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袴+お正月

昨日は家族と母の家へ。子どもは袴姿。袴で初詣というのは、何年も前から聞くことだが、暖冬で気楽に試せるようになった。

温暖化の深刻さは戦慄レベルで感じている。が、厳しい寒さがない冬というのは、秋冬メンタル不調の多い私には、単純にホッとするところでもある。

寒さというよりも、寒くなる方向への急な寒暖差や日照不足があると、高い確率で冬眠気分になる。それは長年のこと。

この冬は、厳しい気温まで下がらないことに助けられている部分があると、明らかに感じている。家では、内窓を取り付けたのも効いているのだろう。

何も買い足さず、袴姿で出られそうな見通しは、大晦日には立っていた。

先月の百段階段では、オリジナリティある華やかな着付けで、和装のオシャレを楽しんでいる様子の、おばさま方を見かけた。
自分が、そういう着付けで着てみたいかというと、それは違う。

が、好きに楽しんでいる様子に好感度は高かった。着物にも伝統はあるだろうが、ファッションなのだから、基本的に好きに楽しむものだろう。

自由なデザインの着物や着方があることは知っていたが、目の前で見られると納得するものがあった。
「フツーはそうじゃない」なんて、つまらない言葉は受け付けない、という強さと華やかさと楽しそうな様子を感じた。
ファッションでのインフルエンサーのように見えたので、ファッションアイコンと表現して良いのだろう。

そんなこともあった後なので、単純にバランスと防寒だけを考えた。
あとは、外で激しく着崩れなければ良いだけ。母の家でのトラブルは困らない。

そんな割り切りで、簡単に着付けて、簡単なヘアセットに飾りを挿して向かった。そもそもが簡単に着付けられるように作られている、洋服屋さんの袴セット。簡単に着崩れるとは思っていなかった。

着付けた昨日…
私は気づかなかったが、最寄り駅に着いた頃には、着崩れが始まっていたらしかった。
乗り換えたときには、激しく着崩れていて唖然とした。
簡単に直して到着したが、どことなくバランスが崩れたまま過ごし、洋服に着替えて終了。

…そんな状況でも、少しはお正月らしい雰囲気は出たのだろうか。

そもそも、今も卒業式に残る女性の袴は、作業着のような動きやすさを着物に取り入れた制服として、明治・大正の頃の女学生が着ていたもの。教師も着ていたのだろう。

足を動かしやすくするために、着物をミニ丈に着るので、そのカッコ悪い状態を、プリーツが入って動きやすいマキシ丈スカートで隠すデザイン。家にあったのは、それをもっと簡単にできる袴セット。

男の人にとっては、同様の袴姿でも意味が違うのかもしれないが、女袴は普段着というか学生服というか。制服なら正装でも使えるのだろうが、特別感は足りないと思う。母もそれは知っている。
初詣に着物だけではなく、袴が使われるようになっていることも、母は知っている。

母は「お正月らしい」と口にはしていたが、何か違う、と思っているような気もした。

その子どもの袴。袴と、ほとんど見えない帯だけなら、ほぼ単純にロングスカート。私でも着られる。

トップスも、着物の色が落ち着いた色柄なら、似合わないということはなさそうに思う。シンプルに、着物と半衿はんえりとロングスカートな袴なら、コーディネートは難しくないだろう。

と思うが、学生でも先生でもない私が着ると、更に何か違う感が出るのだろうなと思う。
短期間に一部の人に流行った袴スタイルは、何か違う感が出やすいものなのだろうか。

母の家では普段通り、あちこちに工夫したお正月飾りがされていた。

久しぶりの母の家。
久しぶりの電子ピアノの鍵盤を重く感じた。普段はエレクトーンな子どもも私も、子どもと母の楽譜でたくさん弾いて楽しんだ。いつ踏めば良いのか忘れていたペダルも、使ってみたりした。

毎度のことながら食べ過ぎた。
食べ過ぎた、と思うだけでは済まない不調が、去年のGW以降どことなく続いている。なので、少し食べ過ぎたくらいまでで抑えた。

帰宅後は、いつものホットヨーグルトを、やや少なめに飲んだ。今もどことなく不調はあるので、やはり食べ過ぎて良いことはなさそうだ。

いつもとは、少し違うことを楽しんだお正月。
いつもと同じことにも平和さや価値を大きく感じるが、好きに楽しんで良いことは好きに楽しみながら、メンタル不調に陥りやすい冬を、無事に越したいと願う。

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