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ユダヤ人の悲運はイスラエルの横暴の免罪符にはならない。が・・ 

アメリカを筆頭にする欧米列強がイスラエル支持で一つにまとまる中、各国民の中にはイスラエルへの反発心も確実に高まっているように見えます。

筆者もハマスの蛮行に怒りを覚えつつ、イスラエルの横暴に違和感を持ち、そう発言し続けています。

何かが劇的に展開しない限りおそらくそのスタンスは変わりません。

しかし、イスラエルという国家の暴虐によってあるいは忘れ去られるかもしれないユダヤ人の悲しみについては、必ず胸に刻み続けて行きたいと思います。

欧州では、ローマ帝国がユダヤ人をエルサレムから放逐して以降、彼らへの偏見差別が続きました。差別の最も奥深いものは、ユダヤ人がイエス・キリストを殺した、という思い込みです。

固陋で未開な僻見が欧州人の目を曇らせ続けました。ユダヤ人の2000年の苦悩の本質は、そこから発生した差別にほかなりません。

差別ゆえに彼らは当時軽蔑されていた金融業に就くことを余儀なくされました。幸運にもそれは彼らに莫大な富ももたらしました。

金持ちで知的能力が高く、且つキリスト教とは相容れない異質の宗教とそれに付随する生活習慣に固執するユダヤ人は、欧州人による執拗な偏見差別の対象になりました。

パレスチナから追放されて以後、辛酸を舐め続けたユダヤ人の不幸は、20世紀になってヒトラーが先導したホロコーストによって最高潮に達しました。

イスラエルが自身の存続と防衛に死に物狂いで取り組むのは、その国民であるユダヤ人が欧州で差別され殺戮され排除され続けてきた悲惨な過去があるからです。

彼らは国を持つことによって、無残な過去への回帰を避けようとします。彼らの必死の思いはイスラエルに匹敵する数のアメリカのユダヤ人とその他の世界中のユダヤ人に熱烈に支持されます。

イスラエル国民の寄る辺なさと恐怖と悲しみは、欧米を始めとする世界各国のユダヤ人の寄る辺なさと恐怖と悲しみとそっくり同じものです。

差別と抑圧に苦しめられたユダヤ人の国のイスラエルが、弱者であるパレスチナの住民を抑圧し殺戮するのは、見るのも耐え難い歴史の皮肉です。

だが今現在のイスラエルを観察する限り、彼らは自己保身に集中するあまり、イスラエル建国までのユダヤ人と同じ境遇にあるパレスナ民衆の苦しみが見えなくなっているようです。

イスラエルが専制君主とも見えるパレスチナVSイスラエルの抗争に於いて、欧州が米国と共に頑強にイスラエル支持に回るのは、2000年に渡ってユダヤ人を抑圧してきた過去への償いの思いがあるからです。

それは欧州の良心の発露です。

大半がキリスト教徒である欧州人は、ユダヤ人を迫害してきたことへの後ろめたさと、同時に反ムスリムの心情からもユダヤ人国家のイスラエルを強く擁護します。

イスラエル建国は、間接的には欧米の力、特にオスマン帝国に続いて当時パレスチナを支配していたイギリスの暴挙によるものです。

イギリスは当時、アラブVSユダヤの争いに音を上げて卑怯にもパレスチナの混乱から身を引きました。その空白を縫ってユダヤ人がイスラエルの建国を宣言した、というのが史実です。

これに対してアラブ連盟5ヶ国は、イスラエル建国宣言と同じ日に同国に宣戦布告。翌15日にはパレスチナに侵攻して第1次中東戦争が始まりました。

イスラエルはその戦いでアラブ連合を撃破。そこからイスラエルによる過酷なパレスチナ支配が始まります。

歴史に連綿と刻まれたユダヤ人の悲運は、決してイスラエルの横暴の免罪符にはなりません。

だが、われわれは同時に、彼らの巨大な悲しみもまた決して忘れてはならないとも思います。 

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