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私の不安症―生きづらさと向き合う―

このブログには、何か明確な目的やテーマがあるわけではありません。読みづらい部分もあると思いますし、結局何を言いたいのか分からないということもあると思います。私が自分の書く文章を通して、読んでくださる方にお伝えしたいと思うことは、自分の生き方や、自分の言葉、考えを通して、こんな人もいるんだなぁ~、こんな人生もあるんだなぁ~と、気楽に気軽に思っていただけたらということです。生産的でもないし、私の文章を読んで何も得はしないかもしれませんが、これも一人の人生の一部だと思っていただけたらとても嬉しいです。


私は極度の不安症です。
幼い頃から、「こうなったらどうしよう」といつもソワソワしては、何かに怯えていました。不確実なことが大の苦手。複雑なことも、あれもこれもを同時にこなすことも苦手でした。
家に泥棒が入ってきたらどうしよう、家が火事になったらどうしよう、富士山が噴火したらどうしよう、隕石が地球に衝突したらどうしよう、世界の終わりが来たらどうしよう、大地震が起きたらどうしよう、、、どうしよう、どうしよう、私のどうしようにはキリがなくて、頭の中は不安で常に占領されていました。
小学生の頃、枕元に自分の防災リュックを置いて寝ていたくらいでした。
保育園の頃も、友人に「私のことが好き?」と何度も何度も訊いたり、祖父に富士山が噴火することはないか、家に泥棒は本当に入らないのか、家の鍵はきちんと閉めたのか、何度も何度も繰り返し訊いていたのです。
そうして一つ一つを確かめることで、自分自身を安心させていたのだと思います。

そんな幼い頃の私は、毛布とぬいぐるみが手放せませんでした。
それは私にとって、不安と安心、どちらの象徴でもありました。
不安な時、毛布とぬいぐるみが、私を支えてくれました。
毛布を触ることで、その感触が私を落ち着かせてくれて、ぬいぐるみは不安な私に、いつも優しく寄り添ってくれる存在でした。

私の家庭事情は複雑だったので、家は常に忙しく、バタバタとしていて、緊張感が張り詰めていました。
そういった事情もあって、家庭内はいつもピリピリとしていて、両親も苛立っていました。
私は母によく怒られました。責められることもたくさん、たくさんありました。
そのうち、自分の気持ちを直接話すことが怖くなってきて、私は、ぬいぐるみを通して会話をし始めました。
両親と話す時も、祖父母と会話する時も、お気に入りのぬいぐるみを介して話していました。パペットマペットのように、あたかもそのぬいぐるみ自身が話しているようにするのです。そうすることで、私は自分を守っていたのです。ぬいぐるみを介してなら、比較的、自分の気持ちを素直に話すことができたのです。
ぬいぐるみが傍にいないときは、例えば、「今日はハンバーグが食べたいなぁ~って、●●(ぬいぐるみの名前)が言ってた」という風に、母に伝えていました。
母は、私のそのような話し方が嫌いで、やめなさいと何度も怒られました。

続きは、気が向いたらまた書こうと思います。

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