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【哲学対話の記録】人間とは何か?

私達は人間です。

生物学上ではヒトと呼ばれ、
動物界・脊椎動物門・哺乳網・霊長目・ヒト科・ヒト属・ヒトと分類されます。

人間は動物です。紛れもない事実です。


では、その事実を取り除いて考えてみましょう。

動物であるという事実がなくなったら、
人間とは一体何なのでしょうか。

はじめに


常に誰かと直接会える、話せるという環境が当たり前だったのが一転、小さな画面での交流が主流となった2年前に比べて、最近は画面の中で誰かと繋がることにも慣れてきたなあと感じます。


元よりオンラインツールを使用していなかった自分からしたらかなりの進歩だと感じながら、
久しぶりにオンライン上での対話に挑みます。


今回対話を行うのは【SLoW】さん。

「地球と人にやさしい大学」をめざして活動している方々です。

【SLoW】さんのnoteアカウントはこちら。
ぜひチェックしてみてください。


私達対話空間創造社についてはこちらから。
お時間のある際に、ぜひお読みください。


前回の対話はこちらから。
謎解き研究会【DetEQtive】さんと対話を行いました。
『考えることはどういうことか?』を問いとして対話しました。


問いとその理由


打ち合わせに参加できなかった私の自己紹介を済ませてから、私達のビジョンと対話のルールを説明します。

今回用意した問いとその理由について話します。


自然とはなんだろう?
「そもそも、人間が自然の一部であるのに、自然を守るという言い方をしたりしますよね。人間も自然も変わっていくもの。概念的な部分をお話しできたらと思います」


人間とは何か?
「私の感覚的には、犬や猫とは異なる動物のように感じています。人間も動物の一種であるけれども、どこか感覚的に異なる人間についてお話しできればと思います」


"心地よく”生きるとはなんだろう?
「SLoWさんは、人に優しくという考えのもと活動を行っていらっしゃいます。私自身には仏教の文化が生活に強く根付いているので、生きていることが苦しいという発想があります。例えば、心地よいと優しい、幸せであることは似ているように感じるのですが、実際にはどう違うのかを考えてみても面白いと思います」


ファシリテーターの感覚で20秒ほど測り、それぞれが話したい問いとその理由を挙げていきます。

問いを決める


「それでは、皆さんどの問いを選んだか教えてもらえますか?」

ファシリテーターが聞きます。


自然とはなんだろう?を選んだ理由
「とても突飛な話かもしれないのだけれど、感覚的に、自然は人工物なんじゃないかと思っていて。生き物は環境に適応したり、環境を利用して生き延びたりしてきました。いろんな連鎖の中で滅んだり生き残ったりという生存競争の中でまた人間も生きている。そう考えると、自然と人間は同等なのに、まるで人間の都合のいいように『守る』という上からのような感じに違和感があって…立ち返ったとき、じゃあ自然って何だろうと思って…ごめんなさい、あまり綺麗に纏まらなくて」

「でもなんとなく話したいことは分かりました。つまり、人間の開発や自然を守ろうとすることも、人間が残っていくための生存競争の手段なのであって、その他の動物が他の種族を食らっていることと同じレベルの話ではないか、ということですかね?」

「そうですね。その結果滅んでしまっても、今までだって同じようなことが行われてきていて、そう考えたら仕方のないことなのかもしれない、と。そしたら、人間と他の動物は一体何が違うの?と思います」

「今のお話を聞くと、自然について考えるよりかは人間とは何かの問いの方が、答えが見えるきっかけになるのではないかなと思いますね」


人間とは何か?を選んだ理由
「シンプルに、いちばん答えが分からなそうだから選びました」

「生物学上のような物理的にしか人間という生き物を考えたことがなかったので、概念的に考えてみたいと思いました」

「自然と人間のテーマはとても近しくて、どちらかと言うと人間について深掘りしたら自然も見えてきそうだと思いました。また、少しテーマからずれますが、幸せや不幸は共存してもいいと私は思います。自分の二面性を知ったり、それらと向き合える心の成長を促したりできると思うからです」


"心地よく"生きるとはなんだろう?を選んだ理由
「『心地よい』という言葉に、私はそんなにポジティブな印象を持っていないんですよ。私は『心地よい』というのは、安定している、素の状態、と捉えています。だから、それが波立ち方によっては心地よくないに繋がると思うのです。他人に流されてしまうとかゾワゾワしてしまうのは、また違う次元なのかなと思います」


葉脈のように話題を広げながらも、そろそろ問いを決定する時間。

今回の問いは、『人間とは何か?』に決まりました。

対話が始まる

宗教観から眺めてみる


問いを決める時間の中で、宗教によっても人間という生物の捉え方は異なるよね、という話題が上がりました。

その流れから、宗教観からまずは人間を見てみることにしました。


参加者の方に、聖書の内容を一部教えていただきました。

「ざっと要約しますが、神様は最初にまず天地を創造しました、というところから始まるんですね。それで、そこから7日間の間にいろんな動物とかを創るのですが、その最後に人間を創りました。その理由が、神様が寂しくて、自分と同じ形のものが欲しかった。だから男性をまず創り、その男性が寂しそうにしていたから女性を創った、みたいな流れですね」

また、神様と人間はもともと同じ場所に住んでいて、肉体が持たなくなったら魂が神様のところに還るそうです。だから、神様を信じない人や悪いことをしてしまった人はその罪を背負う、というような位置づけに人間があることも教えてくれました。


意外と神と人間が近しい位置にいるなと感じました。
人間より前に創造した動物たちとは一線を引いているような感覚。


ファシリテーターが、逆に自分は神に近い存在よりも、世界を構成している一要素という感覚を人間に対して持っていると話します。


参加者の1人が話します。

「私は人間という生物に対して最弱のような印象がありますね。神頼みという言葉があるように、日本には様々な神様がいて、自分達の力ではどうしようもない時に祈りますよね。これは私の感覚ですが、神様からとても遠い位置にいると考えているからこそかなあと思います」

異質な存在


他の感覚で人間を見た方はいますか?
というファシリテーターの質問に、1人手を挙げます。

「私は異質物のような感覚があります。私自身も進化論的な見方をしますが、動物たちは自然に生まれ理由があって絶滅して…その大きな枠組みの中に人間がいる、みたいな」


その他の動物と並列した存在のはずなのに、なぜか感じる人間はどこか違う。

目に見えないことまで考えられてしまうことが、余計にそう感じさせてしまうのでしょうか。


「大学のある授業で、人間がどうしてこの世界を支配できるまでになったのかという話がありまして—」

人間と生物学的にとても近い存在であるチンパンジー。

例えば、餌を与えられたとき、チンパンジーはわっと餌に集まり、各自が食事をします。しかし人間は、分配を考えるなど、いかに全体が整えられるか、統制することが出来るのかを考えるそうです。だからこそ生き延びることができ、それが様々なことに繋がっている、という話でした。


「他の生物に比べて、人間は共感力が強いのでしょうね。餌がなくてかわいそうとか、一緒に生き延びようとか。そういう想像力や共感力が長けているからこそ、良くも悪くもここまで進化できたという感じがします」

考えられる力を得て


「得た共感力や想像力によって、獲得した理性によってここまで社会を発達させてきたのに、その中で人間が人間を苦しめてしまうという構図が面白いですよね」


人間関係や自身に対するコンプレックスなど、人それぞれではあるが何かしら抱えてしまっている心の問題。

そこに、矛盾のようなバグのような、何か不思議な感覚があると言います。


この話を受けて、別の参加者が続けます。

「他の動物って、今を生きるのに必死だと思うんですよ。先の幸せよりも、今を生きることが大事で。でも人間は欲があるから、今以上に幸せになりたいと思ってしまう。だから、今が苦しくても何年先に幸せになるならとか、今のうちにやってしまおうとか、そういう義務感に突き動かされるのかな、と」

きっと縄文時代の人達は、もっと動物に近かったと思います。

その日をこう生きよう、今日やりたいことをしよう、そうやって生きていたけれど、今は目先よりも遠くを常に見つめている気がします、と話してくれました。


別の参加者も、大学受験で心を病んでしまった経験があると話します。

「社会的に成功するだのしないだの、どうして人間が作った社会的なシステムに私を当てはめないといけないんだと思いましたね。これも欲が生まれた結果なのかと」

時間と共にある


「どこの国かは忘れてしまったけれど、どこかの民族は、明日とか昨日とかいう言葉が存在しないという話を聞いたことがあります。明日何しようというそもそもの発想がないんだと驚きました」

ファシリテーターが話します。

「私がさっき人間を異質に思う理由の一つに時間を把握出来るというのがあります。朝が来た、夜が来ただけで終わるのではなくて、1時間、1分、1秒まで分かってしまう。おそらくそこまで他の動物は意識していないと思うんですよね」

今の人間ってだから忙しそうですよねと続けます。

「今生きるということを大切にしてきた縄文時代と違って、現代はいろんなものが意図していないのに勝手に入ってくる。情報の多さに振り回されたり、自分だけを見つめる時間がなかったり、たくさんの要因が複雑に絡み合ってしまって、人間でいることに疲れてしまう、みたいな」


切り離せば楽なはずなのにどうして切り離すことが出来ないんだろう。

お腹いっぱいご飯食べて好きな場所で好きな時間に眠れる実家の猫が羨ましい、とある参加者は言います。

人間 バージョン2.0


今のお話を聞いて、と参加者が1人手をあげます。

「縄文時代から多少の骨格差はあれど、基本的な体の仕組みに変化はないと思うのですが、もしかしたら今人間はバージョン2.0に移行したのではないでしょうか」

精神的な意味で、と言いますか…と続けます。

「いろいろシンプルじゃないし、変なものまで含めますがたくさんのルールまである。身体だけでは説明できないくらいに、元々あった人間と全然違うよなあと思いました。動物的要素がどんどん薄くなっていっている、これはバージョン2.0だわ、と」


なるほどという表情が画面いっぱいに広がります。

「とても納得しました。科学的に見たら同じだけれども、人によって取り巻く環境は異なるしそれに対してどう感じるかも人それぞれだから、バージョン2.0と言われるだけで救われる人はいると思います」

「確かにそうですね。いくら姿形に大きな変わりはないとは言えど、生きている時代や環境が異なるのだから、違う種類の人間なんじゃないかと思いました。きっと今同時刻を生きている人間の中でも、思考とかはバラバラだろうから、それぞれが違うバージョンなんだろうと思いました」


生きている世界、そして個人個人が見ている世界が全く違う。

それはきっとその人によってバージョンが違うから。

そう考えると、人間は種類で言い表すことができないのかもしれません。

“人間っぽい”をみる

参加者の1人が、意外と昔のバージョンに今の人間は適応できそうという話題を振ってくれた流れで、どの時代が人間っぽい時代と感じるかを聞いてみることになりました。

「時代ではないですが、文化芸術という分野を協議し合えるのはとても人間らしいと思っています。平面に何かを施したり立体を製作したり言葉を創造したりしたものに、何か意味を見出そうとする行為が、考える人間らしいなと思います」

「あとは痩せたい、ダイエットしたいとかもそうかな。食べられるものが目の前にあるこの状況で食べない選択をするのは贅沢なことで、その贅沢さが人間っぽいなと思います」

「私は縄文弥生時代ですかね。特に弥生時代の武器は素晴らしいと感じています。それに、弥生時代あたりから、人間同士の争い、つまり戦争も始まりましたよね。自分の欲望を止めずに全部爆発させてしまうあたり、人間っぽいなと思います」

「世界大戦の間、人間という生き物の醜さや欲が露呈したこともあり、人間らしいと感じますね。お金、人材、技術、物資など、使えるもの全てを勝利のためだけに注ぎ込む。とても人間らしい時代だと思います」


時代だけでなく、感情が表に出やすい人や考えていることを表現できる人は人間っぽいと感じるという話も挙がりました。

「子どもたちに触れ合う機会が多いのですが、彼らをみると人間らしいと思いますね。ポーカーフェイスの子はなかなかいませんから。嫌なことは嫌と言えますし」

子供は実は野生の人間で、周りがルールを使って制御していくことで我慢をして野生の状態ではなくなる、と話してくれました。

怖いもの

「今までの話を聞いて、優先思想が生まれるところが人間っぽいな、と。同じ人間同士を食らうことはないけれども、戦争とかがそういう例で出るように」


互いに争うことでリーダーを決めたり、自らの命を守るために群れをなしたりする動物とは違い、私人間は生きるために同族の命を奪う理由はありません。

それでも同族の命を奪う理由は、憎みや嫉妬、恐怖といった感情が関与しているのではないでしょうか。

自然に淘汰されていく方法は、やはり動物と人間では、きっかけとなるものが違いそうです。


「時間的展望が人間はやはり長いから、目先の幸せよりも、さらにその先をいく幸せが欲しいと思ってしまうのでしょうね」

長い時間を見られるようになってしまったからこその弊害とでもいうのでしょうか。

未来を見ようと思えば見えてしまうから。

「その未来が見えてしまうから恐怖心があると思うんですよ。他の動物にこの類の恐怖があるかはわからないけれど、少なくとも人間がこんなに欲望に溢れているのって、どこか未来に対して恐怖心があって、自分を守りたいというある意味生存本能が働いているのかなと思いました」

「確かにそうですね。死ぬかもしれないという一瞬の恐怖よりも、この先私はどうなるんだろうという方が、あまりにも見えなくて怖いと感じてしまうのはよく分かります」

「占いもそんな感じですよね、何でもいいから先を知りたいっていう」


今日も今日とて、何か探れそうになったところで、対話終了の時間です。

終わりに


物理的にわかっていることは、生物であること。
犬や猫などといった動物の一種類に過ぎないということ。


だけどもどうしてでしょう。
どうしてほんの少しだけ、違和感があるのでしょう。


人間は、本当に動物なのでしょうか。

人間とは一体どんな存在なのでしょうか。



今日はここで筆を置かせていただきます。

ここまで読んでくださりありがとうございました!

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