流行歌を聴かなくなった私がYOASOBI
年始に家族で集まり「J-popを聴かなくなった」という話をしていた際、祖父母、夫が「でも、YOASOBIは別だな。あの人はいいよね」といっていました。
よく読むnoterさんも好きだとおっしゃっていたので、興味を持った私。
聴いてみると、色々と感じたことがありましたので、今日はそのお話を。
1.20代までは「No Music, No Life」だった
学生時代はずーっとイヤフォンをして過ごしていたくらい、流行りの歌が好きでした。洋楽はあまり聞かず、基本J-pop、一番ハマったのは大学時代のRADWIMPSと、小学生から聞いていたミスチル。
受験勉強では不屈の精神を、就活では自己肯定感を求めて、いつも歌詞に自分を投影して気持ちの整理をつけていた気がします。
会社員になってからも、有給とって、ライブで泣いて歌って、ライブTをパジャマ代わりにしていたような独身時代でした。
2.聴けなくなった30代
結婚してから、J-popを聴かなくなりました。
時間がない、というよりは、共感できなくて。
小説や、ドラマ、映画は様々な年齢層の人が主人公になっていますが、J-popの歌詞の主人公はいつも10代から20代くらいな気がして、歌詞に自分の気持ちを投影しながら聞くことができなくなりました。
恋心や失恋ソングはリアルな共感ができないし、夢を歌う歌詞は遠い昔をただ懐かしむようにしか聴けない。
なんだか、急にJ-popの世界から抜けてしまったように感じたことを覚えています。結果、音楽は聴かないかクラッシック(歌詞がないから)が一番落ち着くようになりました。
3.YOASOBIはどうだった?
久しぶりにしっかり曲が耳に入ってきました。
感覚で「好きだなー」と思えました。
気取った歌詞がないというか、ニュートラルに受け入れられる曲調だからかな。
今まで聞いたことのある曲っぽい感じもするし、初めて聞くようなちょっと変わったイメージも持つ、なんて思いながら、リピートして聞いていました。(祖母も「なんというか、ちょっと変わった感じでイイのよね」と)
4.J-popに共感するために必要なもの
YOASOBIの曲を聴きながら、考えたのは、J-popには「不確定な未来を見据えた人の希望や葛藤が込められているのかもしれないな」ということ。
それは、人生で最高の愛を探すことであったり、夢に立ち向かうことであったり。
家庭を持ち、仕事もこなせるようになった私に今まであったのは「想像のできる未来」でした。だから、不確定な未来を見据える人の気持ちを歌うJ-popは気恥ずかしいというか、まぶしすぎる気がしたのかもしれません。
ですが、最近同年代でもチャレンジをして人生を楽しんでいる方をたくさん見聞きするようになりました。
そういう方たちとSNSを通じて交流をしていると、不思議と自分ももっとワクワク生きていきたいなと思えるようになりました。
YOASOBIの曲を聴いたタイミングもよかったのかもしれません。
想像できる未来に安心するよりも、無理のない範囲で、私も「不確定な未来にワクワクしながら想像できる気持ち」を持ち続けたいなと思います
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