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それでもわたしは、長男になりたかった

小さい頃から兄は「長男」、わたしは「末っ子」だった。箱入り娘、お姫様、そんなことばで形容される愛情たっぷりの環境でありながら、ずっと「長男」である兄が羨ましかった。長男は、ずっと家にいられるから。

振り返ると、わたしは小さい頃から「それじゃお嫁に行けないよ」とか「いいお嫁さんになるね」と声をかけられて育ってきた。「お嫁に行く」というトロッコに自動的に載せられているのがずっと怖かった。

何歳になったら、ここを追い出されてしまうんだろう。わたしが女の子だから、女の子であるせいで、うちにずっとは置いてもらえない。そんな感覚がずっとあった。

最近になってわかったことだが、うちは結構昔ながらの考え方が残っている家系らしい。食卓では上座に祖父と父が座って、祖母がお米をよそうのも祖父と父から。

本家、分家の境目がくっきりしていて、長男が本家を継ぎ、それ以降は家を出る。祖父も父も長男だったため、わたしはたまたま本家に住んでいる。ずっと受け継がれてきた伝統が崩れるイメージが湧かなかった。

生まれ育った大好きな実家も、20そこそこになれば出ていかなくてはいけないのか。わたしは分家にすらなれず、大事にしてきた苗字も変わって、他の家の「お嫁さん」になってしまうのかと思うと虚しかった。自分のアイデンティティをごっそり失くしてしまう気がした。

わたしとって「女性」であることは、「この家族の輪にいる価値がない」というところまできていた。本当に心の底から、自分が女であることを呪っていた。

兄の自死後、余計に自分の存在意義に悩むようになった。賢くて、正義感が強くて、愛されキャラの長男が亡くなって、残ったのがわたし。残り物だって思われていないだろうか、悪い言い方をしたら残飯みたいな。

頼りない、手間がかかる、信用できない、何もできない、所謂男尊女卑的な女性への声が自分に降りかかってくるような気がして怖かった。

わたしが生きていてよかったんだろうか。わたしが死んで、お兄ちゃんが生きていたほうがよかったんじゃないか。みんな、そう思っているんじゃないか。毎日毎日そんな思いが頭のなかをぐるぐると回って気持ち悪かった。

そんななか、去年突然叔母から「のんちゃんが産まれて、家族の雰囲気が明るくなったんだよ」「のんちゃんはうちの希望だったんだよ」と言われたことが転機になった。

兄とわたしの間には、生まれつきの病気で亡くなったもうひとりの兄がいた。闘病を続けるも生後2ヶ月ほどで亡くなり、それから家庭の雰囲気はずっと重たかったらしい。

その数年後に両親が覚悟を決めて、どんな病気のある子でも必ず一緒に育てようという強い想いを持って授かったのがわたしだった。ぱあっと光が差すように、家族みんなが希望を見たと言っていた。それで、名前を「望」にしたと。

これを聞いて初めて、わたしは女の子だからって無価値な存在ではないんだと思えた。滑稽に思うかもしれないけれど、それまでのわたしは本当に女であることがコンプレックスだったから。

わたしは兄のおまけみたいに産まれてきたわけでも、若くて可愛いからという理由で今だけ優しくされているわけでもない。ちゃんと家族の輪のなかにいてもいいんだ、と思えるようになった。

父方母方の祖母も両親も、自分の思いつく範囲内の選択肢しか与えることができない。自分の経験と、見聞きしたものでしか話ができないことがほとんどだと思う。

だから母は最近になって「わたしたちの当たり前とのんちゃんの当たり前は違うからね、わたしたちは30年以上違う世代に生きているんだからね」と何度もわたしに言い聞かせる。

きっと祖母たちも両親も、自分の当たり前を押し付けたいなんて思っていない。「お嫁に行けないよ」と言われてきたからそうわたしに伝えただけで、きっとここまでのインパクトがあるとは思っていなかったんじゃないかと思う。

わたしはずっと長男になりたかったけれど、それは長男のずっと実家にいられる権利と、家を一生かけて守っていく責任と、家の顔になる覚悟や決意、そういうものが欲しかった。

考えてみたらそれは今のわたしにもできることで、これからのわたしのミッションとして握っていていいんじゃないかと思うようになった。

26年もかけて拗らせてきた「長男コンプレックス」がやっと終わった。これからは新しい家族の形を、自分で創っていけるようになりたいと思う。




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