過去に失った物の話

昔は、どこまでも自分勝手で自由だった。
小学生の頃、何にでもなれると思っていたし、大きな夢ばかりを追いかけていた。小さな夢なんていらない。大きな夢を叶えることだけが自分の人生だと信じて疑ってなかった。純粋で何より美しかった。
それでも、人は変わってしまう。

あの頃の美しさは、いつから消えてしまったのだろうか。自分勝手さはどこに消えてしまったのだろうか。今でも大望を抱き続けていることには変わりない。それでも、あの頃のような純粋で美しい自分勝手な心は失われた。
周りを気にしてばかりで、人の顔色を伺い、その人にいいような自分を演じる。それが、本当にその人にとってのいい人かは別にして。
人とずれているのだと気づいた時には、自分は周りに馴染めなくなっていたのだ。この人とずれているという感覚さえ、幻覚なのかもしれない。
それでも、そう感じるようになったのは、人の言っていることが理解出来ても、自分の心と行動と全く違うものだと感じていったからだろう。

他人の心を理解しろと他の人は言う。
だが、人の心など自分自身にもわからないものなのに、どうやって理解しろと言うのだろうか。でも、人は理解しないことを責めるのだ。だから自分なりに理解してみる。それが、正しいと思ってわかろうとするのだ。
なのに、人は言う。お前は人の心がわかっていないと。そして、私は理解する。人を本当の意味で理解出来る日は来ないのだと。

人はどこまでも自分勝手で、他人と自分が同じものだと思いたいのだ。

自分は大衆の一部だと思いたくないのが、人間の性みたいなものだと、私は思っている。人は、特別でいたいと願う生き物だ。
なのに、人は他の人も自分と同じだろうと信じている。そんな、馬鹿みたいな矛盾を抱えて生き続けている。本当に、馬鹿みたいだ。

そして、そんな自分の中での真理のようなものに気づいたと、勝手に思って生きている私は、自分の殻に篭っていくのだ。
友人に夢を語る。その夢が叶うと信じてやまないように語る。それが多分本当の自分なのだ。
だが、私は人の顔色を伺い自分の夢を隠し続けることもある。これが、私が失った純粋で美しい心の代償に得た仮面だ。
この仮面は分厚く割ることのないもので、他人と自分を隔てる壁である。この仮面は、割れないものかしら。そんなふうに考えることが多くある。

それでも、仮面は割れず張り付いている。

私の仮面を作るのは、私自身だ。だから、その仮面を割るのも私自身なのだ。
過去の純粋さを羨む。過去の美しさを懐古する。
私の青春は、曇ってしまったのだろうか。
私の短いこの生きた時間は曇天だ。
そう決めつけ、生きているのは息苦しい。
楽になりたい。生きていたくない。でも、死にたくないのだ。小さな希望に縋る私は、ちっぽけな大人を羨む子どもでしかない。

私が失った純粋さと美しさは、元々大人になる為に捨てなければならないものなのかもしれない。
だとするのならば、大人にもなれずそれを失った私は、不完全な人間なのではないだろうか。

過去を羨んでばかりの、大人になれない私。

私は、半透明だ。

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