映画「ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる」感想

 ロシアのアニメーション作家、ユーリー・ノルシュテインを追ったドキュメンタリー。

 彼は30年以上前から、ゴーゴリの小説「外套」のアニメ化に取り組んでいる。
 世界中のファンが楽しみに待っているが、いまだ完成していない。
 アニメ界のサグラダ・ファミリアである。

 未完の理由は種々ある。
 生活や制作を支えていたソビエト連邦が崩壊したこと。
 ノルシュテイン本人や仲間のアニメーターたちが、老い、病気になったこと。
 重要なスタッフが亡くなったこと。

 しかし最大の要因は、ノルシュテインの頭の中にある「外套」の理想が高過ぎるのだ。

 日本では、アニメ、漫画、小説、映画、ドラマ等々、新しい物語が続々と生産され、消費されていく。
 私は時々不思議に思う。
 物語というのはこんなに必要なものなのだろうか?

 小説を書きたい人がよく聞くアドバイスに、
「とにかく完成させろ」
 というのがある。たとえ納得出来ない部分があっても、気にせず終わりまで書いてみろ、と。

 確かに完成させてみなければ欠点も美点も見つけようがなく、見つからなければ直せない。
 それは分かるのだが違和感もある。
 自分の理想を低く設定すれば、作品なんていくらでも作れてしまう。

「こんな作品を作りたい」
 という高い望みと、自分の技術の戦いこそが「創作」なのではないだろうか。

 この映画の中で見られる「外套」の一部分は本当に美しい。
 脱げかけた靴下を履き直す、というたったそれだけの行為が、温度や手触りをともなって、あんなにも豊かに表現されるとは!

 早く作る。数をこなす。
 そんな価値観に支配されたこの世界において、ノルシュテインの「外套」は、創作の本質を教えてくれる貴重な存在だと思う。

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