イタリアから帰れなくてアラブに行った話(アラブ編②)
「これだけあればモスクまで行ってくれるだろ…?」な金額のアラブ通貨ディルハムを握りしめて私たちはタクシー乗り場に向かった。
外に出た瞬間、何人かの運転手がウチのに乗ってけよと寄ってきた。(海外あるある)
1人の運転手に「これしか持ってないんだけどモスクまで行ける?」とお金を見せると、あっさり「OK」とタクシーに乗せてくれた。
窓から外の景色を見ているのはとても不思議な気分だった。初めての海外旅行で中東に寄り道することになっただけでも不思議なのに、周りの建物は高過ぎて細過ぎるビル、もしくは建設中の何かばかりで、なんとなく近未来感がある。暑い国でよく見かける植物と溢れ出る埋め立て地感。そして見えてきたモスク。
矛盾してる気がするけど、舞浜?浦安?千葉なの?みたいな景色から突然モスクが現れる、という感じだ。
ここで運転手がとても優しかったことと、タクシーに乗れた安心感で調子に乗った私たちは「この近くに他にも観光地ある?」と聞いてしまうという凡ミスを犯した。
「でもお金ないんでしょ?(笑)」と運転手に言われ、「危な…そういう設定だったわ…」と日本語でボヤく始末。昨日飛行機を逃した反省が全く見えてこない。
運賃メーターは結局駐車場に着く前に私たちが提示した金額を超えてしまい、結果的に少し得をした。ラッキー。
正直訪れることを考えたこともなかったアラブ。イスラム国の象徴とも言えるモスクを生で見るなんて、私の人生の予定には全くなかった。
しかもずっと行きたかったヨーロッパ、イタリアの美しい景色や建物、教会を浴びるほど見た後だ。どんな感じなんだろうか。
いや綺麗過ぎない????
しかもこの日は天気も良かった。白と金のモスクは、太陽の光に照らされて余計に美しかった。
早速中に入ろうと入り口に行くと、X線検査と荷物チェックを通過する必要があった。ほぼ空港である。
ここに来て、Nのお土産のベネチアングラスが突然危機に晒される。
Nはイタリアで買ったベネチアングラスが飛行機で割れることをとても心配していた為、肌身離さず手持ちでここまで持ってきていた。
それなのに、保安官のおばさんがベネチアングラスを危険物だと言い出したのだ。
(以下、🧕🏽保安官おばさん、👳🏻♂️保安官おじさん、👩🏻N)
🧕🏽「なにこれ?」
👩🏻「ベネチアングラスです」
🧕🏽「(グラスを取り上げる)危なくない?!危険物じゃない?!」
👩🏻「………💢」
👳🏻♂️「……グラス?」
🧕🏽「グラス!!!!!」
👳🏻♂️「グラスでしょ…?」
🧕🏽「グラスよ?!」
👳🏻♂️「…別にいいんじゃない…?」
🧕🏽「…………」
👩🏻「(グラスを奪い返す)」→入場
保安官2人の意識の違いによりギリギリセーフとなった。(保安官、危険物の境界線は共有しておくべき)
疲労もあいまってキレかけたNだが、ベネチアングラスが奪われなくて世界の平和が保たれた。
ついにモスクの中に入った。
モスクの中ではアバヤを着なければいけないとのことだったので借りた。
(世界一の大きさのペルシャ絨毯↑)
とにかく全てが美しすぎる。
そして暑過ぎる。
私たちは暖かくて15度くらいのイタリアにふさわしい服装でいるのだ。それに+アバヤ。
アブダビは32度くらい。真昼には35度くらいまで上がる。暑過ぎる。眩しくて目が開けられない。
あまりにも暑くてこっそりアバヤを少し持ち上げて足首を出したら見張りのスタッフに怒られた。ごめんなさい。
そんなこんなで空港に戻り、マックを食べてゆっくり過ごした。飲み物がデカくてびっくりした。
マックを食べ終えたあとは空港のベンチで帰国日の次の日に控えたNの就活の面接の練習をした。
昨日までアラブにいましたって面接で言うわ、と言っていた。
そしてこの後私たちはようやく順調に日本に帰ることができた。記事に書いてもわかるように、本当に濃い旅だった。
イタリアでも面白いことがたくさんあったのに、帰れなくなったことによってアラブにかき消されそうになった。アラブはすごい。
この経験は4年たった今でも語り継がれるNと私の永遠の伝説だし、この経験のおかげで私たちは旅行の楽しさはもちろん、モスクの素晴らしさを知ることができたのでひとつも悔いがない。
ただ、飛行機には二度と乗り遅れないようにしたい。
イタリアから帰れなくてアラブに行った話
〜完〜
追記:
この3年後に私たちは再びアラブに訪れようと計画をたて、今度はドバイへ旅立った。
しかしなんとその時は飛行機の方から大幅遅延してきた。許せない。
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