なかそね則
多くの幽霊案また企画倒れに終わったフィクションたち。オーソドックスな文体と尺を目指して形にすることにしました。
C7広島サミットを連日大々的に且つ事細かに伝える日本のメディアの熱狂を面妖な思いで眺めてきました。 ここイタリアもG7メンバー国ですがメディアは至って冷静に伝え、ほとんど盛り上がることはありません。 イタリア初の女性首相の晴れの舞台でもあるというのに少しも騒がず、金持ち国の集会の模様を淡々と報道しました。 それはイタリアメディアのG7へのいつもの対応です。そしてその姿勢は他のG7メンバー国のメディアも同じです。 国際的には影の薄い日本の畢生の大舞台を、日本のメディアが
スイスのルツェルンとロカルノを仕事で巡りました。 ルツェルンは大分前にやはり仕事で訪ねていますが、その時の記憶が自分の中にほとんど残っていないと気づきました。 一方、イタリア語圏にあるロカルノには、これまでにも仕事場のあるミラノから息抜きのためによく通いました。 山国のスイスは言うまでもなく美しい国です。だが、地中海や、強い太陽の光や、ローマ、ベニス、フレンツェ、ナポリ、パレルモなどに代表される歴史都市を懐に抱いているイタリアはそれ以上に美しい、と筆者は感じています。
萌えたつ新芽や花の盛りに始まる季節の移ろいは奇跡である。 のみならず海の雄大と神秘、川の清清しさなど、自然のあらゆる営みが奇跡だ。 それらを“当たり前”と思うか“奇跡”と思うかで、人生は天と地ほども違うものになる。 奇跡は大仰な姿をしているのではない。奇跡はすぐそこにある。ありきたりで事もないと見えるものの多くが奇跡なのだ。 わが家の庭のバラは一年に3回咲くものと、2回だけ花開くつるバラに分けられる。つるバラは古い壁を這って上にのびる。 ことしは1回目のバラの開花が
テレビ中継される英国王戴冠式の模様を少しうんざりしながら最後まで見ました。 うんざりしたのは、儀式の多くが昨年9月に執り行われたエリザベス女王の国葬の二番煎じだったからです。 女王の国葬は見ごたえのある一大ショーでした。 かつての大英帝国の威信と豊穣が顕現されたのでもあるかのような壮大な式典は、エリザベス2世という類まれな名君の足跡を偲ぶにふさわしいと実感できました。 筆者はBBCの生中継をそれなりに感心しつつ最後まで見ました。しかし、荘厳だが虚飾にも満ちた典礼には、
投稿し忘れた少し古い話です。 2022年末、W杯にからめてサッカー記事ばかり書いていました。 少し飽きて、2023年にはもう余程の出来事がない限り2024年の欧州杯までサッカー話は封印、と思いました。 が、しかし、気が変わって、ポルトガルのスーパースター、クリスティアーノ・ロナウドのサウジアラビアへの超札束移籍についてはやっぱり書いておこうと決めました。 ロナウドは年俸2億ユーロ、日本円にして280億円でサウジのアルナスルと契約しました。 は?と聞き返しても金額は変
5月8日を興味津々に待っています。正確には5月8日以降の日本の光景。 5月8日はいうまでもなくコロナが日本でも季節性インフルエンザとみなされる日です。それに伴って人々がついにマスクを手放すかどうか、筆者は深い関心を抱いて眺めています。 マスク着用が個人裁量にゆだねられても、人々はマスクを外しませんでした。ちょうど帰国中だった筆者はそれを自分の目でつぶさに見ました。 異様な光景を見たままにそう形容すると、ほとんど侮辱されたのでもあるかのように反論する人もいました。しかし異
毎年4月25日はイタリアの終戦記念日です。イタリアでは解放記念日と呼ばれます。 イタリアの終戦はムッソリーニのファシズムとナチスドイツからの解放でもありました。だから終戦ではなく「解放」記念日なのです。 日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは大戦中の1943年に仲たがいしました。日独伊3国同盟はその時点で事実上崩壊し、独伊は敵同士になりました。 イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦いましたが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になったの
東京から金沢に行き、日本海沿岸沿いに西に進んで下関から九州を一周する。次に博多から山陽道、京都を経由して東京へという旅を計画しました。 ほぼ全線をJRで巡り、順不同でしたが計画通りに進みました。 東京の前には沖縄にも飛びましたので、四国を除く東京以西のほぼ全土を訪ねたことになります。 筆者は四国、信越、北陸、東北なども過去に仕事で巡っています。従って筆者が知らない日本は今のところ北海道だけになりました。 今回は欧州でよくやるリサーチ旅。換言すれば食べ歩きを兼ねた名所巡
ちょうどマスク着用が国民1人ひとりの自由裁量になった日に筆者は日本に帰りました。 正確にはその前日の3月12日に羽田に着いたのです。予想していたものの着いた瞬間にほぼ誰もがマスク姿であることに少なからず衝撃を受けました。 日本に向かうITAエアーウエイズの飛行機の中でも日本人は全員がマスクをしていました。 片や外国人はほぼ全員がマスクなし。それはイタリアを含む欧州では当たり前の光景です。 入国すると送迎の人々や空港職員にはじまる誰もがむろんマスクで身を固めていました。
「捏造でなければ辞職」と啖呵を切った、高市早苗経済安全保障担当相の驕りは今に始まったことではありませんが、相変わらず見苦しい。 同じ穴のムジナだった安倍元首相に倣ったらしい宣言によって、彼女は思い上がりに思い上がってついに天井にぶつかり墜落す運命を選んだようにも見えます。 ファシスト気質の高市氏は、性根が秘匿ファシストだった彼女のボスの安倍元首相よりもよりファシスト的というのが筆者の見方です。 だがジェンダーギャップの激しい日本で女性政治家が頑張る様子を、筆者は政治的立
いつまでも舞い上がらない朝ドラの「舞いあがれ」は、舞い上がらないままに面白くないこともありませんが、ドラマとしての連続性がないのがもどかしい。 だが主人公・舞の親友の久留美が、なぜか長崎の総合医療病院でフライトナースになるらしい展開は、主人公の舞がいよいよ「舞上がる」ための伏線、と読めないこともありません。 つまり舞は、久留美を追いかけて長崎の島々を結ぶ医療関連の飛行機のパイロットになる、という話の流れではないでしょうか。 あるいは五島などの離島に飛んでいる航空会社の飛
流転変遷は人生の華である。 この世の中で変わらない者は、変わりたくても変われない死者があるばかりだ。 変わるのは生きているからである。 ならば流転変遷は、生きている証、ということである。 死ねば変化は起きないのだ。 流転変遷の極みの加齢も変化である。 そして変化するのはやはり生きているからである。 生きているのなら、生きている証の変化を楽しまなければつまらない。 死ねば変化も楽しみも何もないのだから。 変化を楽しむとは言葉を替えれば、あるがままに、ということ
寂しい出来だったNHK朝ドラ「ちむどんどん」に続く「舞いあがれ」を欠かさず見ています。 ロンドン発の日本語放送が1日に5回も放送します。そのうちの1回を録画予約しておき、クレジットを速回しで飛ばしながら空き時間に目を通します。 存在自体があり得ないデタラメな登場人物・ニーニーが、ドラマをぶち壊しにした前作とは違い、「舞いあがれ」は落ち着いた雰囲気で安心してみていられる作りになっています。 ところが今回作は、ドラマツルギー的には「ちむどんどん」よりもさらに悪い出来になりか
40歳をあらわす不惑という言葉には、周知のように人間の成熟は40歳で完結するという意味合いがあります。 人は若年ゆえに悩み、惑い、経験不足ゆえに未熟な時間を経て40歳で自信に満ちた生活に入る、ということです。 それは人生、つまり寿命が50年程度だった頃の道徳律、と解釈すれば分かりやすい。 つまり人は寿命の10年ほど前に人生の何たるかを理解し、実り豊かに時間を過ごしてやがて死んでいく、ということです。 不惑という概念はおよそ2600年前に孔子が編み出しました。また60歳
岸田首相が自身の秘書官の「同性婚は見るのも嫌だ」と発言した差別問題に関連して、「私自身もニューヨークで少数派(マイノリティー)だった」と公言したことに違和感を覚えました。 どうやら差別問題の本質を理解しないらしい空疎な言葉に対しては、強いバッシングが起きるだろうと思って見ていました。 だが批判らしい言説は何も起こっていないようです。そこで筆者が自分で言っておくことにしました。 まず総理大臣秘書官の愚かな発言は、それに先立って表明された岸田首相の「(同性婚を認めれば)社会
同性婚は「見るのも嫌だ」という荒井勝喜総理大臣秘書官の発言が、世界を震撼させています。 政権中枢にいる人間が、これだけあからさまな差別発言ができる日本は、本当に先進国なのでしょうか? ネトウヨヘイト系差別主義者らが主導するようにさえ見える、度し難い日本の未開性はひたすら悲しい。 赤裸々な差別感情を開示した秘書官は同姓婚が嫌いと言いましたが、それはつまり同性愛また同性愛者を憎むということです。 同性愛者が差別されるのは、さまざまな理由によるように見えますが、実はその根は