私前まで、先の先の先まで考えて行動するタイプだったのね。 でも最近は、少しずつ緩んできて、先の事は先の自分に任せようってなってたの。 先の事ってどうなるか分かんないからさ。 先日、うちの父親が入院する事になって、色々バタバタやってた時、先の事をすごく考えてた。「あぁなったらどうしよう。」 「こうなったらどうしよう。」 1回不安の方に梶が切れると、ずっと不安まっしぐらなのよね。 でも色んな人に話を聞いたり、聞いてもらったりしている内に、その不安が落ち着いてきたのよね。
この世界は自分の中の足りない何かを刺激してくるものが多いけど、本当はどちらでもいいことばかりなんだよなぁ。
人生はアドリブ合戦だ!
SNOWというアプリで遊んでみた(・∀・) 人生重々しくなりそうな時はさ、とりあえず自分を笑わかせられたらいいなって思うんだよね。
行きのバス。 帰りのバス。 停留所でずっと待っている。 本を読みながら、バスの来る時刻を待っている。 バスの窓から見えるのは、 木々や歩く人、街並み達。 私をそっと運んでくれる、そんな存在。
人間関係での悲しみや怒りって、相手に対してというより、自分の中の信念に反する事をされて反応しちゃうだけだから、相手が悪い訳でも、自分が心の狭い人間って訳でもないんだよね。 過去の私は、自分の心が狭いからだと思ってたんだよね。
小学生の時、すごくお世話になった先生がいたんだ。 卒業式の時には、お赤飯作って持ってきてくれた先生。 その先生と毛糸で作る機織りをした事があって、毛糸がごちゃごちゃに絡まっちゃって、上手く解けなかった事があったのよね。 でもその先生は少しずつ解いていって、ちゃんと真っ直ぐな糸に戻したの。 それから私はどんなにぐちゃぐちゃに絡まったり、拗れたことがあっても少しずつ解いていけば、ちゃんと解けるんだって知ったんだ。 諦めが肝心という言葉もあれば、 諦めなければ、夢は叶うって言
世の中には、色んな研究結果があるけど、それを基準にして生きるのは何か危険な気がする。 そんなの全部嘘だよって言われたら、身動き取れなくなっちゃうじゃん?
優れた人とは何だろう? 人が勝手につけたラベルに惑わされてしまう時があるね。 本当は一息、一息しているだけで、みんな優れた物を持っていると私は感じる。 綺麗事?戯言? ほんとにそうかな。
朝が始まると一番最初に始まる音色は何だろう? 私は鳥の声を最初に思い浮かべる。 色んな鳥たちのさえずりが聞こえる静かな朝。 耳はちゃんと捉えているのに、それを文字化・言語化したくても、耳でとらえた感じとは変わってしまう。 ぴよぴよ、ホーホケキョ、カァカァ…これらの鳴き声は、耳で捉えた音に近い言葉をくっつけただけ。 生の鳥の鳴き声を、存分に感じていこうとそう思った。
雨がポツポツ降っている。 雨がしとしと降っている。 雨がザーザー降っている。 雨がボツンボツン降っている。 聞こえてくる音は舞瞬、舞瞬変わって、 様々な音色を響かせている。 この音は人間には出せないのだ。
前に父と話してた時、なんでそんな話になったのか忘れてしまったのだけど、父が「自分が人に背を向けたら、世界一周分もあるんだよ。それって悲しくない?」って言われた事があって、未だにその言葉が私の心にあるんだよね。 私、またみんなと向き合いたいな。って思わせてくれるんだよね。
突然だけど、洗脳って脳を洗うって書くよね。 洗脳って言葉を調べると、従来の思想・信念などを洗い流し、新しいそれを植えつけること。 私は洗脳って言うより、植脳って言葉が合ってるんじゃないかと思う。 思想を植え付けて、本人の行動をコントロールするようなイメージ。 でも生まれながらに人って何かしら洗脳されているよなぁって思うんだよね。 親や兄弟、おじいちゃんおばあちゃんからの教育だったり、学校の先生からの教育だったり、近所の人だったり。 こういうのは正しくて、こういのは間違っ
人一人生きていくには、膨大な数の人が関わっている。 人一人生きていくには、時に支援が必要な時もある。 人一人生きていくには、色々な考えに触れて答えを出す事がある。 人一人生きていくには、心臓を何億と打ちながら生活する。 人一人の命を育むには何万、何億の人が関わらないと育つのは難しい。
綺麗事に聞こえるかもしれないけど、私が楽しい気持ちで笑って、みんなも楽しい気持ちで笑ってくれれば、それが一番最高だし、幸せなんだよね。
お金稼ぎたいって欲がある人より、お金降ってこいって欲がある人の方が多いんちゃう?正直。って思うんだよね〜