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ヒトは何故、歌い、踊るのか?

こんにちは。うつ病休職エンジニアの三十郎です。

動物の中で、虫や鳥が鳴き声を上げたり踊ることは、よく知られています。「ダーウィンが来た」を観ていると雄が雌の興味を引くための繁殖行動の一環として紹介されている例が多いです。

しかし、哺乳類に目を転じると、そのような行動を取るのは、ごく一部。鯨の歌はよく知られていますが、何が目的なのかは、いまいち不明です。

その中にあって、ホモサピエンスだけが求愛行動だけでは無く、歌い踊ることを無性に楽しむようです。言語を操る能力に長けているのが大きな要因でしょう。でも何故、生き残るのに関係なさそうな歌や踊りを好むのでしょう?

1.音楽、舞踏の起源

世界中、どのような民族にも、何かしらの歌や踊りがあります。人類普遍の習慣なのでしょう。未だ文字が無かった頃は、歌により知識を伝承したと言います。ことわざなんかもそうです。踊りは宗教的な意味合いが強いと言われています。作物の豊作を祈願するもの、豊作を感謝するものを神様に捧げたと言われています。

でも、現代を生きる私たちも、気分が良ければ鼻歌を歌い、嬉しければ小躍りする。多分、神様は建前で、人間の本心のところで、そのように振る舞ってしまうもののようです。私もアンラッキーなときは「いいことばかりじゃないからさー」と思わず口ずさみます。

ヒトはコミュニケーションを取るときに言語を使いますが、言語以外にも顔の表情やボディーランゲージも使います。「メラビアンの法則」では、純粋な言語:1割、それ以外(言語のトーンなども含む):9割といいます。

歌や踊りもコミュニケーションの役割として発達してきたのだと思われます。今の歌はラブソングに偏っていますが、それだけ世界が平和だと言えるのかも知れません。「歌は世につれ、世は歌につれ」

ソ連のことわざかスローガンだったと記憶していますが「歌は効率を上げ、おしゃべりは効率を下げる」というのもありました。田植えの歌や漁の歌、歌は仕事にも影響を与えます。

2.日本が誇る「カラオケ」

日本発祥の文化で、これだけのスピードで世界に拡散した例は無いでしょう。90年代、ベトナムの安宿で、おばちゃんがラジカセを肩に出かけようとしていたので、「どこ行くの?」と聞いたら「カラオケよ」と答えました。「こんなベトナムの田舎まで!」と驚いた記憶があります。

今やカラオケの無い国の方を探すのが困難でしょう。下手でも上手でも良いのです。人間の本心は、歌いたくてしょうが無いのです。だから、カラオケがこれだけ世界中から支持を集めるのです。

3.踊りと祭り

「踊り」が先か「祭り」が先か分かりませんが、この二つは切っても切れない関係にあります。やはり、どちらも血が騒ぐので、人間本来の持って生まれた感情と深く関わっているのでしょう。海外ですとリオのカーニバルが有名ですし、日本でも町内会の盆踊りから、ねぶた祭、阿波踊り、と地域色豊かな祭り&踊り文化が定着しています。

最近は、観光化が進み過ぎて、祭り本来の姿が失われつつありますが。それでも死ぬまでに見たいものがたくさんあります。

扉絵のインドネシア、バリ島のケチャダンス。私は1996年にウブド村の広場で初めて間近で観ました。凄い迫力を感じましたが、すでに観光化が進んでいました。ダンスを観た帰り道で公民館のような建物に住民が集まって、「俺たちの地域でもケチャダンスで金儲けしようぜ」と練習しながら議論していました。今は、コロナが収まるまで行けませんが、どのように変貌しているのか...

4.グローバル化の波は受けない

日本では昔、洋楽が幅をきかせていた時期がありましたが、今はそれほどでもありません。マイケル・ジャクソンのようなスーパースターの名前は世界中で知られているのでしょうが、曲となると、よく知らない人の方が多いかも知れません。

私は海外旅行に行くと、よくCDやカセットを売っている音楽店へ行き、店員に「この国で人気の歌手は誰?」と話しかけます。すると彼らはうれしがって、「男性なら彼、女性なら彼女かな」、「いや、違うだろ。こっちの方が俺は断然お勧めだぜ」と音楽談義に花が咲きます。旅の良い土産にもなります。

やはり、地域、地域で好まれる音楽は違います。私はそれを嬉しく思います。音楽や踊りをビジネスに結びつけたがる輩がいる一方で、自分たちの誇りは捨てない。それでいいと思います。




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