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私がnoteを書く理由兼、伝えたいコト

この投稿を見てくださっているみなさん
こんにちは、千草涼と申します。

涼という漢字で「すず」と読みます。

どうぞよろしくおねがいします。


私は三年前の高校二年生の時にnoteをはじめました。

というのも宮下奈都の『神さまたちが遊ぶ庭』
という作品の影響を受けてです。

この作品では著者である宮下奈都さんの北海道で暮らした日々が
面白おかしく、そして良い意味で感情的に、
書いてあります。

私が人のおすすめするエッセイと言えばこの作品しかありません。
というぐらいこの作品が好きですし、思い入れがあります。

ぜひその話をしたいところなのですが、
今その話について話してしまうと長くなってしまいそうなので、
いつかお話したいと思っています。

その時はぜひ投稿見てくださいませ。



さて宮下さんの作品に影響を受けnoteを始めた私なのですが、
見事に投稿を4つだけして、noteから離れてしまいました。

(今見返すとなんとなく違うという感じがして、
高校時代のnoteは下書きに戻してしまいました。)

三日坊主ならぬ七日坊主です。
はい、一週間くらいでめげてしまいました。。。

理由はシンプル、高校生活が忙しかったです。
自分の感情にも言葉にも向き合う時間が作れず、という感じでした。

(知ってました?言葉は象徴的なものらしいです。言葉があるからこそ、そのものの実体がなくても人に説明できるのです。当たり前のことですが、
大切なことだなーと思いました。最近大学の授業で習いました。)

もちろん高校生活を謳歌したということです!


そんな私は2022年の4月に大学に進学し、
今は大学三年生、就活始めなきゃというお年頃です。

なぜ3年後の大学三年生の今、急に、
noteに戻ってきたのか疑問に思われた方もいるのではないでしょうか。

答えはシンプルに“自分のことを表現したい”と思ったからです。

最近長濱ねるさんの『たゆたう』というエッセイに出会い、
心が救われるというか、この作品が私の心に寄り添ってくれた
という感覚になりました。

大学に向かう、約一時間の電車の時間、この本を読んで
一人ではないという感覚になりました。

私にとって、この作品は目では見えない、
自分が勝手に作ってしまう敵に挑むための武器です。

どちらかというと戦うため武器というより、
自分を守るための鎧や盾とかの装備に近い感じです。

というのも私自身、この4月、新学期というのに苦手意識があります。
もはや毎年乗り越えないといけない壁です。

新学期になった途端、環境が少し変わり(私にとってはガラッと変わるという感じなのですが)、

周りに追いつけないというか、置いていかれているというか。

頑張って人に追いつこうとして、勝手に空回りしたり、
その空回りについて帰りの電車や寝る前の布団で一人反省会をしたり、、、

こんなことをしているのは、感じているのは、
この世界で自分だけだと思って、落ち込んでしまうことが多々あります。

そんな時に『たゆたう』を読んで、「自分ひとりじゃないんだ」、
「私と近い考えを持っている人がこの世界で他にもいるんだ」
ということを知り、ちゃんと心が動かされた感覚になりました。



なので私もこのエッセイを通して、これを読んでるあなたがこの世界で孤独だと思ったときに孤独じゃないよということを伝えられるようにしたいのです。
(初心者すぎるのでこんなことを言うのもおこがましいのですが。)

もちろん、共感できない
私の変な思考をただただ伝える回もたまにあると思うのですが。
(たまにというか頻繁にあると思います。)



どうぞお付き合いよろしくお願いします。




今日のフィルム
「窓からの写真ってはじまる感があって好きです」





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