蓑虫山人は、明治期のアドレスホッパーであり、フーテンの寅次郎である
簡単にプロフィール。蓑虫山人、本名は土岐源吾。虫の蓑虫が家を背負うように折りたたみ式の幌(テントのようなもの)を背負い、幕末から明治期にかけて全国を放浪した絵師。筆者と写真家の田附勝はこの男を追いかけ、取材を続け、現在、雑誌、『ディスカバー・ジャパン』で「蓑虫山人のオン・ザ・ロード」を隔月連載中だ。
なぜこんな偉人でもない、立派でもない、有名人でもない。何も成し遂げずに死んでしまった。放浪の絵師を追いかけているかということは以前のnoteに書いた。そちらも読んで欲しい。簡単にいえばどうしようもない人だなと思いつつ、僕らは蓑虫の生き方に憧れているのだ。
全7回の予定で書き進めている連載は現在発売中の2020年1月号に第5回目が載っている。蓑虫は東北の地で円熟期に差し掛かっている。旅のスタイル、絵のスタイル、そして変な話。
第4回では蓑虫山人と縄文とのつながりを書いた。日本で一番有名な遺跡を中央に報告し、日本で一番有名な土偶は蓑虫山人が掘った可能性も小さくない。もちろんそれだけではない。各地で発掘を手がけ、また考古に関心があり土器や土偶を持っている庶民の間を渡り歩き、弁を振るい、いつかの協力を仰いだ。
(写真:田附勝)
実は蓑虫の夢は自身の博物館の建設だった。14歳から家出をし、日本中を放浪し、どんな時でも観光を欠かさず、面白い出来事があれば信じられないフットワークでそこに出向き、珍しいものがあれば必ず拝見を願い、それを絵に描いた。日本中で見た面白いものを集めた博物館を作れるのは、日本中の面白いものを知っているオレだけだ、の気概がそこにあったのだと思う。
面白いものを見て回った蓑虫だけど、実は蓑虫自身もすこぶる面白い話を残している。まず、家を背負って旅するスタイルそれ自体が面白いのだけど、そんな状態でも茶の湯は欠かさず、気に入った場所があればちょっと一服とばかりに背負った笈を開き、庵にし、茶を点て、タバコをふかし、絵を描いた。
(写真:田附勝)
連載の第5回ではいくつかの面白い話を載せた。そのいくつかを箇条書きで紹介したい。
・生涯家庭を持たなかった蓑虫の45日間の家庭体験
・後に世界を揺るがす事態を引き起こす暗殺者と楽しく書を書き遊ぶ
・酒に酔ってションベンを撒き散らす斎藤清七の股間を1メートルを超える長さのキセルで打ち付けて警察に捕まる
・岩手の猊鼻渓という名勝を世間に売り出すことに一役買う
・サンドイッチマン伊達みきおの先祖と潮吹き岩を遊覧する
蓑虫の残した話は大体がどうしようもない顛末と裏表でセットになっている。歴史に残るような偉人ではないけれど、100年前のこういった話が、かすかではあってもいまだに残されているのは、庶民の記憶の中に蓑虫が生きていた証拠なんだと思う。
蓑虫はいわば明治期のフーテンの寅次郎だ。どうしようもない人で、迷惑もかけるけど、いないとなんだか寂しくて、旅をし、誰かの心に残り、人が好きで、いく先々で楽しい話をして。時に大それたことをして、そして去っていく。
蓑虫山人のような生き方はできない。だからこそ憧れるんだ。
(写真:田附勝)