なかそね則

TVドキュメンタリー・ディレクター。&(自称)ブロガー。ロンドン、東京、ニューヨーク、…

なかそね則

TVドキュメンタリー・ディレクター。&(自称)ブロガー。ロンドン、東京、ニューヨーク、ミラノの順にドキュメンタリー、報道番組を中心に監督・制作。イタリア在住。方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読にも頭を悩ませている。 慶応義塾大学、ロンドン国際映画学校卒

マガジン

  • 小説

    多くの幽霊案また企画倒れに終わったフィクションたち。オーソドックスな文体と尺を目指して形にすることにしました。

最近の記事

  • 固定された記事

かがやく日々の祭りの果てに

電話は世論調査のインタビューのように突然かかってきた。 「外線からお電話です」 交換手が短く言って回線が切り換った。 「もしもし。こちら連邦政府衛生研究所の疾病専門官(ディジーズ スペシャリスト)ですが、誰にも聴かれない場所で私と話しができますか」 女の声だった。ビジネスの話、とアメリカ人が割り切って電話をかけるときに特有の、事務的な率直さと生真面目さがにじみ出ている。 「連邦政府――衛生研究所?」 「そうです。連邦政府衛生研究所。N・I・O・H」女はまるでそれが身分証明

    • 「情報はタダ 」意識の未開と革新 

      インターネットの爆発的な普及以降、情報を巡る環境はある意味でインターネット以前の有様に戻るという皮肉が起きています。 オンラインで無償の情報がいくらでも入手できる今は、人々は有料の記事や文章には目もくれません。 日本人がソフトウエアの価値を知らなかった頃は、メディア人でさえ情報をタダだと無意識に思い込んでいました。情報で食べているNHKでさえそうでした。 他は推して知るべしです 例えばフリーランスのディレクターである筆者は、自らの意思とコストで情報を集め、勉強し、ロケハ

      • 牙を剥かないトランプさんもやっぱり消えてほしい役者に見える

        先日、イタリア時間の午前3時に始まったトランプvsハリスの討論会を生中継で観ました。 トランプ候補は、相手や司会者の質問をはぐらかしながら自らの岩盤支持者が聴きたいことだけを集中してわめく、という自身が2016年の大統領選挙で発明した手法にこだわっていました。 だが、ハリス候補がそこに小さな風穴を開けて、トランプ候補を討論の本筋に引っ張りこむ場面があった分だけ、討論はハリス候補の勝ち、というふうに筆者の目には映りました。 トランプ候補は司会者が提示するほぼ全てのテーマで

        • 私、演歌の味方で、クラシックの下手の横好き愛好家です

          筆者のSNS記事を読んだ方から「イタリア在なのによく演歌を聴いたり歌ったりしているんですね」という便りが届きました。最近ファドにからめて演歌に言及することが多かったせいです。 「記事にも書いたとおり演歌はそれほど聴きません。ほぼ全てNHKの歌番組で聞き、目にしたシーンです。またイタリアでは歌は唄いません。帰国する際に時たま行き合うカラオケの場で唄うだけです」と筆者は正直に答えました。 すると「それではタリアでお聞きになる音楽は何ですか」と問われました。そこでこれまた正直に

        • 固定された記事

        かがやく日々の祭りの果てに

        マガジン

        • 小説
          6本

        記事

          スパレッティ監督の猛省がイタリアサッカーを救うかも、かい?

          欧州ネーションズリーグで、イタリアは強豪フランスを3-1で下しました。 親善試合ではないガチの勝負での勝利。 しかも試合開始直後の13秒で1失点という大逆風を押し返して、確実に得点を重ねました。 対仏戦でのイタリアの勝利は2008年以来16年ぶり、敵地内(アウェー)での勝利はなんと1954年以来、70年ぶりです。 イタリアサッカーは4度目のワールドカップを制した2006年以降、ずっと不調続きでいます。 イタリアは2012年、落ちた偶像の天才プレーヤー、マルオ・バロテ

          スパレッティ監督の猛省がイタリアサッカーを救うかも、かい?

          私、演歌の味方です

          リスボンで聴いたファドは味わい深いものでした。それを聴きつつ演歌を思ったのは、両者には通底するものがある、と感じたからです。 さて、ならば演歌は好きかと誰かに問われたなら、筆者は「好きだが、多くの演歌は嫌い」というふうに答えるでしょう。 嫌いというのは、積極的に嫌いというよりも、いわば「無関心である」ということです。演歌はあまり聴くほうではありません。聴きもしないのに嫌いにはなれません。 ところが、帰国した際に行合うカラオケの場では、どちらかと言えば演歌を多く歌います。

          私、演歌の味方です

          無意識の差別大国ニッポンを憂う

          パリ5輪で金メダルに輝いたイタリア女子バレーボールのスーパースター、パオラ・エゴヌの両親はナイジェリア人移民です。エゴヌ自身はイタリア生まれのイタリア育ち。れっきとしたイタリア人です。 ところが彼女は、肌の色が黒いことを理由に「お前は本当にイタリア人か」とSNS上などで侮辱され続けてきました。 彼女は人種差別に抗議してあらゆる機会を捉えて声を挙げ、一度はイタリアナショナルチームを離脱する意思表示さえしました。 過去のエゴヌの闘いは徐々に功を奏して、金メダル獲得の翌日には

          無意識の差別大国ニッポンを憂う

          ファド演歌の小粋

          ポルトガル旅行中のリスボンでは観光と食事に加えてファドも堪能しました。 ファドは日本ではポルトガルの民族歌謡と規定されることが多い。筆者はそれをポルトガルの演歌と呼んでいます。ファドだけではありません。** カンツォーネはイタリアの演歌、同じようにシャンソンはフランスの演歌、というのが筆者の考えです。 日本では、いわばプリミティブラップとでも呼びたくなる演説歌の演歌が、「船頭小唄」を得て今の演歌になりました。 それとは別に日本では、歌謡曲やニューミュジック、またJポッ

          ファド演歌の小粋

          イングランドサッカーが面白くない理由がまた見つかった

          イングランドサッカーのゲーム運びの特徴は敢えて言えば、直線的な動き、長い高い空中パス、スポーツ一辺倒で遊び心がゼロのゲーム展開、予測しやすいアクションつまり創造性に欠ける陳腐なテクニック、そしてまさにそれ故に硬直し竦んでしまう悲しいプシュケー、といったところです。 そんなイングランドは2024欧州選手権のオランダとの準決勝戦で、相手陣内のペナルティエリア外で、ひんぱんに横に展開する戦法も見せました。 両ウイングにはパスが通りやすい。なぜならそこはゴールエリアから遠いため、

          イングランドサッカーが面白くない理由がまた見つかった

          フレンチはポルトガル料理も見習ったほうがいい

          ポルトガル旅行で料理を堪能しました。 言わずと知れた各種バカラ(バカリャウ・鱈の塩漬けの干物 )、タコ、イワシ、子豚の丸焼き、海鮮鍋のカタプラーナ等々が素晴らしかった。 バカラのレシピは数限りなくあり、食べたどれもが美味でした。 イタリアにもバカラ料理はあります。秀逸なのはヴィチェンツァの郷土料理ですが、ポルトガルのバカラは、どこで食べてもヴィチェンツァの「バカラ・アッラ・ヴィチェンティーナ」並に美味でした。 タコもよく食べられます。どこの店もレシピを研ぎ澄ませていま

          フレンチはポルトガル料理も見習ったほうがいい

          ヴァスコ・ダ・ガマもまっつぁおなクリロナ

          アラブ支配、大航海時代、エスタド・ノヴォ体制とサラザール独裁、カーネーション革命、そしてポルトガル料理を思いつつ、ポルトガル紀行を始めました。 基本的にはポルト、リスボン、ラゴス(最南端アルガルヴェ地方)と移動する旅。 ポルトからリスボンに入った日に、4年ごとに開催されるサッカーの欧州選手権が始まりました。旅の興奮に紛れてそのことをすっかり忘れていました。 欧州選手権はW杯の中間年に行われるW杯に匹敵する大イベントです。 W杯とは違って強豪の南米勢が出場しませんが、サ

          ヴァスコ・ダ・ガマもまっつぁおなクリロナ

          男はだまって大いにしゃべる

          昔、日本には、三船敏郎が演じる「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルがありました。あのキャッチフレーズは、沈黙を美徳とする日本文化の中においてのみ意味を持ちます。 一方ここ欧米では、男はしゃべることが大切です。 特に紳士たる者は、パーティーや食事会などのあらゆる社交の場で、 自己主張や表現のために、そして社交仲間、特に女性を楽しませるために、一生懸命にしゃべらなければなりません。 「男はだまって、しゃべりまくる」のが美徳なのです。 例えばここイタリアには人を判

          男はだまって大いにしゃべる

          漁師の命と百姓の政治

          菜園を耕してみて分かったことの一つは、野菜は土が育ててくれる、という真理です。 土作りを怠らず、草を摘み、水や肥料を与え、虫を駆除し、風雪から保護するなどして働きつづければ、作物は大きく育ち収穫は飛躍的に伸びます。 しかし実は、種をまいてあとは放っておいても、大地は最小限の作物を育ててくれるのです。 農夫はそうやって自然の恵みを受け、恵みを食べて命をつなぎます。農夫は大地に命を守られています。 大地が働いてくれる分、農夫には時間の余裕があります。余った時間に農夫は三々五々集

          漁師の命と百姓の政治

          生き物語り~ヴィットガビの受難~

          あらすじ 猟犬のヴィットガビは、年老いてうまく動けなくなり飼い主に怒られることが多くなった。それでも少し我慢をすればエサをもらうことができた。彼はじっと我慢することを覚えた。ある日かれは呼吸ができず苦しくなった。だが飼い主に怒られることがいやさにかれはいつものように我慢した。長い時間が過ぎてもひたすら我慢した。しかしついに我慢できなくなった。 猟犬のヴィットガビは、呼吸がうまくできないので、とても苦しかった。 でも、飼い主の猟師の命令なので、瓦礫(がれき)の下にうずくまっ

          生き物語り~ヴィットガビの受難~

          ウーB 与力の喜悦

          あらすじ ウーB与力は生まれて初めて獲物を打った瞬間に殺傷中毒になった。かれの周りには武装した人々があふれていた。日本は移民に対抗するためにほぼ全ての国民に武装を奨励するようになった。腰抜けのウーB与力は、自宅を強盗に襲われたことをきっかけに射撃を覚えた。初めて獲物をしとめた快楽に酔って、かれはさらなる快楽を追い求め始めた。 屋根上に伸びる木の枝に休んでいた鳩に狙いをつけて、ウーB与力はショットガンの引き金を引いた。ウーB与力が生まれて初めて獲物を撃った瞬間だった。 鳩が

          ウーB 与力の喜悦

          「時には娼婦のように」の革命的愉快

          なかにし礼作詞の名曲「時には娼婦のように」は次のように綴られます。 『時には娼婦のように 淫らな女になりな  真赤な口紅つけて 黒い靴下をはいて 大きく脚をひろげて 片眼をつぶってみせな  人さし指で手まねき 私を誘っておくれ バカバカしい人生より バカバカしいひとときが  うれしい ム・・・・・ 時には娼婦のように たっぷり汗を流しな  愛する私のために 悲しむ私のために 時には娼婦のように 下品な女になりな  素敵と叫んでおくれ 大きな声を出しなよ 自分で乳房をつ

          「時には娼婦のように」の革命的愉快