうだ。
彼は続けて「失礼な言い方だけど、よくそんな場所の家を借りられたね?」と僕に聞かれたのだけど、失礼も何も「ここしか案内されなかった」事を伝えたら、彼は再び驚いたのだった。(大阪だと帝塚山辺りとかになるのか?)
ともあれ、今度の日曜日にジェイソンが我が家に遊びに来る。
 自分自身がオーストラリアに住んで、その家にオーストラリア人が遊びに来る。
そんな日が来るなんて、日本に居た時は全く夢にも思わなかった。
 そして、夢にも思わなかった日曜日の朝がやって来た。
朝の九時半に玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けるとマトリックスのキアヌ・リーブスのような、鋭い角度のカッコいいサングラスをしたジェイソンが立っていた。背は高いし、サングラスもカッコいいし、しかもめちゃくちゃ似合っている。
僕と初見のタカは、その姿を見て思わず「スゲ~!」と驚きながら言うと、彼は笑いながら「何が凄いの?」と言った。
「だって、めちゃくちゃカッコいいよ!」とタカが言う。
「ありがとう」と言って、僕たちの家をグルリと見渡して「うわ~、まるで日本みたいだね!」と、ジェイソンは言った。
 特に足元の、僕たちが脱いで置いてある靴がある玄関を見ながら、今度は彼が驚いた。僕たちとしてはごく普通のことなのだが、オーストラリア人の彼からすれば、母国でありながら僕たちの家はとても新鮮だったようだ。
『お互いの国の当たり前』に驚くという、とても奇妙な空間がここにはあった。
僕はジェイソンにタカを紹介し、タカはジェイソンに自己紹介をした。
いつにオーストラリアに来たとか、日本語をどれくらい勉強したのかとか、一通りお互いに自己紹介と質問が終わると、ジェイソンは「準備は出来てる?」と、元気よく聞いてきた。
「もちろん!」と、僕たちは言って親指をグッと上に突き出した。
「OK、じゃあ出発だ!」と彼は言って、僕たちはバスタオルと海水パンツとお小遣いを入れた財布を持って玄関を出た。
 階段を降りると、彼の車が止まっていて「さぁ、遠慮せずに乗って!」と、僕たちの為に車のドアを開けてくれた。
おぉ、海外の男性は本当にジェントルマンだと驚きながら、見たこともない車種の車に乗った。
僕たちの家を出て暫く車を走らせた後、タカはジェイソンに「今日は、どこに行くの?」と聞いた。
 集合場所と日時は決めていた。
しかし『今日はどこで何をして遊ぶのか』を全く聞いていなかった。
ただ、前回の即席英会話学校が開講された電話の最後に「バスタオルと海水パンツを必ず用意しておいて」と、彼に言われただけだった。
僕たちは、オーストラリアだし綺麗なビーチに行って、綺麗なビキニ姿の女性を横目で見ながら海で泳ぐのだろうと高を括っていたのだが、回答は全く違った。
「ウェイクボードだよ」
僕とタカは、頭の中がはてなマークで一杯になった。
ジェイソンは、車を運転しながら「ほら、海の上でジェットスキーに引っ張られて遊ぶのってテレビで見たこと無い?あんな感じのやつだよ」と言った。
確かに彼の言う通り、ハワイやオーストラリアのリゾート地で水上スキーを楽しんでいる芸能人の姿は、テレビの映像で何度か観た事はある。
う〜ん、これはマジで困った。僕たちは、そんなにお金を持ち合わせてはいない。
そんな「リゾート・アクティビティ」を楽しむ程の心づもりもなければ、当然そんなお金もないし、もちろん海外ロケをしに来た芸能人でもない。
日本で言う「リゾート地で水上スキー」なんて、到底無理だ。
感覚が違ったのか、それとも彼が僕たちの住んでいる住宅街も加味して「リゾート・アクティビティ」を予定してくれたのか、どちらかは判らないが、どちらにしても僕たちには絶対に無理だ。
どうしようと思っていたら、タカが「ねぇ、ジェイソン。僕たちは、リゾート地で水上スキーをやるようなお金なんて持ってきてないよ」と、ストレートに言った。
 ジェイソンは、フリーマントルの方角に車を走らせながら「大丈夫大丈夫。全然高くないし、海じゃないんだ。安心して」と言った。
「ハワイとかで、ボートとかジェットスキーに引かれて遊ぶ「水上スキー」かなと思ったんだけど、違うの?」とタカが聞くと「そうだよ」と彼はあっさりと答えた。
「海じゃない場所でジェットスキー? そんな事ができるのか?」
『どうかこの会話の温度差が、丁度良い感じに収まりますように』と思いながら、僕とタカは顔を見合わせて、全てをジェイソンに任せることにした。
 ジェイソンの車は、僕が少し見慣れたフリーマントルを越えて走っていく。サウス・フリーマントルを過ぎ、ノース・クージーと書かれた看板も越えた。
気がつくと右も左も木々が生い茂り、排気ガスにやられ、あまり生き生きとしていない芝生しかない道をずっと走っていた。
よく考えればこのドライブは、僕にとってオーストラリアで初めてのドライブだった。
日本とは全く違って空は大きく広がり、日差しが文字通りとてつもなく眩しかった。道も広く、道路と建物の間はとても広い。日本同様にスクールゾーンの道路標識はあれど、とても通学路と思えない程、周りには何もなかった。
日本と同じなのは、道路標識と左側車線な事と、日本車があちらこちらで頻繁に走っていた事だった。不安と期待が入り混じる中、車は進んでいく。ジェイソンの車の曲がる回数が増えたなと思ったら「着いたよ」と、彼が突然言った。
 そこには、綺麗なベージュ色をした鮮やかな色の屋根と、コカコーラの丸い看板が目立つ「Cables WATER SKI PARK」と書かれた所だった。

Cables WATER SKI PARK

 海沿いとは到底思えない場所だが、名前から察するに、ここで遊べるのは間違い無さそうだった。
折角だからと、僕はパワーザウルスで玄関口の写真を撮影してから、先に行ったジェイソンとタカの後に続いて中に入った。
一人六ドル払うと、ライフジャケットを渡され、手に星型の赤いスタンプを押してもらってから入場する。
中は市民プールみたいな更衣室で、海水パンツに着替え、手渡されたライフジャケットを着て、いよいよ施設の中に入った。
施設の中は、物凄く広いプールの上の中央に、とても大きな長方形のレールが設置されており、その長方形のレールからロープが何本も出て、広いプールの中をグルグルと文字通り機械的に回っていた。

順番待ちはこんな感じ

 僕たちは、出入り口でサイズを指定したウェイクボードを渡してもらい、プールに並ぶ。そのプールの出発口のすぐ前でウェイクボードを足にはめて、なんとか水に浮かびながら機械的なロープが来るのを待つ。
暫くして機械的なロープが来ると従業員が手に取り、従業員から手渡されたロープをタイミング良く受け取って握ると、ジェイソンはそのロープに引っ張られて自然と水上スキーと同じ状態になった。
ジェイソンが勇ましく先陣を切ると、次はタカ。そして僕の番になった。
ドキドキと心臓が飛び出そうなくらい緊張していると、従業員からロープを手渡された。
グンっと、スタートの瞬間だけ一瞬自分の肩が外れるかと思う強さだが、初めてなのに運動音痴な僕がいともたやすく水の上を滑っていた。
「これが水上スキーなのか! なんて凄いスピード感で進むんだ! こんな体験はマジで生まれてはじめてだ!」と、頭の中のアドレナリンが思いっきり出まくったのが自分でも判った。
ラリーカーのように水面の上を少し上下にバウンドしながら、体験した事のない速度で水上を滑っていく。
長い直線が終わり、大きく右へ曲がる。
その瞬間、完全に遠心力で腕がもぎ取られる程の衝撃が来たと同時に、僕は自然とロープを手放して勢いよく飛ばされた。
自分が今プールのどこにいるのか、全く判らなくはなったが、急いで外側に向かわなければ後続の人に接触しかねないという思いで、必死にプールの端に向かった。
どうにかこうにか、従業員にサポートしてもらいながらウェイクボードを外し、プールから這い上がった。
「これは、面白い!!」
 もう一回、もう一回、と何度もトライしたが、どうしても「魔の右カーブ」の強い衝撃で吹き飛ばされて終わってしまう。
タカもうまくカーブが曲がれないみたいだが、ジェイソンは「魔の右カーブ」では見当たらない。彼は、この水上スキーには慣れており「魔の右カーブ」をうまく回れているから、外側に振り飛ばされないで済んでいるのだろう。
プールをよく見ると、マリオカートのようなちょっとしたジャンプ台もあり、上手な人はポーズを決めて華麗にジャンプを決めていた。

上手な人は「魔の右カーブ」をすんなりと曲がれる

 そんな人達は「魔の右カーブ」の外側にすんなりと周り、遠心力を緩和し「魔の右カーブ」も難なく華麗に曲がり、羨ましいほど美しいジャンプと、そして強烈なスピード感を楽しんでいるのが見て取れた。
僕も負けじと上手な人を見習って外側に移動し、遠心力を緩和したが、何度トライしても、結局一度も「魔の右カーブ」を曲がることは出来なかった。(いずれは両腕が無くなってしまうのではないかと)
可能な限り、カーブを曲がる時にロープを弛ませないように遠心力に耐えながら、外側にロープを張り続けて曲がるように努めたが、緩和されているとはいえ遠心力が半端ないので、タカも含めてどうやっても成功しなかった。
かれこれ三~四時間程遊んだ後、今日の記念にと、三人の手の甲を揃えて星型の赤いスタンプを撮影した。

三人の星型の赤いスタンプ

 星型の赤いスタンプが、不思議と僕たちの友情の印の様に思えた。
全員がクタクタに疲れた事と、ジェイソンの次の予定の時間が近づいてきたので、僕たちは着替えて「Cables WATER SKI PARK」を後にすることにした。
帰りも、もちろん車でジェイソンに家まで送ってもらい、二人でジェイソンに深々とお礼を言った。
「また、一緒に遊ぼうよ!」と、彼は言う。
「もちろん!」と言って、彼は笑顔で手を降ってから車で去っていった。
 夕飯どころかお昼もまだだったので、僕たちは電車で一度パースシティへ向かい、ヘイ・ストリートのカリヨンシティ前の少し小さなマクドナルドに入った。
言うまでもなく、僕たちは『バニラ・シェイク』を正しくオーダー出来るかを試しに来たのだ。
結果としては、即席英会話学校を受講していないタカは少し多めに苦戦したが、僕たちはうまく『バニラ・シェイク』をオーダーする事に成功した。
だが、その後に「どのサイズにしますか?」と聞かれるとは思わなかった。
(この時の日本のマクドナルドには「Sサイズ」のシェイクはまだ無かった)
僕たちにとって「バニラ・シェイク」には、まだもう一山あったのだ。
僕は、どんなサイズがあるのか試しに聞いてみると、店員は「MサイズとLサイズがありますよ」と言った。
折角なので、僕は日本には無い「Lサイズ」を頼んだ。
この一杯だけでお腹一杯になりそうな量だったが、この日に二人で飲んだ「Lサイズのバニラ・シェイク」の味は、格別に感じられた。
ただ一つ残念なのは、ジェイソンが連れて行ってくれた、この「Cables WATER SKI PARK」は、二〇〇四年に閉園しており、今はもう無いことだ。
全く攻略できなかった、あの「魔の右カーブ」に再挑戦が出来なくなったのはとても残念でならないが、もう五十を超えたこの年齢では「魔の右カーブ」で本当に脱臼してしまいかねないので、仮に現存していても攻略は当時より難しい。
しかし、あの時の眩しい太陽の光に照らされているかのように、この日の思い出は僕の胸の中で、燦々と眩しく今も輝き続けている。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この街がすき

率直に申し上げます。 もし、お金に余力がございましたら、遠慮なくこちらまで・・・。 ありがたく、キチンと無駄なく活動費に使わせて頂きます。 一つよしなに。