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第20節 それはたとえるなら仮面舞踏会

 
 春の夜に 知らぬ暁 我夢中
 いつかはさめる あいはいらない


「木村さん。その……。一つ、聞いてもよろしいでしょうか?」
「? なんですか?」
「何か、あったのですか?」
「……。」
 直輝はマシュの目を見つめて固まったかと思うと、平常心を装って問い返した。
「……なんか俺、変ですかね?」
「変、と言うか……。一昨日の夜、急に少し外出されましたよね? あの後から、なんだか元気がないように思えて……」
 マシュの言葉に、直輝は軽く笑う。
「そう、ですか……。流石にずっと一緒にいると、わかっちゃいますか。ごめんなさい。でも、大丈夫です。個人的なことなので。
 あれから手掛かりは何もないし、池西さんからも連絡がないし、どうしようって感じですけど……。戦いには影響させませんから、安心して下さい。」
 そう言われてしまって、マシュはいったん引き下がろうかと思った。がしかし、食い下がった。
「……そうではなくて。そういう心配は、していませんが。
 木村さんは、わたしを助けてくださいました。スケルトンの群れから助けてくださっただけではなく、行く当てのないわたしを、こうして家に泊めて、生活の面倒まで見てくださっています。
 昨日も、今の状況と重なる怖い夢を見て、不安になってしまったわたしの話を優しく聞いてくださって、勇気づけてくださいました。なのに、わたしはまだ何もお返しできていません。
 ですから、もし何かあったのなら、力にならせていただきたいんです。今のわたしに出来ることは限られていますし、問題は何も解決できないかもしれませんが……。話しただけで楽になることもある、と聞いたことがあります。
 ですから、もし何かあったのなら、聞かせていただきたいと……その……」
「マシュさん……。」
 しぼんでいくマシュの言葉を聞いて、思いを聞いて、直輝は優しく言った。
「何度も言うように、俺は俺がやりたいからやってるんです。マシュさんを見捨てたくないから、マシュさんに少しでも快適に過ごして欲しいから、俺の勝手で、俺の我儘でやらせて貰ってるんです。だから、そんな風に負い目を感じないで頂けたら、俺はうれしいです。」
「木村さん……」
「なんて言われても、マシュさんは優しいから、負い目を感じてしまいますよね。そういうところが、マシュさんの素敵なところの一つだとも思うから、大切にして欲しいな、とも思うんですけど。でも、やっぱり笑顔でいて欲しいし……。ほんとに我儘ですね、俺。ごめんなさい。」
「いえ、そんなことは……」
 マシュはもやもやを抱えて言い淀む。無力さを抱えて視線を落とす。
「……まあ、でも。確かに、話すだけで楽になることもある、って言いますし。聞いてくれますか? 俺の、個人的な話……。」
「……、はい! 聞かせてください!」
「ふふ。じゃあ、遠慮なく。俺、好きな人がいるんです。」
「!?」
 予想外の言葉に、マシュは目を丸くする。
「って言っても、実際に会ったこともないし。なんなら、女性だって保障すらないんですけどね。」
「それは、どういう……」
「ネットで知り合ったんです。Twitterで。Twitterとか、SNSって、マシュさんわかります?」
「はい。SNS、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略ですね。その形態は様々で、定義も明確にはし難いものですが、ウェブ上で社会的なネットワークを構築することができるサービスだと存じています。わたしは実際にユーザーとして利用した記憶はありませんが、知識でなら知っています」
「じゃあ、説明はだいじょぶそうですね。……それで、出会い目的のアカウントとかじゃなくて、お互いに匿名の裏アカ? っていうか、まあ、そういうアカウントで知り合ったんですけど。やり取りを重ねる内に、本気で好きになってしまって……。」
「それは……。現代、というか。ネット社会、という感じがしますね」
「ふふ。そうですね。俺も、自分がまさか、そんな風にして誰かを好きになるなんて思いもしてませんでした。
 顔も、そんなに画質の良くない、加工された写真とかでしか見たことないですし。声は、録音されたものは何度も聴いてますけど、通話とかはしたことないし。絶対に女性だって保障もなければ、普段のその人そのものを知ってるわけでもないですし、百四十文字単位のツイートとか音声とかで切り取られたその人しかしらないのに、好きになってしまって……。詩歌なんかも、おく送・贈ったりなんかもして……。」
「……シカ、ですか?」
「はい。ちょっと待って下さいね。」
 そう言うと直輝はスマートフォンをつけ、しばらくいじってから、一つの詩歌をマシュに見せた。
「春の夜に、知らぬ暁、我夢中。いつかはさめる、あいはいらない……。……五・七・五、七・七。やはり! これは、短歌ですね?」
「はい。それは、彼女と会う夢を見て、深夜に目が覚めて、勢いでんだ歌です。
 『春の夜に 知らぬ暁』は、有名な『春眠暁を覚えず』のオマージュですね。たしか、眠たがりの彼女がちょうどその頃、ツイートしてたんです。まだ太陽を知らないって、夜を詩的に表現すると同時に、直接見たことのない思い人のことを太陽に例えたものでもあって。
 『我夢中』は、直接的に俺が夢の中という意味と、知らぬ暁である彼女に俺が夢中だという意味でもあって。掛詞かけことばですね。
 次の『いつかはさめる あいはいらない』も掛詞で、いつかは覚めてしまう会い、つまり夢の中での逢瀬おうせならいらないという意味と、いつかは冷めてしまう愛。つまり、いつか好きでなくなってしまうなら、そんな気持ちならいらないという意味が掛かってるんです。」
「なるほど……。これを、木村さんが詠んだのですか?」
「はい。」
「すごい、ですね……。」
「ですよね? すごいですよね!? これを深夜に目が覚めて、そのままの勢いで浮かんでくる言葉をこねくり回して詠んだんです。すごくないですか!?」
「……そう、ですね」
 マシュは、珍しく自画自賛する直輝に、思わず目を丸くした。
「彼女は俺の、ミューズです。」
「ミューズ……」
「はい。直接的には美の女神のことですが、芸術家なんかが、自分にインスピレーションを与えてくれる女性のことをミューズと呼んだりなんかもするんだそうです。彼女は俺のミューズです。『俺のミューズ。俺のではないあなた。』なんて言葉もおく送・贈りました。」
「……」
「マシュさん、引いてます?」
「いえ、そんなことは! ただ、すごいな、と思って……」
「ふふ。無理しなくて大丈夫ですよ? 俺も、我ながら、笑っちゃいますから。もちろん、本気ですけどね。
 でも、もしかしたら彼女も内心、コイツ、ちょっと感性褒めたら詩を詠んできやがった、って笑ってたかもしれませんし。」
「そんなことはないと思います」
「ふふ。ありがとうございます。まあ、でも、どっちでもいいんです。例えそれが嘲笑でも、彼女に笑って貰えたなら。俺で楽しんで貰えてたなら、それだけでもう俺はうれしいんです。
 もちろん、裏アカって特別な状況も相まって、本気で素敵だと思って頂けてたならその方がうれしいですけど。少しでも迷惑じゃなかったことを、祈るばかりです……。」
 そこで一度言葉を切って、しかしマシュの言葉を待たずに、直輝は穏やかな口調で続けた。
「――Twitterの裏アカで知り合った、直接顔も見たことのない相手を好きになって詩歌を送るだなんて、まるで平安時代の暖簾のれん越しの恋みたいだなって、そんな風に思ったものです。」
御簾ぎょれん越しの、恋……」*1
「はい。俺も詳しくは知らないんですけど。平安時代、貴族の女性は基本的に顔を見せなかったみたいで。だから、暖簾越しに詩歌を送り合ったりして、そうして恋をしたらしいんです。
 そう考えたら、よくも悪くも、やっぱりヒトは、今も昔も変わらないんだなぁ……なんて思ったりして。まあ、俺はもう恋はしないって決めてるので、これは恋ではありませんが。」
「……」
「それに、思うんです。昨日も言いましたけど――。
 ヒトは、自分の目でしかものを見れないし、自分の耳でしかものを聞けないし、自分の心身でしかものを感じられないし、自分の知ってることしか知らないし。どこまでいっても主観から抜け出せないヒトは、自分の認識で世界を構築してると言っても過言ではないんじゃないかなって。
 だから、目の前にいる相手を好きになるのも、SNS上でしか知らない相手を好きになるのも、本質的には同じなんじゃないかなって思うんです。
 例えば今、俺の目の前にはマシュさんがいますけど。俺はマシュさんの顔そのものを見ているのではなくて、今マシュさんに当たった光が反射して、それが俺の目に入って、網膜に映って、俺の中に映った虚像を感じているに過ぎないはずで。だから、結局人が見ているのは、好きになるのは、相手そのものじゃなくて、自分の中に映った相手の虚像にすぎないんだって。俺はそんな風に思うんです。
 だから、目の前にいる生身の人間でも、例え本当は男性が演じている裏アカ女子でも、キャラを作ったアイドルでも、フィクションのキャラクターでも、相手を好きになるということに関しては、本質的には変わらないんじゃないかなって……。」
「……それは」
 マシュはその、どこか虚しさの漂う考え方を少しだけ否定したい気持ちになって。でも、否定し切れない、したくないような気持ちもあって。
 複雑な気持ちの中で、ふと昨日の夢のことを思い出した。
「――って、だいぶ話が脱線しちゃいましたね。
 で、そんな風にして好きになって、告白して、振られて。でも、ずっと仲良くして貰ってたんですけど。一昨日、もうその人が裏アカをやめるって聞いて。……突然外出したのは、最後のやり取りに集中したかったからです。
 裏アカなんて、急にやめたりアカウントが消えたりなんてざらだから、ずっと覚悟はしてたんですけどね……。いざ、やめるって言われたら、やっぱりこたえるものですね。」
 直輝はそう言って微笑んだ。
「もう、その方とは連絡がとれなくなってしまうのですか?」
「そう、ですね……。恐らくは……。」
 直輝はそう言うと、マシュの目を見て微笑んだ。
「ありがとうございます。話したら、少し楽になりました。やっぱり他人ひとに話すのって、効果があるんですね。」
「それなら、よいのですが……」
「ありがとうございます。そしたら、ちょっとごめんなさい。トイレ行ってきますね。」
「ああ、はい。どうぞ」
 直輝は微笑んで、部屋を後にした。
 後に残されたマシュは、直輝との昨日の会話を思い出す。
 マシュが見た怖い夢の話をした後に、直輝とした会話を――。

「――そうですね。確かに、マシュさんが本当にマシュさんだって保障は、どこにもないですね。あくまでも可能性の高い、憶測でしかありません。それも、手掛かりの少ない現状で、一番有力なだけの憶測です。」
「……」
「でも、それは、俺も同じじゃないですか?」
「……木村さんも……同じ?」
「はい。もちろん、マシュさんとは状況が違いますし、可能性も桁違いだとは思います。でも、結局突き詰めて考えたら、同じだと思います。
 マシュさんがたった今し方体験したみたいに、夢の中で、これが夢だって気づいてない時、それが夢だとはわからないじゃないですか。自分が間違ってる時、勘違いをしてる時、それに全く気づいてない時は、それに全く気づいてないじゃないですか。自覚、できないじゃないですか。当たり前ですけど。」
「……確かに、それはその通りですが」
「俺は、思うんです。ヒトは、自分の目でしかものを見れないし、自分の耳でしかものを聞けないし、自分の心身でしかものを感じられないし、自分の知ってることしか知らないし。どこまでいっても主観から抜け出せないヒトは、自分の認識で世界を構築してると言っても過言ではないんじゃないかなって、そう思うんです。
 そんなこの世界で、確かなことなんて、俺は一つもないと思ってます。でも、それだと不安だから、ヒトは何かを信じるんだと、無意識的にそんな現実から目を逸らして自己を守ってるんだと、俺はそんな風に思っています。」
「……」
「マシュさんは、俺と一緒にいて、時折り笑ってくれますよね? でも、実は全部嘘の笑いで、本当は俺と一緒になんかいたくなくて、今すぐにでもここを出ていきたいと思ってますか?」
「いえ! そんなことはありません!」
「ふふ。ありがとうございます。
 でも、それが本当かどうか。その本当のところを知るすべを、俺は持っていません。でも、俺はマシュさんが笑ってくれるとうれしいです。だから、マシュさんに笑って欲しいです。そう、今この瞬間、俺が感じているということは、今、その瞬間の俺にとっては確かです。マシュさんの笑顔も、マシュさんが笑顔であるという俺の認識も、この世界が現実であるということすら信じられない俺にとって、それだけは確かです。それすらも勘違いかもしれないけど、でも、感じていると感じている。それだけは、確かに今、感じています。
 だから、俺はその瞬間。その瞬間。その瞬間の俺の思いを、大切にして生きています。この世界に確かなものなんて、少なくとも俺にとっては、何一つとしてないから……。」
「木村さん……」
「まあ、そんな考え方を、生き方を、おすすめする気はないですけど……。
 でも、信じられないということで、今マシュさんが苦しんでるのなら。そういう考え方もある、っていうことを、少しだけ意識してみるのはどうかなって思うんです。」
「そういう考え方……ですか」
「はい。何一つとして確かなものはない、この世界で。マシュさんは、何を大事にしたいですか? マシュさんは今、何を感じていますか?」
「……わたしは、何を大事にしたいか……。わたしは今、何を感じているか……」
「無理に言葉にする必要はありません。言葉にすることで、明確になる時もあるけど。言葉にしようとすることで、かえって見失ってしまうものもあると思うので。」
「……」
「でも、今、マシュさんが感じてるもの。それは、少なくともその瞬間のマシュさんにとっては、確かに真実のはずです。」
「……わたしにとっては、確かに真実……」
「はい。無理に言葉にする必要はない、とは言いましたけど。逆に言葉にしたかったら、俺を使って下さい。いつでも俺は待ってるので。マシュさんの気持ちを聴かせて貰えたらうれしいなって、思ってるので。」
「……」
「ああ、でも。いつでもとは言いましたけど、トイレに入ってる時とかに、いきなりトントンって来られて、別に急ぎでもない気持ちを伝えられても、それはちょっと、「えっ、今?」って思ってしまいますけど。」
「……そんなことはしないので、安心してください」
「ですよね。ごめんなさい。」

「……」
 マシュは、直輝がなぜ自分に好きな人の話をしてくれたのか――。
 その本当のところはわからないけれど、でも、それがわかったような気がして、なんだか少し、トイレのドアをノックしに行きたくなった。

 
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*1:御簾越しの恋:「御簾みす」はすだれの尊敬語で、かつて貴人の部屋の簾をそう言ったようである。普通は「みす」と読むが、直輝の勘違いによる「暖簾のれん越しの恋」という表現を聞いたマシュが、脳内補完により音読みし「御簾ぎょれん越しの、恋……」と返した。「御簾は掛けるもの」ということで、「御簾」と「ミス」が掛かった稚拙な言葉遊びである。