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自分の就職活動について⑦

☆ ☆ ☆

年が明け、1月になった。

自分の就活に対する行動・思考は、この期間に一旦 ストップしてしまった。

理由は幾つかある。
まずは、期末レポートである。大学生は、7月と1月に学期末を迎える。そこまで授業をたくさん受けていなかったとは言え、1~2週間 就活のことを考えない期間が出来てしまった。レポートを提出し終えて2月に入った時、「就活のことを考えたくない」という状態が出来上がってしまった。

そして、冬インターンの落選も大きい。2~3社出した所から全て落選の通知を受けた。これは、秋インターンまでのように、「色々な業界を見る」というモチベーションで選考を受けてしまったからに他ならない。冬のインターンは、既に本選考の前段階と捉えてよい。つまり、志望業界・志望企業を広げるのではなく、「志望度を見極める」というモチベーションを持って参加するべきなのだ。
選考に落ちたことで更にやる気が無くなり、また2月の予定も埋まらなくなってしまった。


前後して、「就活サポート団体E」からメンターの誘いを受ける。メンターとは、主に就活が終了した後に、一つ下の年次のサポートをする立場だ。自分は20卒だったので、21卒の面倒を見ることになる(予定だった)。
運営側への誘いを初めて受けたのは11月~12月だったと記憶している。その頃は就活が「上手くいっている」と錯覚していたため、ふたつ返事で了承してしまった。そういった「メンター的な役割」が好きだったこともある。

しかし、2つの誤算があった。一つは、自分の就活が予想以上に迷子になってしまったこと。そしてもう一つは、2月頃から自分が運営側として参加しなければならなかったことである。両者が組み合わさることで、自分は「就活の方向性に悩みだしているのにも関わらず、次年度の就活のサポートをしている人」となってしまった。キックオフミーティングから数回参加したが、常に「自分は何をしているのか?」という考えが頭をよぎり、議論に集中できない。


この辺りから、モチベーションは更に落ち込み、喫茶店でスマホを弄っているだけの日が多くなった。考えを纏めようとするが、ただ時間だけを浪費していく。
そして「就活留年」という言葉が、まだ現実的な手段に据えている訳ではないにせよ、ぼんやりと頭の中に浮かび始めた。こういったことを考え始めると、どんどん悪い方向に思考が進んでいってしまうのが常である。この一年で就活を終わらせられるかについて、不安を覚え始めた。


そうして様々な感情を抱えたまま、3月の就活情報解禁を目前にする。
相変わらず、自分の軸は絞り込めていないままである。そこで、思い切って第一志望業界を「キャラクタービジネス」に絞ることにした。理由は様々あるが、結局は「バラエティ制作」の次に興味があることだったことが大きい。「どうせ就活をやり切るなら、自分の好きなものを取り扱う業界に行こう」という短絡的な思考と言えばそうである。

20卒は、3月に本選考の説明会が解禁された。従って2月と異なり、3月は予定を埋めることに苦労しなかった。むしろ一日に何件も説明会をハシゴし、時間が足りないと感じることが多々あった。この状態は、自分にとって良く働いた面と悪く働いた面があったと今では分かる。
前者は、「就活留年」という考えが消えたこと。行動が増えたおかげで、思考の悪い循環が止まった。逆に後者は、とりあえず行動しているだけになってしまうこと。「3月になったから動いた」というのは、自分からは何も思考・行動していないのだ。私はまた、就活をやっている気になってしまったとも言える。

加えて、3月には様々なことが重なった。
まずは、自分の所属している団体の演劇の公演。当初は演者をやるつもりは無かったのだが、何故かやることになってしまったことがここで輪をかけて響いた。
加えて、友人から紹介された女性の存在。普段ならば時間を他人に割けるのであるが、この頃の私は毎日の連絡が負担になるほど精神的に余裕が無かった。
これらに前述した就活サポート団体の活動、3月の説明会解禁が重なり、この時期 私はパンクしそうになってしまった。「首が回らない」とは正にこのことであった。


だから私は、一つずつ取捨選択をすることにした。
就活サポート団体の活動は、自分の就活が終わるまで止めてもらう約束をした。
紹介された女性とは、就活を理由に、連絡を一旦止めることにした。
演劇は辞めることは出来なかったが、練習量を減らしてもらった。
全て、就活に集中するためである。


この時期、私は様々な人を失望させた。悲しませた。裏切った。
でも、だからこそ自分の心をギリギリの状態で保てた。判断は間違っていなかったと思っている。



⑧に続く


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