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健康で能天気なわたしの、予期せぬ緊急帝王切開~うけいれるまでの10年間~

緊急帝王切開。よくあることだし、よく聞く話ですよね。
でもわたしはこれをすんなり受け入れられるまでに、10年ほどかかりました。

今までずっと、
「健康に生きてきて、普通分娩を疑わなかったのに、予期せぬ緊急帝王切開をしたことによるもやもや」
を抱えてきたので、何らかの媒体をとおして自分の意見を書きたいと思ってきました。

正直、今まで何度も書こうと試みたのですが、何度書いても涙が出てきたり、苦しくなったりして、書き終えることが出来ませんでした。

今、やっとこの気もちが昇華できたなと思うところまできたので、これを書いています。

長くなると思いますが、わたしの10年に及ぶもやもやと後悔のしこりの話、もしよければお付き合いください。

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今は、いろんな人が帝王切開について意見や体験談など書いてくださっていますよね。
お産のスタイルも、昔に比べて格段に、主体的に選べるようになりました。
わたしも今(37歳)だと、まわりの友人の、無痛出産、和痛出産、水中出産などいろいろな出産の体験談をきいたあとなので、お産にはいろいろある、健康に生まれてきてくれるだけで奇跡なのだということが理解できています。

ただ、当時のわたしは、仲良しの友達の中でもっともはやく妊娠してしまったので(25歳のとき)周りのひとの生の出産体験談を聞ける機会はほぼありませんでした。

それに、わたしは健康だから、ふつうに出産できるに決まっている、と今思えばお産を甘く見ていたような気がします。

経験した方はご理解いただけると思うのですが、緊急帝王切開は、待ち望んでいた出産(普通分娩)が、一瞬で想像したことのない恐ろしい瞬間へと変わります。
すくなくとも、わたしの場合はそうでした。

ですので、緊急帝王切開を経験したあと、わたしは

普通分娩したかった。
普通分娩できた人がうらやましい。
あのときあのようにしていれば緊急帝王切開になんてならなかったのではないか。

というどうしようもない思いや、後悔や、自分の中のもやもやをずっとひきずってきました。

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この10年間で、友人の何人かがわたしと同じように緊急帝王切開を経験していましたが、わたしのようにもやもやや後悔を引きずっているようには見えませんでした。

もしかしたら、緊急帝王切開になったことで、なにかもやもやを抱えている?と質問できなかったからかもしれません。

だって、もしも相手を傷つけてしまったら、と思うと聞くのがこわかったから。

それにもしも、全然なんとも思っていないよ、と言われてしまったとき、自分だけがただただどうしようもなかったことを引きずりすぎだし、考えすぎている、と突きつけられるのもこわかった。
みんながひきずらないささいなことに、わたしだけがずっとずっと囚われている、ということを知りたくなかった。

だからこうやって、もやもやと後悔をかかえたまんま、生きてきました。

このもやもやと後悔の正体は、
「どうして、健康なわたしが健全に妊娠して、つわりもほとんどなく経過もすこぶる順調だったのに、いきなり帝王切開になってしまったのだろう?」
という、単なるどうしようもない気もちなのです。

赤ちゃんは無事に出てきたし、あなたも無事だったのだからよかったじゃない。と言われればそれまでの、ほんとうにどうしようもない気持ち。

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わたしは出産後、表面上は、
緊急帝王切開ってほんとにすごく大変なんだから、
と笑いながらみんなに話したけれど。

それでも、このどうしようもないもやもやと後悔のしこりは、今までずっとずっと、わたしの中にしずかに横たわり続けていました。

わたしが妊娠するまで。

夫と入籍してすぐ、同居生活が始まりました。
わたしは新卒でとあるブライダル企業に就職し、ドレススタイリストとして勤務していたので、大企業でデザイナーをしていた夫とは、休日が合いませんでした。
さみしいこともありましたが、大学生のときからお付き合いしていたので、当時すでに4年の歳月を一緒に過ごしており、休みが合わなくてもいつまでも新鮮でいられていいかも。なんて前向きにとらえられる余裕がありました。
実家の父がわりと古風な考え方の持ち主で、結婚までは実家から出てほしくない、と言われていたので、ふたりきりの新婚生活は、ほんとうにおままごとみたいに楽しかったです。

入籍してから半年後に結婚式を挙げました。
新卒からドレススタイリストをしていたので、自分と夫の衣裳をきめるときは感慨深かったです。働きながらお式の準備をするのは大変だったけれど、今となっては良い思い出になりますね。

ちなみにわたしのお式当日の笑い話をひとつ。
結婚式前夜、終わらない準備であまり眠る時間がとれませんでした。
当日、5号のビスチェのドレスが下がらないように、がっちり詰め物をしたわたし。

チャペルに入場する直前、貧血でぶっ倒れ、入場が遅れてしまうハプニングを起こしました。
のちのち同期にも、あのときなかなか出てこなくてちょっと心配したんだよね、といわれる始末。

以後、自分が担当したお客様には、ドレスをきつく締めすぎないようにしますね、前日は必ず寝てください、とアドバイスするようになりました。
とほほ。

妊娠発覚。

妊娠が発覚した日。
じぶんのぺたんこのお腹のなかに新しい命があるなんて、なんだか信じられない、けれど胸がいっぱいでふわふわ幸せな気持ちになったことを思い出します。

一度目の妊娠は結婚式のわりとすぐ後でした。
(このときは、自分が二人目不妊になるとは思ってもいませんでした。こちらは別記事にまとめようと思います。)

もともと結婚したら早く子どもを授かりたいと思っていましたが、新婚旅行に行く直前にまさかの妊娠発覚。フランス旅行にいくか、キャンセルするか、とても悩みました。
でも、赤ちゃんが生まれたら海外旅行なんていけないだろうと、妊娠超初期にもかかわらず、新婚旅行を決行することを二人で決めました。

余談ですが、ドレススタイリストはとても体力を使う仕事です。
お店で一番最初に妊娠したので(それまでは妊娠したら辞める人が多かったのですが、ちょうど会社の産休・育休の制度が整ってきた頃でした)みんなにとても気を遣ってもらったのですが、わたしはけっこう元気いっぱいで、周りの心配をよそに、かなり動いていました。

オレンジジュースをやたら消費してかなり太りましたが、つわりも軽く、妊娠8カ月まで元気に出勤して、ちょっと早めに産休に入りました。
その後、定期健診でもほぼ引っかかることなく健康に過ごしました。

ほんとうに、何もなく、元気で健やかすぎて、なんの疑いや一片の陰りさえもありませんでした。

ついに陣痛がキタ。

予定日を5日過ぎた日の夜中のこと。
やっとこさ陣痛らしきものがやってきたので、ひとまず10分間隔程度になるまで待ち、病院へ行きました。
そこでわたしを待ち受けていたのは、地獄の出産でした。

陣痛がきているのに、子宮口がなかなか開きません。
仕方なく、陣痛促進剤を投与してもらいます。
促進剤が効いて陣痛はかなり強くなったのですが、それでも子宮口はやっと5センチ程度しか開きません。

そうこうしている間に、どうやら赤ちゃんの心拍が低下してきているということで、突然、緊急帝王切開をします、といわれました。

そこから手術台に上がるまでは、とてもはやかったと思います。
そのときのことを思い返すと、あまりにも突然のことで、頭の中はパニックでした。

子どもの命にはかえられなかったので、もちろん手術を受け入れましたが、わたしの頭の中は、
なんで?なんでわたしが帝王切開なの?こんなに陣痛きてるしここまで頑張ったのに、このまま産めないの?
という考えでいっぱいになりました。

わたしの中では普通分娩があたりまえだったので、緊急帝王切開について調べたこともありませんでしたし、知識も全くありません。
いきなりお腹を切るなんて、恐怖しかありませんでした。

いざ、緊急帝王切開の手術を。

パニックになっているわたしに、このあと更なる悲劇がおこりました。
緊急帝王切開とは、急ぎの手術のため(いまはどうなっているのかわかりませんが)麻酔は一本分しか打てないという決まりがありました。

わたしは麻酔のききが悪い体質だったようで、切られている痛みが完全に消失しないまま、手術することになりました。

ほんとうに、このときのことはかなりのトラウマになりました。
もともと子どもは二人以上欲しいなと思っていましたが、しばらく二人目の妊娠が考えられないほどの痛みでした。

このときの出産を、何人かのともだちに
わたしは陣痛来たけど子宮口開かなくて、促進剤入れたけど途中で緊急帝王切開になっちゃって、痛みのフルコースだったの。しかも、麻酔きかなくて切腹だったし、動くと危ないからって看護師さんにおさえつけられて、死にそうだったよ。
と話したのですが、それを聞いた周りの友達は恐怖で引いていました。

緊急帝王切開になってしまった理由について。

なんで緊急帝王切開になってしまったかというと、わたしの場合は色々な事象がかさなっていたようでした。

1、体があまり大きくない。
(153センチ)
2、予定日を超過しており、エコーでは赤ちゃんが推定3200gだった。
(でてきたら、3536gでした)
3、どうやら、高位破水していたようだった。
(陣痛の前にわずかに破水が始まっていたそうです)

これだけの状況が重なっていたので、たとえ普通分娩になっていたとしても、何らかの激しい痛みや、その他色々なことがあったかと思います。

だから、緊急帝王切開だったとしても、とにかく無事に生まれてくれたのだからほんとうにそれでよかったのです。

一人目帝王切開後、二人目の普通分娩について。

そんなこんなで、望んでいた、というか想像していたのとはあまりに違うお産スタイルを経験し、わたしのこころには「健康そのものだったのに普通分娩できなかった」というしこりが残りました。

あるとき、会社の先輩から、一人目は緊急帝王切開で二人目は普通分娩したという話を聞き、それができるならそうしたい。という気持ちのもと、病院探しをしました。

調べてみると、帝王切開後の普通分娩=VBAC(ブイバック)を取り扱う病院は非常に少ないことが分かりました。
なぜかというと、一度帝王切開をしていると、次の妊娠・出産時に子宮破裂する恐れがあるからだそうです。

でも、それでもどうしても普通分娩にチャレンジしたかったので、電車で40分ほどの病院を受診。
院長先生に診て頂いたところ、経過が順調なら普通分娩できるとのお返事を頂き、ちょっと遠かったけれどそこでのお産を決めました。

二度目の妊娠の経過も、順調でした。

ただ、35週を越えたころ、
はやめに陣痛がくればVBACできると思う、けれどもあなたは体が小さいので、37週を越えても陣痛が来なければ予定帝王切開しますね。とにかくよく動いて陣痛が来るように祈りましょう、
と院長先生からのお言葉をいただきました。

このときのわたしはかなり必死で、ネットや本を読み、陣痛が来そうなありとあらゆることを実践し、あらんかぎり手を尽くしました。

でも結局陣痛は来ませんでした。
その後、38週で予定帝王切開をすることがきまりました。

二人目予定帝王切開をした感想。

結局帝王切開になってしまったな、と手術前に落ち込む気持ちも確かにありました。
でも色々努力した結果だったので、思ったよりも気分は晴れやかでした。

幸いにも、二回目の手術のときは、皮膚が切られているという妙な感覚はありましたが、一ミリもいたくありませんでした。
麻酔のききが悪かったことを事前に伝えていたので、しっかり多めに麻酔を入れてもらえたからかもしれません。

このときは意識もはっきりしていたので、生まれてすぐに赤ちゃんの姿を目に焼き付けることが出来ました。

満足いくお産ができたな、と思いました。

先生には、
きれいに縫えたし術後の経過もとてもよいから、3人目も行けるよ。
と声をかけてもらえたほど、順調でした。
術後の回復もとても早く、家族にも驚かれるほどでした。

緊急帝王切開にはなったけれど、それで自分を責める必要はない。

というわけで、人さまからみたら大したことのないであろうこの話を、わたしは10年ほども寝かせてしまったのわけなのですが。

これを書いたことで、やっと自分の気もちの整理ができたし、もやもやと後悔のしこりを昇華できたように思います。
今まで自分を責めてしまっていたけれど、やっぱり責める必要なんてありませんでした。

この話を書こうと思ったきっかけのひとつは、このとき生まれた子が、今年10歳という節目を迎えたこと。

あのときからずっとずっと引きずってきたけれど、もういいんじゃないかな、と思えたのは、彼女が、思っていた以上に賢く素敵に立派に育ってくれたことが誇らしく思えたからです。

これからも子どもたちに誇れるわたしでありたいな。
子どもたちと一緒に成長できるわたしでありたいな。
と決心した、母になって10年目の冬。
だから、適応障害も上手に乗り切っていかないと。

つたない話を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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