見出し画像

最近、死にたいと思わなくなってきた【書く習慣 Day 21】

こんにちは。のぞみです。
既に1本投稿しましたが、「書く習慣」はやらないときもちわるかったので、もうひとつ。

Day 21「これまでで1番のチャレンジ」

正直、去年から人生賭けたチャレンジの連続だと思う。
ここ一年のわたし、相当がんばってるんじゃないか?

博士後期課程を受験

これは、相当大きなチャレンジだった。
早稲田の日本語教育研究科を受験していたんだけど、なんと修士論文とはかけ離れたテーマをやろうとしていた。当時は、なんなら修士から入り直してもいいなとか、学部からやり直してもいいとすら思っていた。学びに貪欲ではあったけど、それにかかる時間と費用と労力に、焦りと不安を感じていた。

落ちたとき、「やっぱり」と思った。
こんな気持ちじゃだめだ。
まだわたしにはなんにもない。
このままもう一度受験しても、なにも変わらないと思った。

せっかく飛び級したんだし、1年間はすきなことをやらせてもらおう。執行猶予みたいなもん。1年やってみてなんにもならなかったら、「ふつう」の仕事をやるしかないかもしれないけど。

なにをしようかな。
そうだ、「ことば」がすきだから、「ことば」をお仕事にできる研究者以外の道を探そう。

でも、就活はしたくない。
兄の過労自死から4年、「勤める」というのがまだ受け入れられていなかったから。

「フリーランス」って、なに?
「勤める」のと違うんだ。

じゃあ、フリーランスにしよう

こんなシンプルな発想から始まったフリーランス奮闘記。
すっごくわがままでガキっぽく聞こえるだろうけど、これがすべてだった。
いま思えば、まったくの未経験から独学でフリーランスを目指したのも、人生で1番のチャレンジだったと思う。

インスタで「#フリーランスWebライター」と毎日検索して、書いてある通りにやってみた。こんなに書いて数百円、というより、これにお金を払うひとがいるんだ、と思った。わたしの書いた文章に、お金を払うひとが初めて現れた。なにかが変わったような気がしたけど、周りの目は気になった。

Webライターをはじめた当初、モラハラ男とやっと別れたばかりだったわたしは、自己肯定感どん底。受験に落ちてお先真っ暗だったのもあり、なんのために生きているのかわからなかった。どうせ長生きしないし、結婚も出産もしないし、未来が無いならお金もいらないし、お金がいらないなら働かなくたっていいし。

毎朝「また目が覚めてしまった」と絶望しながら泣いて、「今日」の長さに泣いて、テレビで事件や事故のニュースを見ては代わってあげたいと思った。家族も親戚もきっと、「いい会社」に勤めるか、さっさと結婚相手を見つけてこどもの顔を見せるのが親孝行って思ってるんじゃないか。ニートに生きてる価値ないって同級生に言われたこともあった。仕事してないんでしょって言われたことも。全部全部ちゃんと傷ついた。何十時間も費やして、ぼーっと過ごす会社員の日給にやっと追いつくぐらいだったから。

ぐちゃぐちゃになりながら秋を迎えて、いわゆる転機というやつがきた。

クラウドソーシングサイトで、データアナリストの副業をしないかと声をかけられた。外国の企業を通した、正直ちょっと怪しいお仕事だったけど。円安のご時世、ドル時給でもらえるのはありがたかった。ここでお金を貯めて、なにかできるんじゃないか。

ほんのすこしこころの余裕ができたところに、いまのパートナーが現れた。馴れ初めはまた今度にするけど、ほんとうに奇跡的な再会だった。お仕事がだいすきな彼を見て、わたしも「働くのが楽しい」って思いたいな、と思った。

プロジェクト打ち切りとSHElikesスタート

1月中旬、突然データアナリストのプロジェクトが打ち切られることになった。最低半年の契約だったから、半年は安泰だと思っていたのに。期限は月末、それまでに次のなにかを見つけなくては。

「勤める」のがいいんだろうか。
もうわがまま言ってもがくのはやめたほうがいいのかな。

求人サイト、派遣サイトに5つも6つも登録して、毎日ぼーっと眺めながら、こころが乾いていく感じがしていた。おすすめ求人メールがくるたびに、嫌な気持ちになった。

あるとき、急にSHElikesのことを思い出した。
何度かインスタで流れてきた、ピンク色のかわいい広告。
1月末でプロジェクトが終わって、2月1日にはSHElikesの説明会に参加した。

そして、そのまま、入会を決めた。

自分で払ったもののなかで、一番大きな出費だった。
まちがいなく、人生で1番のチャレンジ。

2月15日に書いたこのエントリーシートは、既に未来への希望にあふれていた。せっかく人見知りだからとオンラインスクールを選んだのに、3月には名古屋拠点での対面の交流に自ら望んで参加した。だれにも会いたくないと思っていたのに、だいすきな仲間がたくさんできた。1ヶ月でこんなにできるの?と思うぐらい、活動的な毎日を過ごせるようになった。

4月からも、どんどん新しいチャレンジがはじまる。既にスタートしているのは、マーケティング&ブランディングコミュニティのサポート。

来週からは、事業計画書を作っていくコーチングプログラム。

こちらも来週から始まる、コーチングスクール。

これ、全部わたしの人生のなかでトップレベルのチャレンジなんじゃないか。SHElikesに入ってからのわたしは、月~日まで、朝から晩まで、ず~っと猛ダッシュ。おもしろいこと、気になることがあったらすぐやる。もともとフッ軽だったけど、磨きがかかってる。

「死にたいとか思う必要ないよ」

そういえば、死にたいとか思わなくなってきたな。
あんなに消えたいと毎日願っていたのに。

「死にたいとか思う必要ないよ」って言われたことがあるのを思い出した。言われたときは、なにを言ってるんだかさっぱりわからなかった。必要ないなんて言われても、わたしだって自分の意思で死にたいと思っているわけじゃない。死にたくないって思えるのが羨ましい。死にたいって思うのをやめたい。

でもいま過去の自分を振り返って声をかけるとしたら、「死にたいとか思う必要ないよ」かもしれない。そんなふうに感じる必要ないよ、あなたはあなたのままで十分生きていく価値があるんだよって。

生きている価値がなんにもないと思っていた時期にも、わたしはとびきりの大きなチャレンジを続けてた。ちゃんとがんばってた。がんばってたことを認めてあげて、つらかった時期を忘れようと蓋をしないで。そのときのわたしがいたから、今日のわたしがこんなにきらきらしてるの。

もしあのとき嘘をついていたら

SHElikesの説明会の直前、派遣の書類審査に落ちていた。
ほとんど書くところがないから、ほとんど落ちる理由はない。

考えられるとすれば、「精神疾患にかかったことがありますか?」の回答だけ。わたしは高校2年生の終わりから適応障害になっていた。高校3年生の丸1年間、頭痛と不眠が酷くてほとんど自分の部屋で寝っ転がって過ごした。大学入学までになんとか外に出られるようになって、大学は皆勤賞だったけれど、適応障害だったという事実は残っている。

だから、ちゃんと書かなきゃと思って、丸を付けた。高校生の頃、1年ほど適応障害になったことがあります。現在は業務に支障はありません、と。そこしか落ちる理由がなかったから、そこで落ちたんだろうな。もし書かなかったら、合格してそのままあの派遣の仕事してたのかな。フルタイム勤務だったから、SHElikesのオンライン説明会を予約することもなかっただろうな。

落ちて、よかった。

ほんとうのところはわからないけど、「適応障害になったことがある」という理由で不採用になったんだとしたら、きっとその会社とは他にもいろいろ合わないよね。だから落ちてよかった。そのときは「書かなきゃよかったか」とこっそり思ったけど、正直に書いて正解だったよ。

こうやって過去のわたしの選択をひとつずつ認めていける自分になろう。ちゃんとチャレンジしてきた自分を肯定して、たくさん褒めて、もう死にたいなんて思わなくていいように。

大丈夫、いまのわたしのままで最高だよ。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

ことばを学ぶ修士卒、コーチングとブランディングをナリワイにしています。いただいたサポートは、ナリワイをアップデートする学びや、毎日noteを心地よく書き続けるための暮らしに投資します。最後まで読んでくださってありがとうございます💌