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不便利屋④ DAY3

#連載 #小説 #SF #短編 #withコロナ

新型コロナ禍のおうち時間を利用して書きはじめた短編小説第二作です。書き続けるモチベーションのためにnoteに掲載します。週一で更新予定。本作はフィクションです。登場人物 団体 固有名詞等は実在のものと一切関係ありません。

不便利屋

アフターコロナの世界を描く短編SF小説 第2作

DAY3

もう一度歩くペースを確かめながら先を目指す。腕時計を見ながら時間と距離を測ってみる。まずまずいいペースだ。歩きながら手に持った絵本を時々見返す。地図と交換した絵本。表紙の少女は可愛らしくこちらに微笑んでいる。めくると、太陽が描かれていたページに新しい絵が加えられていた。お日様の下で二人の男が楽しそうに歌い踊っている。一人はずんぐりむっくり、もう一人は背高ノッポ。あの二人だ。双子の兄弟。思わず声を出して笑ってしまった。絵本をリュックにしまい、もう一度リズムをつくりながら歩き始める。

もう今となっては、僕が歩いているこの道も、過ごしているこの時間も現実のものなのか、白昼夢なのかわからない。ひょっとすると今体験していることも病のせいかもしれない。
でもどちらでもいい。元々の生活だってそのほとんどがネットやバーチャルの世界が中心だった。むしろ今の方が生きている手応えを感じている。

3日目の太陽が傾きはじめた。自分の影が進む方角へと伸びていく。道は変わらず東に続いているようだ。バス停の待合室のような小屋が見えてきた。今夜の宿はそこにしようか。扉のない小さな建物は、やはりかつての待合室だった。中を覗くと、詰めても5人ほどしか座れないベンチが置いてあるだけ。壁には時刻表のような紙が貼ってあった。日焼けした文字は薄くなり読み取るのが困難だったが、その痕跡から1時間に1本ほどしか運行していなかったことだけはわかる。リュックを床に下ろし、ベンチに寝そべってみる。悪くはない。筋肉痛の足や腰を伸ばすには十分だ。横になったままサプリを口に放り込み、自分の腕を枕がわりにして目を閉じた。

ガタゴトという音が聞こえてきたのは、あたりがすっかり暗くなってから。最初は何だかわからなかった。木と金属の軋むような音と、ボンボンという小さな音が小刻みに規則的なリズムを作っている。それがエンジン音だとわかったのは、車が目の前に止まった時だった。完全に電気化された現代の車は、静かなモーター音しか聞こえない。内燃機関のエンジンを使った車は動画でしかみたことがなかった。

バス停に止まったのは、小さなトラックだった。息が絶えたようにエンジンが止められるとヘッドランプの灯も、それに合わせてまぶたを閉じるように暗くなった。月明かりだけがトラックを照らしている。金属が擦れる音がした。ドアが開き人影が降りてきた。丸い縁の帽子を被った男は髭をたくわえているようだ。顎のあたりから長く伸びたそれを右手で触りながら荷台へと向かった。幌のない剥き出しの荷台には箱がいくつか積んであるようだ。そのうちの一つを男が抱えると、ガラスが触れ合う音がした。中身は何本かの瓶のようだ。箱を抱えたまま男はこちらへとやってくる。小屋の中から覗き見ていた僕は、後退りしてベンチに座った。リュックの中を確認してみたが武器になるようなものは何もない。

男がこちらを覗き込んだ。随分と歳をとっているようだ。髭は白かった。
「やはり、ここにおったか。待っておったぞ」
ガシャンという数本の瓶がぶつかる音とともに箱を床に下ろすと初老の男はしわがれた声で話しかけてきた。ハリはないが芯のあるその声は、男が過ごしてきた時間の長さと様々な答えについて語るにふさわしいもののように聴こえた。
「どうして、みんな僕が来ることを知っているのですか」
僕はその男が誰かより、旅を始めてからの不思議な出来事の謎をまず知りたかった。
「みんなというのは誰のことかな。ワシはもう随分と長い間一人で過ごしてきた」
「小さな女の子も、道化師のような双子も知らないのですか」
「さあ、知らんな。ワシが最後に人と会ったのは、もう20年ほど前のことになる。あの騒乱から逃れた時」
「騒乱というと」
「若いのは聞いたことがないか。かつてここで暮らしていたフロンティアのことを」
「それなら知っています。昔話としてだけですが。それもどちらかといえばお伽話のようなもので、本当にあったのかどうか誰も証明はできないと」
「まあしょうがない。奴らはそうやって歴史を無かったことにしようとしているのじゃろう。人々は強制的に街へと戻された。それでも騒ぎの中でワシとアイツと十数人の仲間だけは政府の手から逃れることができた。密売人だったワシは逃げ道を知っていたからな」
やはりフロンティアの話は本当だったのか。昨夜の道化師が語った悲しい結末。しかしそこから生き延びた人がいたということだ。その証人が今、目の前にいる。

「そうだ、まずはその瓶に入っているアルコールで消毒をした方がいい。この辺りはまだウイルスがしぶとく残っておる。随分と弱体化してはいるがの」そういって床に置いた瓶から手に液体をのせて、刷り込むように馴染ませると僕に瓶を渡した。
そして初老の男は静かに語りかけるように話を続けた。
「半年ほどは政府の追っ手がやってきた。ワシとアイツは息を殺すようにして何とか生き延びた。持っていたのは、あのトラックと荷台の消毒液。そうさ、ワシは消毒液の密売人じゃった。ウイルスがまだそこいら中にあるこの世界で暮らすには欠かせない。まあ、政府が早々にワシらを追うことを諦めたのもウイルスのおかげとも言えるがのう」
「そのアイツというのは、誰のことですか?」
僕はまだ知らぬ不便利屋のことを想像しながらもう一人の登場人物についてきいてみた。
「まあ若いの。そう急ぐでない」
男は続けた。
「騒乱から1年経った頃じゃ。アイツがワシだけを残して仲間と連れて新たな地へと旅立ったのは。ある朝、突然こう言い残して。“いつの日かこの場所に、一人の若い男がやってくる。そしたらそいつに会って話をしてやってくれ。アンタの物語を“」
「それが、僕。20年も待っていたのですか」
「そうじゃ、やっと会えたのう。まあ若いの。もうすこしワシの話に付き合ってくれんか。アイツとの約束を果たす日がついにきたんじゃ。そしてワシの罪が償われる日が」
僕は覚悟を決めて、この初老の男の物語を聴くことにした。その中にアイツが誰かということも、この旅の謎も語られると思ったからだ。

それは壮絶な物語だった。
フロンティアたちがまだ街を出たばかりの頃。自由を求めたはずの彼らだったが、城壁のような丘をこえて外に出ると、そこにあったのは剥き出しの自然であった。もちろんかつての文明が築いた道路や人々の生活の名残はあった。しかし、そこに人の営みがなくなってしまえば、あっという間に自然は自分たちの場所へと変えてしまう。田畑は荒れ果て、草木は生い茂り、野生動物たちも我が物顔で歩き回っている。まさにそれらは自然という名の自由を象徴するものであった。
これが自由の姿なのか。呆然とする民たちをまとめたのが、初老の男がアイツと呼ぶ若きリーダーだった。荒れ野を進み、ようやく見つけた開けた場所に集落を築いた。
リーダーは田畑を生き返らせることから始めた。その間にもウイルスはまだ勢力を保っていて、何人かが犠牲となった。リスクと共生することもまた自由の意味であることを知らされるのであった。米を作ることでアルコールを醸造することができるようになった。つまり消毒液を手に入れることができる。ただその技術を持つものは限られていた。コミュニティでたった一人。それが今は白くなった髭をたくわえた、この男であった。男は消毒液を独占し、高い値で売った。そして民をその支配下に置こうとした。
この男にも愛する妻がいた。妻は男の行為を咎めた。自由を求めて、この地にやってきたはずなのに。消毒液で人の命を縛るなんて。悪魔に取り憑かれた男はこれこそが自分にとっての自由なのだと聴く耳を持たなかった。
男がしばらく家をあけ、消毒液を売り歩いている間に妻がウイルスに冒されていた。感染後に消毒液は役に立たない。家に戻って来た時、妻は息たえようとしていた。妻は男の目を見つめ、何かを訴えた。もう言葉を発することもできない状態だった。
妻を失った男は、リーダーに赦しを乞うが当然それは叶わなかった。しかしリーダーは男に新たな仕事を与えた。男は側近として民のために尽くすことを誓った。
泣こうとしたが涙が出なかった。涙を失った男。それが目の前にいる初老の男であった。

ふと語り終えた男の目を見ると光るものがあった。涙だった。ハンカチを差し出すと、ようやく自分が流した涙に気づき驚いたような表情を浮かべた。そしてこう呟いた。

「涙を流した時に罪が償われるであろう。そして汝は大地を潤す雨となる」

「え?」
「アイツに言われたのさ。別れ際にな。ようやくその時が来たようだ」
僕が差し出したハンカチで涙を拭うと男は静かに消えた。小屋の外に出てみても人の姿も、そして車も無かった。もう一度小屋の中を覗くと、そこには一本の瓶が残されていた。中身は消毒液だ。リュックの口を開き瓶を入れた。ふと、あの絵本が見えた。取り出してページをめくる。白地に青い水滴だけが描かれていたところに、土色の大地とそこから顔を出す小さな芽が加わっていた。

「大地を潤す雨か」

一人呟いて、また歩き出す。冷たいものが頬にあたって跳ねた。雨だった。

つづく

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