笑って死ぬには
考えるだけでも恐ろしい。
自分が死ぬときのことを想像するのは・・・。
なぜこんなことを書いているかというと先日、ある記事を見て「死」について考えさせられたからだ。
それと同時に高校時代の先生の言葉を思い出した。
全人類共通のゴールとして死が設定されているわけだが、「死」について真剣に考えている人がどれだけいるだろうか?
まだ20代そこらの学生である私が「死」について考えるのは、なかなかに難しい。
先のこと過ぎて、想像すらできない。
普通の学生だったら余程のことがない限り考えないだろう。
私もまだ考えたというほど考えていないのが現状である。
冒頭で述べた、高校時代の先生の言葉。
「俺はその日を全力で生きている。だからいつ死んでも後悔はない。」
別にこの先生が担任だったわけでもない。部活の顧問だったわけでもない。
だがその言葉を鮮明に覚えており、頭に降って湧いたのだ。
それほどあの日の先生の言葉は強烈であった。
自分がいつもどんなマインドで生きているか。
そして友人が死に直面し、その現場に居合わせた先生の話を聞いた。
先生はただただそれを熱く語り、私の心を震わせた。魂と呼ばれるに相応しい人だった。
なぜその先生がいつ死んでもいいと言っているのか?
その時は常に全力で生きているから後悔がないのかと思っていた。
だから私も2週間くらいは先生の言葉にあてられ全力ですべてに取り組んだ。だが全力がいつまでも続くわけもなく、いつも通りの生活に戻っていった。
今考えると私にはその理論は性に合わない。
「常に全力で生きてきた。だから明日死んでも後悔はない」とは言えないからだ。
なぜ死にたくないのか?
それは簡単でまだまだやりたいことがある。
だがやりたいことが何なのかが分からない。
かなり矛盾しているが実際そうなのだ。
仕事でやりたいこととはまた別の話にはなる。
例えば、世界一周は死ぬまでに1度はやってみたい。でも現実的ではないし、優先度が高いわけでもない。いつか出来たらいいなくらいにしか思っていない。
考えれば考えるほど難しくなっていく。
私は生きる上で何を達成したいのか?
正直分からない。
だが仕事をする上で達成したいことはある。
それは人々に新たな気づきを与えること。そして選択肢を与え生活を豊かにすることだ。
もう一つ付け加えるなら、勇気や感動を与えたい。
これが私の働く上で達成したいこと。
この働く上で達成したいことを人生において達成したいことにしていいのだろうか?
私自身まだ見つけられていない。
私の視野が狭いのが問題であるだろうが歳を重ねれば見つかるものなのか?
とにかく一つだけ確かなのは、「人生やりきった」と言って死にたい。
人生100年時代と言われているがそんな先のことを私は想像できない。
とにかくこれからの楽しみな未来のために今全力で生きることにする。
全力で生きるのは大変そうだが(笑)
まだまだ人生先が長い。気楽に生きながら人生で何を達成するか考えることにしよう。
行き詰ったり、立ち止まったら先生の言葉を思い出して自分を奮い立たせよう。
「全力でその日を生きたか?」
「はい」
そう言える日が来るのはまだ先になりそうだ。
話は変わるが残りの学生活で達成したいことは、色々なコミュニティの仲間と思い出を作ること。
そのためにコロナが一刻も早く収まることを願うばかりだ。
S君.
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