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海の向こう側の街 Ep.25<水深十八メートルの海に向かって>

 僕は、海底約十八メートルの海の底で仲間たちを待っていた。
眼の前はさして何も見えず、薄暗い明かりの中、海底の砂や岩しかない殺風景な場所でインストラクターと一部の二〜三名ほどの仲間たちと待っていた。
 スキューバダイビングの講習初日の当日、合計約二十名ほどの生徒が集まった。男女比率は七対三で女性の方が多かった。海に潜る事前準備として、まずは事前に様々なことを知っておかなくてはならないので、当然学科学習があり、その学科学習の教室分けのために、二手に班分けされた。生徒の大半は女性だったので、僕はせめてタカと同じ班になる事を強く望んだが、残念ながら班分けの際に彼とは別の班となってしまった。それも運悪く、僕は生徒の殆どが女性の班に分けられてしまった。その部分だけを聞くと良いように聞こえるかもしれないが、実際は大半が女性だと気を使うもので「女性社会特有の空気」に飲み込まれてしまう。
そうなってしまうと僕はただのお飾りで、講師を務めるインストラクターの方を除いてたった僕一人しか居ないこっちの班は、とても退屈なものだった。
いざ授業が始まると、各機材の説明はもちろん、海に潜る怖さと楽しさをインストラクターの方(もちろん日本人)が懇切丁寧に教えてくれた。僕たちは皆、道具一つでも使い方を間違えると命取りに繋がるので真剣に聞いていた。約一名を除いては……。
この一名は、おそらく僕とよく似た年齢ではあるが(特別幼いという事もなければ特別に老けているということもなく本当に僕と同じ歳程度だった)、とにかくぶっ飛んでいるのだ。
「先生! どこでイルカさんと会えるんですか?」と、彼女はインストラクターが何かを説明し終わった二言目には必ず言うのだ。
 僕も含めた他の生徒たちは最初の一言目や二言目は明るく聞いていたが、三度四度となると話は変わる。表情も仕草も全盛期の松田聖子さんのようにブリブリのぶりっ子笑顔でインストラクター(これがまたイケメン男性だった)に聞いていた。
「そうですね、フリーマントル港にいるくらい、とても身近にイルカがいるパースですが、練習する海域ではあくまでも練習メインですので『イルカさん』が現れる確率は低い海域となりますね」と、インストラクターも釣られたのか皮肉なのかわからない『イルカさん』という単語をわざわざ使って返答していた。
「え〜、そうなんですか〜、イルカさんと会いたいです〜!」と彼女が言うと、流石に教室内も笑いに包まれたが、その「笑いに包まれた真意」について彼女は判っているのかどうか全く不明だったが、もし判っていてあの笑顔なら「なかなかの筋金入り」となるので、考えただけでも背筋がゾッとした。
やはり、男性が多いタカの班に入りたかった。
ちなみにこの班はこの最初の授業だけではなく、最後の海洋実習が終わるまでこの班のままで固定される。
つまり、イルカさんとは最後まで「嫌でも」付き合わなければならない。
お願いだから、一日でも早く終わってほしいと心から僕は思った。
 一日目の授業が終わり、家に帰るとタカにそのイルカさんのことを初めて話した。(どこで彼女がいるのか判らないので、安全に家に帰るまでわりと表面的な話しかしていなかった)
「それ! 凄いね! なかなか居ないんじゃないの? そんなキャラクター」と、タカはステーキを焼きながら笑って言った。
「よく言うよ、なかなか居ないから困ってるんやんか。事ある毎に『イルカさん』やで、俺たちとほとんど同じ歳の女の子が普通言うか?」
「俺らと同じ歳!? そりゃ凄いね、てっきりもっと幼い子だと思ったよ。そんな年齢の子いたかなって考えながら聞いてたんだけど、居なかったよなぁって思ってたんだ」
「そうやで、きっと俺等と同じ歳。誤差があっても一つ二つよ。これが上やったらどうする?」と、僕はタカに言った。
「それはかなりキツイね」とゲラゲラ笑いながら、焼きたてのステーキを僕の前に置いてくれた。
「シェフ、ありがとうございます」と、僕がふざけて言う。
「どういたしまして」と、わざと仰々しく深々と頭を下げて、一度彼はキッチンに戻って自分の分を取りに行った。
 僕たち二人がよくやっていたお決まりの冗談だった。

 学科講習も後半にもなると、流石にインストラクターたちも彼女以外の生徒も、誰にでも判る愛想笑いで『イルカさん』に答えていた。
僕は、以前から気になっていたサメの出現率についてインストラクターの人に聞いてみた。
「これまで何百回と潜ってきましたが、人食いサメを見かけたことは一度もありません。それどころか映画「ジョーズ」のせいで過剰に駆除されてしまい、現在ホホジロザメは絶滅危惧種に指定されています。映画監督のスティーブン・スピルバーグは、あの映画を撮影したことを今は悔やんでいるとコメントされているほどです。なので、今回の講習では『絶対に』人食いサメと会うことはありません」と言った。
「先生の言う事はよくわかりましたが、今から行こうとしているところは自然界の真っ只中です。自然界において『絶対に』はありません。あのイルカでさえ、人間を襲うことも有ると聞きます。万が一出会ってしまった時、僕たちはどうすればよいか教えてももらえませんか?」と、僕はできる限り失礼のないように丁寧に聞いた。
「そうですね、確かに仰る通りです。万が一現れたら、私達が海底に伏せるように皆さんに合図をします。海底で腹ばいになって動かず、サメが通り過ぎるのを待ちます。下手に動くと刺激することになるので、サメの位置と私達インストラクターの合図に集中してください」と、彼は言った。
 気がつけば、教室は静寂に包まれていた。
 学科講習の最後にテストがあり、幸いそれほど難しくはないのだが、それをクリアすると専用プールで実際に機材セッティングの練習を何度も行うステップに移行する。
僕たちの班は全員落ちることなく『イルカさん』も例外なく合格していた。
ここで落ちていたなら「ただの足りない子」として僕は納得出来たのだが(きっと周りもだ)、簡単なテストとはいえ、すんなりとテストをクリアし合格が発表されると、またブリブリの仕草で大喜びする。そんな彼女を見ていると、どう贔屓目に見ても強烈なサイコパスにしか見えなくなり、ますます彼女のことが怖くなってきた。
 翌日、直径二十五メートルはありそうな円形の黄色いプールのプールサイドで、実物の各機材の名称と使い方を丁寧に教えてくれた。
その時、僕がパースのマクドナルドで初めて声をかけてくれた、聴覚障害を持ちながらスキューバダイビングのインストラクターを目指したいと言っていた彼がそこで働いていた!
 僕は隙を見て彼に近づき、初めて彼と会ったときの話をし、君がこの仕事につきたかったと言っていたことを話した。幸い、彼もおぼろげに覚えていて、後にも先にも励ましてくれて背中を押す言葉を言ってくれたのは僕だけだったと言った。
彼も喜び、まだ見習い段階だけどここで採用してもらえたこと、もっと修行を積んで海に出て生徒に教えたいと、今後の意気込みを教えてくれた。
強い意志をもって海を渡り「不可能だ」と周りから言われても、それでも食らいついた彼が、見習いとはいえスキューバダイビングショップで勤務することが出来たことは、凄いことだと僕は心から思った。
この際だから、スキューバダイビングに詳しい彼に、ずっと不安だった例のシャークアタックの頻度を聞いてみると、彼はこれまで潜っていて見かけたのは一度だけで、それもずっと遠くだったこと。
また、逆にサメ自体も人間を見て怖がる習性があるので、万が一近寄ってきた場合は海底に伏せて、サメがどこかへ行くのを待っていれば大丈夫と教えてくれた。
あの時、マクドナルドで別れ際に彼が言った「パースは大きくない街なので、またどこかできっと会えますよ」という言葉が本当になった。
 そして、その時に僕は「そんとき、困ったことがあったらまた色々と教えてな!」と言ったが、その言葉通り、スキューバダイビングについて彼は色々な事をこっそり僕に教えてくれた。本当にパースって大きくない街なんだなとも思ったが、彼が夢を叶えてこうやってここで汗水を流して重たいボンベを運んでいる姿を見ると、気持ちがいっぱいになった。
何度も想像より深いプールで「水の中で浮く」練習をしたりしていると、今では考えられないのだが、僕は細身で男性用のウエットスーツがなかなか合わなかった。
ウエットスーツというのは、体とスーツの間に程よく水が入り、自分の体温でその水が「逃げることなく」ウエットスーツ内で保温効果をもたらすものだが、僕は当時五十キロ台前半だったので、なかなかうまくマッチするウエットスーツが見つからず苦労していた。最終的には、唯一あったサイズのウエットスーツがマッチし、その時に初めてプールの中でウエットスーツの機能の凄さに驚いた。

インストラクターに感謝!

 気がつけば、あれよあれよという間に海洋実習の日が訪れた。いよいよ、海に出て海洋実習をすることになったが、ここでもイメージ通りすんなりと事は進まなかった。それは「耳抜き」だ。あくびの要領や、鼻をつまんで「ん〜」と耳から空気を出せば簡単に耳抜きが出来るのだが、今までのプールとは異なり、当然海は広く波もあれば十八メートルも潜るので、水圧もプールとは全く異なる。また、必ず二人一組で海に潜る(バディ)決まりとなっており、たとえ相方があの『イルカちゃん』であっても、絶対に一人で潜ってはいけない。僕たちのペアは両方難なく十八メートルまで潜り、先に潜っているインストラクターの元に集まったのだが、この耳抜きが出来ない生徒たちをただ海底で待ち続けるのは、退屈以外他ならなかった。
僕は、海底約十八メートルの海の底で仲間たちを待っていた。
眼の前はさして何も見えず、薄暗い明かりの中、海底の砂や岩しかない殺風景な場所でインストラクターと一部の二〜三名ほどの仲間たちと待っていた。
ぼんやりと見える海面の方に目をやると、だいたい二組のどちらか一人がうまく耳抜きできず、もう片方の人がすんなりと耳抜き出来た場合はある程度一緒に待つものの、結果的に耳抜きが出来た方はインストラクターと潜り、僕たちと共になんとも言えない殺風景な海底で待つ。もちろん、イメージしていたきれいな魚なんて一匹も泳いでいない上、水もやや濁っており、視界はとても良好とは言いがたかった。まるでどこかの深い池の中にいるようで、何もすることなく、ただその場でじっと待っているほかなかった。耳抜きが出来ない人はインストラクターと海面に上がり、耳抜きのコツを教えてもらい、再び潜るをただ繰り返す。僕たちは簡単に耳抜きが出来たのでよく判らなかったが、実は耳抜きが出来ないとかなりの激痛が走り、また中途半端な耳抜きの状態で潜ると、海から上がった時に鼻血が出てしまうこともよくあるらしい。
なので、潜水時の耳抜きに慣れておかないと今後の海洋実習が行えないことから、これを日取りを変えて二日間入念に行った。
二日目は、耳抜きが苦手な人からインストラクターと潜水し、耳抜きが出来るメンバーは海上で円陣を組んで待つことになった。地味に波酔いしそうになったが、それよりも足元からいつ突然「ガブリ」と来ないか怖くて仕方がなかった。とにかく、怖さを紛らわすために当時流行っていたV6の「WAになっておどろう」を、僕は歌い始めた。すると全員で歌いだし、退屈な時間が程よく紛らわされていった。
結果、耳抜きが出来ない人がコツをうまく掴み、全員潜れるようになったのは小一時間ほどしてからだった。
僕は、一日目は視界の優れない濁った海底でただただ待つしかなかった。二日目は海上で(同様にとてもオーストラリアと思えない濁った海だった)輪になって何度も同じ歌を歌いながら待つという、なんとも退屈な二日間だった。
結局、ウエットスーツを着て、大きなマスクを被り、酸素ボンベを背負うので、海の中に入ってしまうと誰が誰だか判らなくなってしまう。
なので、誰がバディかだけをしっかり覚えているが、それ以外の泳いでいる人たちのマスクの向こうは誰だかわからない。『イルカさん』かもしれないし、違うかもしれない。
三日目にもなると耳抜きが出来る人も増え、海底で待つことも少なくなり、海底でタツノオトシゴを見れて、楽しみも増えた(珍しいらしい)。

 いよいよ、海洋実習も残り二日となった。
ただ、この時点では「海の素晴らしさ」なんてものは微塵も感じることなく、ただただ退屈な濁った海底を泳ぐ(二日目なんて視界三〜五メートルで殆ど何も見えない)イメージしかなく、肩の荷が重たかった。
「また、退屈な濁った海底を泳ぐのか」と、諦め気味にネプチューン・ダイビングに僕とタカは向かった。
バスで港に向かい、クルーザーで目的の海域に向かうが、明らかにこれまでとは異なる方向に向かっていることは僕でも判った。
なぜなら「海が青いから」だった。
到着すると、あちらこちらにボートが点在しており、どうやらこのパースでは有名なダイビングスポットらしい。
ただ、同時にどの船が自分たちの船か判らなくなるので、船に付けられた旗の色をしっかりと覚えておく必要があった。
僕とバディの女の子はすんなりと潜り(『イルカさん』ではない)、インストラクターの先導通りに潜り、泳いだ。
海の中は、これまでとは異なりとても美しく、これまでイメージしていた、これぞスキューバダイビングと言わんばかりに綺麗な魚が沢山泳いでいた。
泳ぎ終わると、インストラクターが捕まえたロブスターを船上で捌き、みんなに配っていた。(僕は甲殻類が食べられないので断ったが……)
これはまず、日本では味わえないことだろう。
海に潜ってそこで捕まえたロブスターを、船上で捌いてみんなで食べる。
最高じゃないか!(僕は食べられないけど)
最終日も同じ海域で、インストラクターの目は光っているが、比較的自由に泳いでもよくなった。
僕は海底で偶然タカとユーゴと出会い、一緒にアチラコチラと泳いで魚たちと戯れていた。(魚にとっては迷惑なだけだっただろうが……)酸素も残り少なくなり、そろそろ上がろうとなって海面から顔を出したが、そこがどこだか全く判らなかった。
すぐ近くにクルーザーがあったので近寄ってみると、全く別のダイビングスクールのクルーザーだった。
「ヤバい! 完全に迷子になった」
この広い海の中で、沢山あるクルーザーのどれが自分たちのクルーザーか全く場所がわからない。僕たち六人は、そのクルーザーの人にネプチューン・ダイビングの船はどれか教えて欲しいと言うと、判らないと言われた。仕方がないので、近くの別の船に向かったが、いずれも違った。あとは残りの酸素と賭けをして、少し遠い向こう側のクルーザーまで泳いで聞きに行くか悩んでいた。
僕たちは途方に暮れながらどうしようか悩んでいると、後ろから追いかけてきてくれていたネプチューン・ダイビングのインストラクターが、僕たちのところまで直々に迎えに来てくれた。
インストラクターの先導で自分たちのクルーザーまで戻ることが出来た。
危うく海で迷子になって帰れなくなるところだったかと思うと、少しゾッとした。
それは、僕が恐れていた人食いサメよりも怖いことが海にはあることを知った。
僕たちは、全工程を終了し卒業証書ではないが、オープン・ウォーター・ダイバーのPADIの正式な認定書を頂いた。
期限などはないとのことだったので、これでいつでも何かあったら、僕は十八メートルまで潜る事ができるのだ。色々と辛いこともあったけど、良いものを安く手に入れられたと思う。
ただ、きっと海に潜る事なんてこの先、一切無いのだろうけど……。

全員卒業した

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