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【短編小説】女子高生として目覚めた魔王は静かに暮らしたい Elf of Lost saga

※この物語には、実際の社会のルールとは異なるファンタジーの要素や、暴力的なシーンが含まれています。読み進める前にご理解のうえ、十分にご注意ください。
※短編ですが、全部で10000文字ほどあります。


魔王。

私をそう呼んだのは、人間の言う歴史で紀元前とよばれる時代……人間に「エルフ」と呼ばれた者たちが、まだ地球上にいた頃の話だ。
高度な文明を築いた彼らは、人間との接触をなるべくさけながら暮らしていた。彼らの中に遺伝子というものを操るものがおり、その者たちが私を作成する。

MA-0と名付けられた私は、そのコードネームからマオウと呼ばれていた。遺伝子内に情報圧縮技術を駆使して、高度AIと同等の機能をもたせようというものだ。それなら、何万年もの情報を蓄積しつつ、利用が容易なデータセンターが構築できる。遺伝子ネットワークで相互に通信できれば、それこそ世界中で情報の収集管理が可能だ。

こうして、彼らの挑戦が始まる。だが、さすがに彼らの圧縮技術を駆使したとしても、それらを遺伝子上に実現する事は困難だった。

実験は失敗を繰り返す。

だが、そこに一人の天才が現れた。彼はパラレルワールド上に情報を蓄積することを考える。同時に存在する同一人物は、パラレルワールドだと理論上では無限に存在する。分岐する世界の数だけ存在するからだ。それらに情報と処理を分散させ、相互に確認させることで彼は実験を成功させる。
そしてさらに実験を重ね、我は作られたのだった。

だが、それと同時期のことである。彼らにはある危険が迫っていた。太陽の活動が活発化し、彼らの皮膚に有害な光が、地球上に降り注いでいた。それも年々その量が多くなり、ついに限界を迎えていたのだ。
彼らが地球上に住むのはもう無理だった。こうして、彼らは我をある人類の体内へと残すと、後日に回収するつもりで宇宙へと去っていったのだった。

あれから人間の西暦で二千年と少し経ったころで、我は目覚めた。
なぜ、このタイミングで目覚めたのか。恐らく我を作ったエルフたちでも分からないであろう。偶然というやつだ。

我は「穂十美(ホトミ)」という少女の中で目覚めたらしい。年齢は十七歳。今から学校に行くところだったらしく、鏡の前で制服を着て立っていた。
我が所有している情報だと、あと十五分ほど余裕があるらしい。右の机の上には勉学に使うの物が入った、リュックが置いてあった。

どうやらかなりの部分、我と元の身体の持ち主の情報は共有されているらしかった。彼女は夜中に突然亡くなってしまったようだ。その意識が消えゆく中で……どうやったのか分からないが、我と同一化したらしい。そして一部機能を解放したのだろう。自然回復力を上昇させて、朝まで肉体をもたせたらしかった。
そして彼女の意識がだんだん消えていき、完全に我と入れ替わったようである。

我は学校へと行く道すがら、そんなことを考察した。しばらくすると、駅と名付けられた乗り物を乗る施設へと到着する。そこで彼女の母から渡されたカードを機械へとかざすと、ゲートが開き通る事ができた。これはエルフの研究所にあったものに近いので、すぐにわかった。

電車に乗る前に、少女の体の調整をしようと思う。情報から察するに容姿はあまり変えない方がいいらしい。これから会う学校の友達とやらは、髪型が変わっただけでも気がつくそうだ。基本的なフォルムは変えない方がいいだろう。

我は彼女の遺伝子を操作する。身体能力は何があっても生き残れるように、十倍程度に上げておいた。自然回復力は二倍程度。あまり上げると免疫力で、自分の細胞を壊してしまう。なに、大きな怪我とかをした時に、瞬間的に大きく上げればいいだけの話だ。
一時的なリスクなら、特に問題はないだろう。

電車に乗り込むと、他の乗客に紛れるように奥へと入り込む。いつもホトミがこうしているようだ。そして目立たぬよう、周囲の状況に溶け込むことにする。
しばらくすると、この女が他の者から見て、多少なり魅力的な容姿であることを知った。我の持っている情報には「エルフ」の女性のものもある。

彼女たちに比べれば、この少女……人間の魅力などは無いに等しい。だが、後ろに立っている男にとっては、かなり魅力的に映るらしい。

……我の尻を執拗に触ってきている。

彼女の本来持っている「気持ち悪い」「怖い」と言う感情が、我に直接伝わってきて不快極まりない。同化するとこんな感情もダイレクトに伝わってくるのか。

その感情に我慢できなくなった我は、ほんの少しパワーを上げると手刀で男の腕を切断する。これで問題は回避した。男の腕さえ無くなってしまえば、我慢する必要はない。

だが、それと同時に近くにいた女性が、大きな悲鳴をあげた。そして、血まみれになる車内。
我は瞬間的に、制服が汚れないように近くの人物の後ろに回る。これで、この少女の母たる人物に怒られないで済むらしいのだ。

戦争というものがあり、この国はつい最近までしていた。ほんの百年ほど前の話である。
あれだけ残虐なことをしていたのに、このぐらいのことで騒ぐとは思ってなった。

大きなミスを犯したものである。

幸い、人間の動体視力では、我の動きは確認できない。誰かに見られている心配は無いだろう。我はまだ目覚めたばかりである。存在を確認され、何らかの手段で消されてしまうのは本意ではない。

車内が騒然とする中、我が降りるべき駅までの所要時間をスマホというアイテムで確認しようと思う。正式名はスマートフォン、その最新型のものを母に買ってもらったようだ。それを我が確認すると同時に、感情が一気に流れ込んだ。

ホトミという少女は、このアイテムの入手がよほど嬉しかったようである。
それなら我も同じ存在となった以上、ホトミと同様にこれらを大事に扱う必要があるではないか。

ホトミ(我)の生命と身体の欠如の回避
ホトミ(我)の家族の生命と身体の欠如の回避
金銭及びスマートフォンの紛失及び破損の回避
学校への遅刻の回避
以上を、ここまでに得た情報から、我の当面の優先事項とすることとしたのだった。

それを丁寧にポケットから取り出すこととし、体が覚えているのか自然に画面を指でタップし始めた。まだ駅への到着まで三分ほど余裕があるようだ。その間にこの国の法律と、ホトミの中にある常識とを確認する。

どうやら、法律違反を犯してしまったらしい。

常識的にも周囲の大人に怒られる、非常にまずい状況のようである。やはり大きなミスしてしまったようだ。今後の事を考慮して優先事項を変更するべきか……そう考えた時だ、電車がゆっくりと減速していていくのを感じる。

我は何事かと思って周りを見渡してみたが、どうやら周りはそれどころでは無いらしい。誰もそれを気にしていないようだった。それと同時に隣の線路を通過する、「ホトミが特急列車と呼んでいる電車」の乗客。彼らが、こちらの電車を不思議そうに見ているのが確認できたくらいだ。

放送によると、どうやら車内で事件が起きたので停車したらしい。大変である。早速、先ほど決めたばかりの優先事項四番が回避不可能となってしまった。
我の能力でドアを破壊し、全力で走れば学校へは間に合うだろう。だが、それは我にとって、さらに最悪の事態を招く恐れが高いからだ。

こういう場合の回避方法はないものか。我ではなく、少女……ホトミとして考えることにした。これ以上のミスを犯さないためにも、彼女として考えたほうが適切である。

…………不測事態。

人間は我と違い思考速度が遅いのだろう。そのために時間を要したが、結果を出すことができた。これは予測できない事態として扱うらしい。この場合はこのスマホで学校に状況を正確に伝達すれば、遅刻でも大丈夫みたいだ。

だが……一つ問題がある。

電車の側面に掲げてある「車内での通話はお控えください」の文字である。非常に大きく書かれており、ある一定の年齢以下でも理解できるようにイラストもついている。このことから、これは重要な注意勧告であることは分かった。
どうしたものか……しばらく考える。だが、我の心配は杞憂だったようだ。その放送が終わると、しばらくしたのちに皆が一斉に連絡し始めたからだ。

なるほど、不測事態には使用可能なのか。

そのことを知ると、私はすぐに風見鶏高等学校と書かれた文字をタップする。そして学校の事務員という者に連絡をした。

ここで我は一つ失敗をした。ホトミの情報から、今の状況を正確に報告しないといけないと思った我は、尻に触れた腕を切断した旨を話してしまったのだ。
すべてを話してしまってからの、相手のしばらくの無言になった時間で「やばさ」という感情を感じる。だが、彼女はそれを不測事態により、我が混乱しているからだと勘違いしてくれた。これで学校への連絡と、遅刻の了解は得られた。

他にも数人の生徒が、この事態に巻き込まれているらしい。

この情報は有意義なものだろう、重要事項として記憶しておくこととした。そして、また予測できない「不測事態」が起きる可能性が無いとも言えない。なので、ホトミの思考速度を数倍に上げておくこととする。

人間の思考速度は、我と違って遅すぎるからだ。

だが、実行しようとしたところでまたもや不測の事態が起きる。思考速度を上げたと同時に、急激に腹が空いたのだ。
なぜだ…………朝はきちんと食したはずである。
そう、いつもの量を完食したはず…………そうか! 我の遺伝子操作による少女の能力向上だ。それで消費するカロリーが増えたのか。そこで我は周囲を見渡してみた。どうやら少女の身体は、同じような制服を着用している者と比べても小柄らしい。

我はだいたい身長155cm、体重40kgだと思われる。
つまり基礎体力が低いので、能力を向上するとその分カロリーの消費が激しいのだ。現在の能力を常に維持しようとすると、通常時のホトミと比べ、五から六倍の食事量を摂取しないといけないのである。

これは由々しき問題のようだ。ホトミの情報によると母には「ダイエット中だから、食事を少なめにして欲しい」と言ってあるらしい。それが急に何倍も食したら、変に思われるだろう。最悪、我の存在に気がついてしまう可能性もある。

せっかく目覚めたのだ。そんな、消されてしまう危険だけは回避したい。

そう思った我は、普段のホトミの一割から二割増しの能力で過ごすこととする。非常時に能力を上げることで、不測の事態は回避するしかないのだ。

ただ、重要事項の一だけは絶対である。

我は意を決すると、少女がリュックに隠してあったチョコバーを取り出した。そして相変わらず続く車内の喧騒の中で、それを食したのだった。

線路上を歩いてきたのだろう。数名の制服を着た男たちが、隣の車両からやってきた。
我が腕を切断したことが大事になってしまっているようである。幸い、医術に精通したものが同乗していたか、応急処置はされているようで男はそのまま運ばれていった。

我はその様子を右手に持ったチョコバーを食しながら、じっと見つめる。男は担架に乗せられると、どこかへと連れて行かれた。
そして駅員と呼ばれる鉄道会社の社員が話し出す。我はまだ学校とやらに行けないようである。しばらく電車の中で待機だそうだ。

しかし、この体はカロリーの消費が激しすぎる。一本では足りないようだ。
赤い包みのチョコバーを食べ終わると、もう一本の黄色い包みのチョコバーを取り出す。どうやら味の違うもののようだ。
ホトミのお気に入りらしく、気分が高揚するのと同時に後ろめたさを感じる。

前にこれをたくさん食べ過ぎて、どうやら太り過ぎてしまったようだ。周囲の者と比較してもこの少女は太ってなどないと思うのだが、当人には気になるのだろう。しかし我の不注意とはいえ、カロリーを大幅に消費してしまった後だ。
なぜか我は、自分自身にそんな言い訳をしつつ、チョコバーを食べようと包みを剝こうとした時だった。

誰か我をじっと見つめている。

妙に強い視線を感じた。右斜め五十度、我よりも小柄な少女。同じような制服を着ているので、同じ年頃なのだろう。
しまった、先ほどの行いを確認されたか。我は一瞬そう思ったが、記憶では電車に乗った時から少女はあの席にいた。その位置からは他の乗客などで、腕を切断した現場は見られていないはずである。それになんだか視線が我を見ていない気がする。

我はそう思い、何気に右手に持ったチョコバーを動かしてみる。すると一瞬、ピクッと驚いて我の顔を確認しつつも、視線をチョコバーにまた戻した。うーん、どうやら見ているのは、このチョコバーのようだ。

我は少しチョコバーに視線を落とす。これは貴重なカロリー源だ。しかもホトミはこれ以上の予備食料は持参していない。こういう時は、どうするのが最適なのか……一さらなる不測事態の発生である。

そのため、ホトミとして考えたからだろう。なぜか我の自然に女のほうへと、体が向かって行った。
ホトミよりも短い髪で大きくつぶらな目をした彼女は、我が近づいていくと驚いた顔をする。そしてチョコバーへともう一度視線を移すと、恥ずかしそうに顔を伏せた。どうやら、自分のほうにやってくるとは思っていなかったらしい。我も自分で驚いているくらいだが。

しかし、ここまで来て何もしないのも可笑しいだろう。変に目立ちたくないのもある。我は彼女にこれを食したのか確認した。でも彼女は首を横に振って答える。ホトミの思考からするに、彼女は明らかにこれを食したい行動をとっているらしいのが違うのだろうか。

これは彼女にしかわからない。しかし、欲しくもない食料をじっと見つめるのは通常考えられないだろう。我はどうしようかチョコバーを見て悩んだ。

もしかして、剝いて渡すものなのでは?

我が間違っていた可能性はなくはない。ここで彼女にチョコバーを差し出して、剝いて渡したほうがいいのかを聞いてみた。すると彼女は大きな声で笑いだす。そして周囲に見られているのが分かったのか、一瞬黙ると小さな声で我に礼を言いつつチョコバーを受け取った。やはりこれが欲しかったらしい。ホトミの思考は正解を選んでいた。

しかし問題がある。カロリーの追加摂取の方法だ。能力を制限すれば学校で、ホトミの母が作ってくれたお弁当を食すまではもつであろう。しかし、不測の事態があるやもしれん。学校とやらに行けば……何か解決方法があるのだろうか。
我は美味しそうにチョコバーを食べる彼女を見下ろしながら考えるのだった。

我は学校というところを甘く見ていた。なんだ、あの前に座るミライという女は……休憩時間中、ずっと話をしているではないか。我はなんとか合間に返事をするので、精一杯であったぞ。本当によく喋るやつだ。

だが、そのおかげで学校関係者の顔と名前はだいたい一致する。どうもホトミと一番仲が良かったのはミライで間違いなさそうだ。我よりも背の高い女で170cmは超えているだろう。

ミライはバスケットボール部のエースらしい。普段は部活で忙しく、二人で遊べていないみたいだ。一緒に遊びに行きたいねと、今日だけで十回も我に言うではないか。部活に入ったのは自分の意思でだろうに、よく分からないやつである。

だが、昼食後にまだお腹が空いている旨をミライに話したら、ダイエット中じゃないのと言いながら我にチョコバーを3本も渡してくれたりもした。うるさいが、なんだかんだいいやつだな。

今朝食べたのとは少し違う味であろう、青い包みのチョコバー。それを見ながら、学校での出来事を思い出していた。同時に少し味の違うことに、ワクワクもしている。
もしかして、この青いやつがホトミの好きなやつだったのかもしれない。
そんなことを考えながら、駅に向かって歩いていた。

駅の手前、右に少し入ったところで、信号の先に大きな公園があった。これを食するのに都合のよさそうな場所である。ベンチが二つ、入口から入ってすぐのところに並んでいた。
我はそこに座るとリュックを下ろし、青い包みのチョコバーを剝きだしにする。

家まで我慢できなかった。いや、カロリーが足りない。これは必要なエネルギー補給なのだ。

そんな言い訳を頭の中で繰り返し唱えながら、目の前のチョコバーの匂いが鼻についてくるのを感じる。電車の中で食べた赤いやつとは、見た目も違うのだ。これは我も知っている、ウェハースというやつである。もちろんながら、食すのは初めてだ。

そう思った瞬間には、それをもう口に含んでた。我ではない、ホトミのやつが我慢できなかったのだ。さらなる言い訳を、頭の中で言ってのけながら、口の中でウェハースとチョコが交じり合う。

美味い、美味いではないか! 思わず声に出そうになるも、そこ口一杯に含んだチョコが遮った。

もともとホトミの体ということもあるのだろうか。彼女の好物は、我の好物でもあるのだ。そして、残った二つのチョコバーを見て、少し残念に思う。
赤と黄色の包みのチョコバーである。
ミライにどれがいいか聞かれたときに、なんとなく赤黄青で一本ずつ選んでしまったのだ。

しかし、あやつは部活で腹が空くとはいえ、六本も常時持ち歩いているのか。

そんなことを考えながらも、もう一方で青を選んでおけばとしきりに後悔した。しかし値段もそれなりにしそうである。後で買って返すが、礼儀であろう。
そう思い、可愛らしい明るい青い色をした財布をとりだすと、ジーとチャックを開けた。

……五十円玉が一枚だけ入っていた。

なんだこれは? 我でもさすがにこれでは、チョコバーが変えないことはわかった。他に無いのか、するとホトミの情報からスマホに電子マネーがあることが分かる。

さすがに全財産五十円だけは、無いと思ったわ。

そう言いたげな感じで、我は勝ち誇った顔をした。そして電子マネーの残高を見て、口をあんぐりと開ける。

……二十二円。

えっ……思わず目をこすり、二度見をする我。しかし、その数字は見事に二が二つ並んでいた。どうするのだ! あと10日くらいあるのに、これではチョコバーが買えないではないか。

ホトミのやつ……いや、今は我だから、我のやつ!

なんか自分で自分に怒りが沸く、我。なんだか訳が分からなくなりそうだが、お金がないのは事実である。いや、それよりチョコバーが食べられないのが大問題だ。
青の味を知る前ならいい。青の味を知ってしまったのだ。
青、青が欲しい。

さっき剝いたばかりの青い包み紙、右手でくしゃくしゃにしたそれを目の前に広げた。どうしてもっと味わって食べなかったのだ。
そんなことを思いながら、包み紙を前に涙を流している女子高生が、公園のベンチに座っていた。我は他人から見れば、かなり怪しいやつであろう。

我は我に返ると、涙を拭って前を見る。まだチョコバーは、二本あるのだ。これを大事に消費カロリー控えめの生活を送るしかない。
そう右手に二本のチョコバーを握りしめて、真面目な顔で我は心に誓った。

あ、あれは……。

そんなおり、ふと公園の向こう側にあるビルの手前に、今朝方、電車の中でチョコバーを渡した少女を見つけた。服は着替えたのか、長袖の黒いシャツ、ジーンズのようである。制服ではないので一瞬わからなかった。だが間違いなく、あの少女だ。

彼女は何やら男性二人と話をしているようだ。一人は長身の細身の男、もう一人は大柄の力がありそうな男である。彼らは二人ともTシャツを着ていた。そして彼らから大きな鞄を少女が渡されると、何やら大きな声で揉め出した。

話が違いますとか……今にも少女が泣きそうな声で、細身の男に向かって怒鳴った瞬間である。バシッと大きな音が鳴ったかと思うと、少女がはじけ飛んだ。
そして大柄な男が少女を受け止めると、そのまま口を塞ぐと抱え込む。二人は周囲を見渡すと、そのまま白いワンボックスに少女を連れ込んだ。

向こうからは我は見えてなかったのか、遠くて何をしているか分からないと思ったのか。二人の男は逃げるように、車に乗り込むと急いで走らせる。
あっ、あれは……えっ、誘拐なのか!?

目の前で起きた始めて見る誘拐に、あろう事か我は思考が追いついていなかった。
我は身体能力を一気に向上させると、ベンチの上のリュックを手に持ち車を追いかける。夢中で遊んでいた子供たちは、急に走り出した我を見て呆然としていた。

見失わないようにしなければ……我は出来る限りの速さで車を追いかける。人を避けながら走るので、思ったよりもなかなか追いつけなった。
右、左、自転車の上をジャーンプ。急に出てきた自転車を大きく飛び越えた、その時だった。その先の脇道から突如、トラックが飛び出してきた。

ドン!

大きな音とともに、我はその鉄の塊と衝突した。い、痛いではないか……我はすぐ起き上がると。再び前に向かって走り出す。このぐらいなら、自然治癒力を最大まで向上させれば三十分もあれば完全に回復できる。我は兎に角、少女を救うべくまっすぐ走った。
後ろで何か叫んでいる様だが、我はそれどころではない。勘弁して欲しいのだ。

あれから真っすぐに走って来たのだが……全然、車が見当たらない。どうやら、見失ってしまったらしい。どうする……ホトミとして考えても答えは出なかった。
トラックにぶつかった時に破れたのであろう、制服の右肩部分が少し破れている。これは帰ったら、ホトミの母に怒られるだろう。

マンションに戻ると、ホトミの母に服が破れた旨を報告する。怒られるかと思ったが、体の方を心配された。幸い、自然治癒力を最大まで向上させていたせいで、内臓の出血と何本かヒビが入っていたのも完治している。そのことを報告すると、そんなので歩けて帰れる訳ないでしょ、と結局怒られた。

さて、夕食と風呂を済ませ、今はベッドの上で天井を見上げている。今日の疲れもあって、ぐっすりと眠れそうだが…………寝てはいられないのだ。あの少女の行方が心配である。
警察に連絡をする手もあった。だが、ホトミの情報によるとあの状況では、少女も何かの罪に問われる可能性があるらしい。我一人で彼女を助けたほうが、少女が困ることがないものと判断した。

夕食時にご飯のお代わりをしにいこうとすると、ホトミの母にダイエット中ではないのかと咎められた。ミライが教師にしていたように、少し笑って誤魔化してみる。もうあんたは……と小言を少し言われたが、カロリーの追加摂取に成功する。
この方法は使えるらしい、あのお喋り女の真似もしてみるものである。今後も活用しようと思った。

なぜカロリーの話をしたか……実は我にはエルフによって、自分の分身たちによる遺伝子ネットワークで他の個体と連絡ととる機能が備えられている。一つの個体が得た情報が間違えていた場合に、他の個体の情報とすり合わせて補完できるようにするためだ。

この通信機能は一度に多大なカロリーを消費する。よって必要な情報があっても、簡単に使用することはできないのだ。
しかし、あの少女の行方を捜すため、我はその機能を使用することにした。何、冷蔵庫なるものから、すぐに食べられそうな食料を出来る限り調達しておく。これでカロリーの心配はないのだ。

追いかけていた際に、覚えている車の特徴とナンバーを遺伝子ネットワークで各個体に情報提供を投げかける。中には我に反発する攻撃的なやつなどもおったが、概ね好意的に情報を提供してくれた。目撃情報によると、その車はここから120km程度の東にある山林の中へと入って行ったらしい。入り口にある旅館の従業員が、我の個体の一部であった。

我は通信を切ってベッドから起き上がる。そして、小豆色したジャージというものを取り出した。母が買ってきたものらしいが、色が可愛くないのでホトミはあまり着ていないらしい。
しかし、風呂上がりに着用した、寝間着よりかは運動に適しているのだ。素材的にも戦闘時に汚れても問題はないと思われる。

我はジャージへと着替えると、部屋の窓から抜け出した。ホトミはマンションの6階に住んでいるが問題ない。我は窓を閉めて一階へと飛び降ると、母の所有する自転車にまたがる。そして、少女がいると思われる山林に向けて、全力でこぎ出した。

この自転車というものは便利である。少ない労力で走ることができるだ。山林へと到着すると、ここからは舗装されていない道となる。足のほうが速いと判断した我は、近くの藪の中へと自転車を隠すと走り出した。聴力を最大まで向上させた結果、複数の人間の声が聞こえたからだ。
ここからだと獣の鳴き声の方が邪魔をして、あの男か判断できない。

山の中腹にある比較的大きな木造の建物、そこの前にあの車は止まっていた。どうやら、ここで間違いないようである。外には見張りはいないらしい。でも家の中からは、あの二人の男以外の声も複数聞こえた。

ここにくる途中から恐怖の感情が、我に強く流れ込んでいる。どうやら、暗い山道を一人で行くのが、ホトミは怖いらしいのだ。心臓がドキドキしてしかたない。我は唾をごくりと飲み込むと、さらに闇となる建物の裏へと静かに向かっていった。

ベランダの下へと入り込むと、中の会話が筒抜けだった。どうやらここには五人の男がいるらしく、あの細身の男がリーダーのようである。会話から違法薬物を売買しており、主に商売相手は学生のようである。

あの少女はその売買の手助けをされられそうになったらしい。どうしてそんな連中と……いや、考えても仕方がないのだ。人にはそれぞれ事情があるのだろう。
そんなことを考えていると、一台の車が山道をくる音が聞こえる。すると男たちが動き出した。

少女の見張りに一人が残り、残りは到着した車の人物に用があるらしく部屋を出ていく。ここがチャンスだ、そう思って我はベランダの下から顔を出して覗き込んだ。
見張りの男は、こちらに背を向けて少女を見張っている。武器は所持していないようだ。

我はベランダに静かにあがると、窓を少しずつ開けていく。少女は目と口を塞がれ、手足を縛られていた。半分ほど空けると風で気がついたのか、男がこちらへと振り向いた。それと同時に、我が男の頭を捻りあげる。男が動かなくなったのを見ると、我は少女のもとへと近づいた。

何が起きたのか……戸惑っているようすの少女は、人の気配に脅えている。そこで我は耳元で助けにきた旨を伝えてやる。我の声に驚いて、何か言おうとしていたが静かにするように促した。そして手足の拘束を解くと、我の背中へと彼女を背負うこととする。

そのままベランダから降りると、建物の裏へと走って行った。山道は人がたくさんいるはずである。彼女を守りながらの、複数との戦闘は難しいといえた。
彼女を背負ったまま、山の中を歩いて行く。さすがに道ではないところを、人を背負ったまま走るのは我でも危険であろう。
……そして何分経っただろうか、しばらく歩くとさっき昇ってきた山道へと合流した。ここからは入っていける。そう思った時だった。少女がいなくなったことが思ったより早く分かったらしい。車のヘッドライトが、我たちを照らした。

一人、二人……計三人の男が降りてくる。一人が棒のようなものを持っているが、他の二人は何も手にしていないようだ。三人の中に公園で見かけた細身の男と大柄の男がいる。我は彼女を近くに下ろすと、男たちから守るべく身構えた。

彼らは我を少女だと思って甘く見たのだろう。細身の男の指示で、棒を持った男が一人で我に攻撃を仕掛けた。
直線的で何の工夫もない攻撃である。
普段の十倍まで向上させた、我の身体能力の前では無力だった。我に簡単にそれを掴まれ、力を入れても微動だにしない棒に男は戸惑っている。その隙に腹に三発ほど右拳を入れると、男はそのまま倒れ込んだ。

後ろで見ていた細身の男は、それを見ると大男に行くように指示を出す。我はその隙に細身の男へ向かって走ると、飛び蹴りをくらわした。大男と戦っている間に、こいつに少女を連れていかれると困るからだ。
我は蹴ったままの勢いで右足を地面につけると、今度は大男に向かって飛ぶ。そしてそのまま体を捻り右足で、あびせ蹴りを入れようとした時だった。体の捻りが足りなかったのか、体に似合わぬ俊敏な動きで、男は我の右足を力強く握る。
そして、そのまま地面へと、我の身体を叩きつけた。

ふぅ……我は両手を地面につけると、そのまま後ろへと宙返りをして立ちあがった。ここはどうするべきか……そう考えている隙に、大男は右拳を我へと振り下ろす。
我はまだ考えてるのだ、その怒りの感情をぶつけるように、右拳を軽くかわすと右足で大男の脇腹を蹴り上げた。
すると当たり所が悪かったのか、男があっけなく倒れ込む。

あっけないのお……そう思い、少女を逃がすべく足を踏み出した時だった。カチャリと金属音が、細身の男が倒れたはずの方角から聞こえた。
振り返るとふらふらながらも立ち上がり、銃を構えている細身の男。男は我をじっと見つめると、「この化物め」と叫びながら銃の引き金を引いた。
我はその所作から何か飛び道具がくると察し、受け止めるべく男の視線の先へと右手を差し出した。

い、痛いでは無いか! その拳銃から飛び出したものを、手のひらで受け取ると激痛がはしる。なんだこれは……それと同時に怒りの感情が心を支配した。そのまま痛む右拳で、男を殴りつけると止まっている車の上を越える。そして、道の反対側にある樹木へとぶつかり、大きな衝撃音とともに地面へとボロ雑巾のように落ちていった。

これは骨が折れてるではないか……我は怒りのままにその折れた拳で男を殴ってしまったことを後悔する。そして少女のもとへと歩いて行った。

我が山道を駆け下りるのが速かったのか、それとも奴らが追うのを諦めたのか。自転車を隠したところへと無事到着すると、少女の目と口を塞いでいたガムテープを剥がしてやる。

少女は我の顔を見ると、安堵したからか泣き出した。だが、我は追手がくる可能性があることから、かぶってきたヘルメットを少女の頭にのせると、後ろに乗るように促す。
彼女は黙って自転車に乗ると、我はマンションへと走り出した。

事の次第は以下のようであった。
少女の名前はシグレといい、クラスメイトから紹介されたバイトで男たちとあっていたようだ。だが、話の内容から怪しいと思った彼女は、それを断ると男たちは自分たちのことがばれないよう、彼女を拉致したらしい。
少女が聞いた話では、男たちと関係がある組織へ売られるところだったようだ。人身売買……そんな言葉が我の頭の中にうかぶ。

少女の家は兄弟が多く、本来は高校に行けない家庭のようである。だが、中学校の担当が両親を説得してくれ、補助金で高校に行けるようなった。しかし家計が苦しいので、放課後はアルバイトをして家にお金を入れることが条件だったらしい。
それで割のいいバイトを探していたら、クラスメイトからこのバイトを紹介されて事件に巻き込まれたという訳であった。

帰る途中によったコンビニの前で、我は彼女。我がバイト代と言って渡した一万円札五枚に恐縮する彼女。だが、倒した男から抜き取ったお金であることと、ついでに自分も同額をもらった旨を言った。
そして、割のいい商売をしていた癖に、財布の中身は少なかったと話すと、彼女は笑ってくれる。

コンビニにあったチョコバーを買い占めた我をみて、怪訝な顔をする彼女と店員。カロリーが足りないのだ。そう思いながら、それらをジャージのポケットいっぱいに詰める。そして、自転車にまたがると彼女を乗せて走り出した。

シグレを家まで送り、疲れ切った我はそのままベッドで寝てしまう。彼女が右拳に巻いてくれた包帯、その痛みも寝ている間にだいぶ引いたようであった。

そして、前日に冷蔵庫のものをあらかた食べてしまった我のお弁当には、白いご飯だけが詰まっていたのだった。

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